精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

可能性は確かに無限大だけど、その大半はどうでもいい。

この記事は2020年12月31日に書いている。振り返りってあまり有益だとは思えないんだけど、家から出る用事も無くて暇すぎるからちょっとやってみよう。

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2020年は意識して色んなことにチャレンジした年だった。本もいっぱい読んで、不可抗力でYouTuberデビューして、ついでにプラベでも動画アップを始めてみたり。

 

結果、過剰だった自意識とはだいぶ折り合いが付いたし、それによって行動力が増したというか、行動に伴うリスク(笑)を無視することができるようになっている。

 

しかし、同時に意識して取り組んだことがある。それは、『捨てること』だ。いわば、トライアンドエラー』ではなく、『トライアンドスローアウェイ』という感じ。

 

楽しければ次をしようと決意し、自分に合わないと思えば世間の価値観と反しても捨てる。今年はそれに取り組んで、結果は上々である。

 

やはり可能性は確かに無限大だ。これは否定しない。けど、やっぱりその大半はどうでもいい。

 

2020年最後の記事は、そんなお話。

 

 

FF10のセリフに、こんな感じのがある。

 

『生きてさえいれば、無限の可能性があんたを待っているんだ!』

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・・・なるほど、凄く含蓄のあるセリフだ。人生(というより社会)には、可能性は無限に広がっており、その中にはまだ掘り出されていない、生まれていないものもある。

 

確かにYouTuberになってみるのは割と面白かったし、Instagramも不慣れながらポチポチアップすると楽しかった。ソロキャンプも心の底からエンジョイできた。

 

なるほど、だからこの世は可能性に満ちている!!

 

・・・が、その中でも、自分にとっちゃ死ぬほどどうでもいいこともまた、多い

 

例えば今年、僕はハッキリと『恋人』を得るための努力一切を諦めることに決めた。理由は不毛なので書かないが、2020年で一番でかい決断はこれかもしれない。

 

他にも、仔細は忘れてしまったが、自分の人生では取り合わないと決めた項目はいくつもある。なんなら、フィールドごと諦めたそれも多い。

 

前向きに考えれば、何かに手を出す度に『可能性』は増えていく。だが、それを愚直に吸収しすぎると、当然『可能性メタボ』になって終わりだ。

 

自分に向いているものがあるのも当然だが、向いていないものがあるのも当然なのだ。そして向いていないモノに執着するとき、それは時間を無駄にしていることに等しい。

 

今までは、『いや、直観ではおもろないと思ったけど、可能性がまだ中に埋もれているかも・・』という恐怖があったが、最近はもう、無い。

 

『直観でハマらなかったものの中に俺の才能が埋まってるわきゃあるかボケ』と考えているからだ。これ、結構大事。

 

もちろん10歳くらいから捨て始めるのは、心身が成長途中なので早すぎる気はするが、20歳前後になったら『可能性』についてシビアな目線を持っても良い頃合いだと思う。

 

・・・最近縁が合ってよく釣りにご一緒させてもらう方がいる。この方の人生はドラマになっちゃうくらい濃いのだが、その人の言葉にその理由が入っている気がする。

 

『1日24時間しか無くてそれは平等なんじゃけ、俺はそこに好きなモン以外入れたくないんよ!!』

 

という。カッコいい。何がカッコいいって、生き方がまさにその通りだからだ。だから社会に出るや否や起業しているし、家族・酒・趣味以外が人生に含まれていない。

 

ー僕は物事を整理整頓するのが下手くそなのだが、それは価値観や可能性といったアバウトなものもそうだった。

 

子どもたちには夢とかカッコいいことを語っているが、本心では、向いてないと思ったら即捨てることの重要性も、同等だと考えている。

 

要らんと思ったら捨てる。まぁ正直、怖いと思う人も多いでしょう。でも、ご安心を。その大半は、また拾えるので。

 

今日はそんなお話でした。では、アップされてる頃には2021年始まってるけど、良いお年を。

 

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