最近、どこもかしこも『思考力』ブームである。
『これからの世の中は思考力が大事だ!!』『思考力を高めて受験を突破しよう!!』『うちの子は思考力がなくて・・』『先生が思考力が大事って言ってた~』
とかとか。こういう風潮を聞かされていると、逆に超ネジ返したくなる。
『思考力』って一言で言うとなんなん?
・・・ノー準備だと結構言葉に詰まる人も多いのではないだろうか。まぁ、僕もそうなんですけど。
ってことで今日は、『思考力の正体』について、思いめぐらせてみようと思う。
具体例に頼らない『思考』の定義。
『思考力』に限った話では無いのだが、そういう言葉を具体例で説明するしかできないときは、自分が理解できているかどうかダウトだと感じた方がいい。
僕も『思考力』とは何なのか一言で答え辛かったので、語源そのものから考えてみることに決めた。
辞書で『思考』の意味を引くと、以下の通り。
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1 考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。「思考を巡らす」「思考力が鈍る」
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2 哲学で、広義には、人間の知的精神作用の総称。狭義には、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性の働きをいう。
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3 心理学で、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する心の働きや機能をいう。
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・・・ややつかみどころがないが、『思考』とは『頭の中にある経験や知識を材料に、考えを深めていくこと』だと言える。
次に気になったのは、『思う』と『考える』の違いである。微妙に違うからこそ『思考』という風に二つ重なっているのだろう。そう思って調べると、ビンゴであった。
「思う」も「考える」も思考に関する動詞ですが,その思考のニュアンスが異なります。大きな違いは,「思う」は「情緒的・一時的な思考」,「考える」は「論理的・継続的な思考」というニュアンスをもっている点です。このこととも関連して,その思考を「自分の意志でコントロールできる度合い」は「思う」より「考える」の方が強くなります。
ざっくり言えば、『思う』とは感情的な話に、そして『考える』は理性的な話に思い巡らすときにそれぞれ使う言葉なのだという。
確かに、例文で考えると若干の違いがみえる。
『私、あの子は彼のことが好きだと思う』
『私、あの子は彼のことが好きだと考えてるの』
この二文を並べると、上の方は主観的な含みを感じるし、下の方は何か客観的な証拠があるような含みを感じる。
つまり、『思考』とは微妙に違う2種類の頭の使い方をひっくるめて、そう呼んでいるということになる。
感情的な思いと理性的な考え。それこそが『思考』。なるほど、結構わかってきた。
ではいよいよ話を深めよう。『思考』を使う『力』とはどういうことか?
以下そんなお話です。
じゃあ『思考力』ってなんやねん。
↑の名著に書いてあるフレーズが、『思考力』を端的に言い表すヒントだと思う。
これからの世は、与えられた課題を解決する力ではなく、『課題を発見する力』が大切なのだ。
・・・この観点から、今の世で成功している人や会社であったり、『思考力』が求められる場を考えたりすれば、かなり多くの気付きがある。
少しまとまりがないのだが、この辺りについて勢いのままに書いてみよう。
個人的な考え方だが、いわゆる『夢』や『欲』とは、極めて主観的で感情的だと捉えている。
一方それが具体的な段階にまで煮詰まると『目標』になる。こうなれば客観的かつ理性的な話だ。
例えば、自分たちの学校をより良くしようというテーマで話し合いを行うとする。
最初に出てくるものは、当然『不満』や『欲』をベースとした、非常に主観的で感情的なモノが多いだろう。
駐輪場を広くしてほしいとか、学食のメニューを増やしてほしいとか、極端な話エレベーターを設置してほしい、とか。
このフェーズは、ただ思うがままを語っただけである。同じ文脈でも、考えたままを語っただけというと少しズレている印象を抱くのも、多分ニュアンスのせい。
次に使わねばならないのは、感情論を排した目線である。言い換えれば、『考えること』であり、何を?と言われればそれは、『解決策』や『目標』になる。
『解決策を思う』『目標を思う』というと違和感を覚えるのは、それら2つには感情がくっついていないからだと僕は思う。
感情的な”思い”で出てきた『夢』や『欲』や『不満』といったものを、理性的に『解決策』や『目標』というところに”考えて”落とし込んでいく。
そして『問題』を冷静に見極め、それを解くことに全力を注ぐ。自分で問題を作り上げ、それを解ききる力。
僕が思うに、『思考力』とはそれのことだ。そう考える理由は、『思考力』を鍛えられると言われる娯楽を考えてもわかる。
例えばLEGO。これは非常にわかりやすい。ブロックを使って何を作るかも自由だが、ゴールに対し、それをどう作るかさえも自由になっている。
『このパッケージのヤツを作りたい!』という思いから、『こうすればいいんじゃね』という仮説を考える。
もし違ったら次のその知見を使って、別のプランを考えて実行する。その繰り返し。
『ゴール』を思い、『解決策』を考え、仮説立てと実行と修整を繰り返す。言葉にすると異常にカタいが、つまりこのとき『思考力』はバリバリに発揮される。
『答えが無い問題に取り組むことだ!』とか、『皆で協力して何かを成し遂げることだ!』といったわかるようでわからない断言で、『思考力』はよくお茶を濁される。
しかしとりあえず僕の中では、ある程度の納得と説明は得られた。
『思考力』とは、感情的に浮かべた夢や欲や不満を、理性的に解決する方法を考え、実行し、成し遂げる力である。
人によっては『右脳と左脳のキャッチボール』とか、『ポジティブに生んでネガティブに考える』とかで形容する話である。
『もっと速く移動したい』と思ったから、『じゃあどうやって達成しようか』と考えた人が、新幹線を生み出した。
『外国の人と通訳なしでも話たい』と思ったから、『じゃあどうやって達成しようか』と考えた人が、翻訳アプリを生み出した。
こうやって並べ立てると、『思考』の意味がわかりやすいし、『思考』がこの順番で並んでいるのも腑に落ちる。欲を思ってから手段を考えるのが正しいのだ。
これが正解かなんてわからないけど、とりあえず僕は腑に落ちました。ハイ。
終わりに。
最後はちょっとした余談。『思考力』が鍛えられるとされる問題集の多くに、『答え』が存在するのはなぜなのだろうか?
これはシンプルに考えると出てくるが、まずはゴールありきでプロセスを考えるという命題が、『思考力』の基本の習得に役立つからに他ならないためだ。
ここで、最初に引用した『思考』の定義の一部を再掲する。
考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。
・・・つまり、経験も知識もない状態で夢や欲や不満に思いを馳せることは、ただの『夢想』か『妄想』である。
問題を発見するための武器がゼロの状態では、それが関の山だ。
『問題』を発見する力を鍛えるものに『答え』があるのは、ただのシミュレーションだからといった程度に割り切って捉えておけばいいんじゃないでしょうか。
実際オトナであっても、問題を見つける段階では話し合いを滅茶苦茶重ねたりして、色んな知恵を借りることが多い。つまり課題発見は無茶苦茶難しいのだ。
さて。
ぶっちゃけ脳内カオスをただ書き殴っただけで非常にわかりにくい主張が並んでおりちょっぴり申し訳ないのだが、この話は一旦ここまでにしておく。
面白いテーマだと思うので、またきちんと整えたものはいつか書く予定。
では今日はこの辺で。