僕も一時期クッッッソ悩んでいたのだが、『生徒制御』は非常に大変であり、ぶっちゃけ講師業で正直一番ストレスを抱える部分とも言える。
僕も正直そういった『和』を乱す側だったので完全なる棚上げなのだが、生徒の問題?行動を思い浮かべながら例えば以下のサイトを読むと、考えさせられるところがある。
今日はこの『ADHD(多動性症候群)』の知識は、小中学生を相手にする全員にマストだぞというのを、理由を添えて書いてみようと思う。
まずはそもそも論から。
ただこういうのを書こうもんなら、『生徒が言うことを聞かないのはお前の責任だろ!変な専門用語なんか使わず現実と向き合え!』みたいな反論が出ることも多い。
ま、これについても、7割くらいはその通りだよなと正直考えている。
例えば授業力がうんちだとか、指示がくっそわかりにくいとか、教室が超乱雑とかなら、問題はどう考えても生徒じゃなくそちらである。
―が、そういう"工夫"を打っても、残念ながらそういう行動はゼロにはならない。どれだけ授業力を高めても、指示を簡単にしても、だ。
実際、よくある行動として当てる前に答えてしまうという衝動性といったものがあるのだが、答えを言った後に『あっ』といって気付く生徒も多い。
つまりこれらの行動は、僕らで言うところの『言い間違い』といった感じに近く、本当に突発的に、かつ無意識に飛び出してしまうということなのだ。
これを考えれば、そういったいわば『問題と定義された行動』をゼロにするのは極めて難しいというのは、よくわかると思う。
ってことでそういうそもそも論はここまでにして、なぜ僕らにはそういう『ADHD(多動性症候群)』の知識がマストなのか、ポツポツと語っていこうと思う。
『僕は悪くない、僕は悪くないんだ』
知っておくことの狙いは2つ。こちらのメンタルの健康のため、そして適切なケアを与えるため。これらに尽きる。
なぜ知っておくことが、自分のメンタルの健康に繋がるのか?それは、『あ、この行動って仕方ないことなのネ』と思えるようになるからだ。
つまり、抱え込みが驚くほど減るのである。実際調べれば調べるほど、『割と俺悪くねーじゃん』と僕でさえ思えるようになったのだ。
これってかなり大事な思考であり、実は無責任とはじぇんじぇん違うのにお気をつけ頂きたし。
例えば、ADHDな行動に対し、『自分のせいだ、自分のせいだ・・』とだけ考え、思い悩む人間の末路はわかり切っている。鬱病だ。
そうなれば長期間の充電期間が必要になり、現場を離れることになる。となれば、それで負担が一層かかる他の先生や生徒はどうなるか?そっちの方がゾッとする話だ。
嫌われる勇気に出てくる【課題の分離】と同じ考え方で、どうにもならないところまで抱え込むのは、ある種それこそ無責任な思考である。
―やはりそうやってある程度距離を取って初めて、どうすれば良いかという手を考えられるようになるのだ。
眼前に問題用紙を持ってきても、そもそも読むことができないのと同じ。あらゆることを心理的に切り離すある種のサイコパス性は、講師にとって必要不可欠である。
・・ってことでこれからの話は、その上で、という前置きをした上で進めたいと思う。
多動・衝動のトリガーを掴んでおく。
そういうケがある生徒には、その行動において、ある種の共通点が存在する。代表例は以下の通り。(症例という言葉は使いたくないので、こういう言い方にしておく)
①集中が難しく、他のことにすぐ気が散る。
例)小刻みに揺れる、足をずっとぶらぶらさせる・・など
②少し不快な言動を嬉しそうにやってしまう。
例)(配布したプリントに対し)「帰ったらすぐシュレッダーしま~す!」
(授業開始時に)「勉強せんでも高い点取れるから俺は別にいいかな~」
後ろを向いて他の生徒に変顔をし続ける・・など
③こちらの説明中に口を咄嗟に挟んでしまう、当てる前に答える。
・・・といったところだろうか。ちなみにこういった行動は、別に学力との相関関係は無いと思う。これらを抱えつつも学校上位の成績を出す生徒もいるからだ。
はい。ぶっちゃけこれらの行動が減らないのは、あなたのせいでもなんでもなく、もっと根深いことである。そこはまず、しっかり押さえておこう。
ただし、今から書くポイントを守れていないとかであれば、それについては責任を問われてもしゃーないかな、と。
ということで、過去何度か書いた話ではあるが、実際に例として方々で紹介されていて、かつ実体験としてもそう思う【多動・衝動のトリガー】を列挙する。
ついでに、復習と言うことで、簡単な心掛けも書いておこうっと。
①休憩中に周りが異様に盛り上がったとき。
→授業開始直後にクールダウンする時間を1~2分取るのが効いた。
②こちらの説明が10~15分以上続いたとき。
→タイマーをセットし、強制的に切るようにする。
③指示を同時に複数飛ばしたとき。
→ノートを開いて、テキストを・・ではなく、ノートを全員が開いたことを確認してからテキストのページ数を言う。
④当てる前に質問を言ってしまったとき。
→まずは当てる。当ててから、質問を伝えるようにすると、回数は減った。尚、どうしても言いたそうなら、【2文字だけ言って】というのも良かった(ように思う)
後は『前向いて』ではなく、『俺の方に身体を向けて』という指示の出し方にしたり、ちゃんと引き付けてから説明を始めたりと、そういった工夫は行っている。
好ましくない行動はいちいち取り合わず、敢えて積極無視したりと、実は結構こっそり、僕も色んなことを考えて調べて手を打っているというワケなのだ。
―正直ここまで手を尽くしても、絶対にゼロにはならない。せいぜい回数が減るのが限界だ。
公教育なら生徒と何度も顔を合わせる中で、ラポールが形成され密な関係を築けるかもしれないが、週に数回、1~2時間しか会わない僕らには、限界がある。
それを甘えというのは、何かズレていると言わざるを得ない。心を変に病まないためにも、ある程度はスルーするのが正解である。
・・・もちろんADHD(或いはそれっぽい傾向が見て取れる状態)であっても、それの活かし方は存在するし、わかり易くまとめられたサイトもある。
決してこの記事でそういう気質をディスり倒したわけではないというのは、ただのエクスキューズだが最後に書き添えておく。
・・・生徒制御というのは本当に対人間、かつ一対多数という形式上、ずっとついて回る超難問だ。
それは大抵講師・教師の責任にされるが、全部が全部そうではないのだと言うことが、この記事で書けていれば嬉しい。
では今日はこの辺で。尚、そういうのを抱える生徒に向けては、以下の記事をステマしておきやす↓
jukukoshinohibi.hatenadiary.com