明日の授業で、『歴史的仮名遣い』に触れなければならない。正直に言うと、この単元の授業は非常に苦手である。理由は、僕がそもそも面白みを感じていないからだ。
『たまふ』は『たまう』と書き直し、『au』の音は『ou』に変わるのだから、『Tamou』=『たもう』と書いたら〇、1点!
―これ以上のレベルを教えることが無いのがちょっとなぁ、と。しかもできるヤツはノリと雰囲気と勘でどうとでもしちゃうので、なおのことすることがない。
しゃーねーなぁ。指導要綱としてはクッソ脱線するけど、もっと自分自身が興味を持てるよう、この辺りの話をもっと深堀して調べてみようっと。
そもそも『歴史的仮名遣い』とは何だ?
まずはそもそも論から考えてみよう。『歴史的仮名遣い』とはいうものの、それは具体的にはいつからいつまで使われていた用法を指すのだろうか?
例えば、平安・鎌倉ぐらいがバリバリその用法だったのは腑に落ちるが、夏目漱石の時代頃も『いふ』みたいな日記や記述が残っているため、明治もそうだったことになる。
ってことで、やはりまずはルーツを掘り下げてみたいと思う。
日本語の表記(特にひらがな)がごっちゃになったのは、まず平安時代後期ごろなのだという。
いわゆる『い・え・お』と『ゐ・ゑ・を』や、『文中のハ行・ワ行』などが混同され始めたのは、ざっくりこの時代らしい。
※それまでは『い』と『ゐ』が別物だったというのは、いろは歌(10世紀末~11世紀中期の成立)をみてもわかる。
いろは歌の意味とは?縦読みで作者の"暗号"が明らかになる…! - 雑学カンパニー
そのごっちゃごちゃの状況を一回整理整頓したのが、鎌倉時代の歌人、『藤原定家』だと言われているのだ。(小倉百人一首の選者としても有名)
定家によるこの統一は『定家仮名遣い』とも呼ばれ、歌人としての彼自身の名声もあってか、主に歌詠みの間で広く、そして長く伝わっていったのだとか。
しかし江戸時代になると、発音の混同や表記の揺れが再び一層激しくなり、再度統一の必要性が出てくることになる。
そしてこの際の統一が、いわば『歴史的仮名遣い』として今に残っているモノのルーツらしいのだ。
それを行ったのは、『契沖』という真言宗の僧で、かつ国学者の一人である。(国学と言えば本居宣長だけど、結構この辺にもちゃんと関わってたそうな)
彼は『万葉集』を正しく読もうと古典作品を読み込んでいた折、そこで『定家仮名遣い』の矛盾に気付いたと言われてる。
正確には『平安中期以前の文献では、仮名遣いがハッキリ分けられている!!』と気付き、それに基づいて再度まとめ直したそうだ。
この修整は『契沖仮名遣い』と呼ばれ、他の国学者に支持されたのもあり、しばらくは『仮名遣いの基準』として用いられるようになっていったという。
※契沖は間違いを指摘し原典を示しただけであり、別に仮名遣いのルールを刷新したわけじゃないので、『契沖が作った新しいルール』として流布することは誤解を生む・・と説明されているサイトもある
―その後、契沖以外の研究成果などが盛り込まれてまた少し変わったものが、特にハッキリと明記されることもなく、日本における『仮名遣い』の基準となったそうな。
そう、これこそが僕らが考える『歴史的仮名遣い』。そう考えてよさそうだ。(広義には定家案も契沖案も全部歴史的仮名遣いになるが、面倒なので省略)
ってことでルーツはある程度わかったので、今度はなぜ『歴史的仮名遣い』がいわゆる『現代仮名遣い』と置き換わったのか、詳細に調べることに決めた。
『歴史的仮名遣い』が歴史になる日。
『仮名遣い』についてはかなり多様で深く、そして激しい歴史があったため、その1つ1つを取り上げてまとめるのはこの記事だけでは不可能っぽい。
そこで今回は思い切って、『現代仮名遣い策定まで』に絞り、まとめてみようと思う。
ハッキリと『歴史的』と『現代』で役割が交代したのは、一応1946年のことで、『現代かなづかいの実施』が告示・訓令されたことが契機である。
この狙いを超雑に解釈すると、
①今までの仮名遣いはゴチャゴチャしてて使いづらいから、現代の読み方に合わせてシンプルにするよ!
②でも前の書き方じゃないと問題が出る場合はそのままでいいよ!
てな感じ。つまり実は、『不徹底』なのである。
例えば、『本来の読み方』に忠実に書き表すなら、『おとうさん』ではなく『おとーさん』という風に伸ばした方が正確だ。
尚、実際にこの書き方(長音を棒で表すヤツ)にしようという動きもあったらしいが、反対に遭い頓挫している。
さらに、この『不徹底な名残』はあちこちで見て取ることができる。
『揺蕩う』という言葉があるのだが、何故か『たゆとう』ではなく『たゆたう』と打たないと出てこない。これはまさに歴史的仮名遣い!
さらには、『ホホジロザメ』なのか『ホオジロザメ』なのかも、図鑑によって違っていたりする。僕は『ホオジロ』で習ったんですけど、実際はどうなんでしょね。
さて。
移行後もこの不徹底は続くのだが、1986年、先の発表と似た内容の現代仮名遣い(内閣告示第一号)が告示・訓令されることとなる。
その内容も超絶ラフに解釈してみる。
①『現代仮名遣い』ってのは、現代の読み方に準じて語を書き表すってことだよ!
②一般の社会生活向けだから、メディア以外にはやかましくいわないよ!
③表記ゆれがある場合(『頬』について、ホホとホオみたいな)はどっちでもいいよ!
④でも歴史的仮名遣いを勉強するのも、日本の歴史の学習には重要だから、みんな勉強しようぜ!
てな感じ。これについては、『不徹底な状況を追認したに過ぎない』と書いている人もいて、ぶっちゃけ僕も同じような感想を抱いた。
こういった『歴史的仮名遣い』と『現代仮名遣い』の混在っぷり、そしてその例の多さは方々でまとめられており、そのカオスっぷりがよくわかる。
身近な例を引っ張って来れば、『今日はいい天気だ』の『は』は『wa』と発音するため、表音主義からズレている。
また、原則『ぢ・づ』を用いない(つまり使い分けない)のなら、"きずく"と打っても"気付く"が出てこないとおかしくなる。(実際は『きづく』と打たないと出ない)
―こういった状況を受けてか、出典は完全に不明だが、『現代仮名遣い』のWikipediaページに以下の様に書かれている。
(原則的には適用ができないはずなのに)学校教育において古文を現代仮名遣いに書き換える問題が出題されている
・・・なんかもう、『歴史的仮名遣い』を『現代仮名遣い』に直すという問題の意義、その完全論破という感じでもありますなぁ。
面白い授業をするためにと色々調べ倒した結果、『意味不明なことしてるじゃん』と気付くという、まさか過ぎるオチ。
そもそも日本語は世界的にみても圧倒的に音を表す『文字』が少ないため、忠実にそれを書き起こすのはそもそも無理という指摘さえあるほどだ。
(例えば、『あんこ』の『ん』と、『さんぽ』の『ん』は、微妙に発音が違う。唇の動きを意識しながら声に出すとよくわかる。でも書くときは『ん』一択)
・・・他にも『国語国字問題』とか、『上代特殊仮名遣い』とか、文人による論争等々面白そうな話は多々あったが、それが書かれたサイトの引用に留めておく。
では今後、『歴史的仮名遣い』とはどう向き合えばいいのだろうか?
ここまで『不徹底』であることと、『それでいいよ』感が出ているのを知ってしまった以上、意義ある物として特に『書き換え』を教えるのが困難になってしまった。
とはいえ、いちいち『ゐ』は『ウィと読む』みたいなことを言うのも本末転倒だ。だって学校で教えないのだから。
・・・とりあえず、『たまふ』は『たもう』、『なほ』は『なお』に書き直すってのは入試に実際出ちゃってるので、そういう観点で言えば無視するわけには行かない。
でも、無茶苦茶時間を掛けるのもまた絶対に違う。授業プリントは先輩から引き継いだけど、一気にバッサリとカットしちゃおうかな。
僕としてはもやもやが逆に積もる結果になってしまったが、ちょっとでも意外な話とかが書けていれば嬉しい。
では今日はこの辺で。