共通テストが終わった。ただ、各予備校・教育系YouTuberが狂ったように予想とか分析とか感想とかをアップしており、カオスめいた状況は依然として続いている。
ちなみに僕自身は、中学受験とか私立大学一般とか公立高校受験とかが控えているので、今はそちらに集中するつもり。つまり、問題はまだ解いてないし、解く気もない。
尚、今週のテーマは、小中学生を勉強で半殺しにすることに決めている。^^
入試本番がただの日常に思えるほどの経験を一度くらいしておきなさいよと。その方がヘンに自分をポジティブに捻じ曲げるより健全ですけぇ。
そんな一週間のブログです。
- 1月19日(火) ―コロナ狂騒曲―
- 1月20日(水) ―知ってますか?ネガティブは受信することを―
- 1月21日(木) ―思い出は優しいから甘えるな―
- 1月22日(金) ―高校受験狂騒曲―
- 1月23日(土) ―喉の限界―
1月19日(火) ―コロナ狂騒曲―
僕が登録しているYouTuberが、コロナ陽性だったとのこと。2週間自宅隔離という対応であるため、その様子を毎日配信することに決めたそうだ。
味覚が無くなるとか、微熱が続くとか、肺機能が弱っているとか、そういう症状が生生しく説明されてはいるが・・・。僕はそれ以外にも思ったことがある。
『なんだ、ワーキャーいうてるけど、症状ってこんなもんか』
てな感じ。普通に動けて、飯も食えて、2週間も堂々と自宅に引きこもれる。そうやってポジティブに解釈しちゃう人、多そうな気がするなあ。
特に若者ほど重症化率は低いのもあり、こういうリアルを知れば、なおのこと『自粛』に取り組む率は多分減る。だから軽症の例って、ニュースでやらんのんだろうな。
少し話が逸れるのだが、最近地上波のニュース番組を全く見ていない。実家に帰った際両親が観ているのをなし崩し的に観るというパターンしかないのだが・・。
ハッキリ言う。見るに堪えない。基本的にネガティブなことばっかり発信しているし、それでいて、『若者叩き』のメタも感じるし。
視聴者層を考えれば、そっちに合わせるのはわかる。だからこそ若者のテレビ離れって、至極当然なことだろう。自分らがディスられる時間ほど不毛なものは無い。
多分これからも若者にコロナは広まるし、それに対し年長者がマウント取ってバッシングするという流れも容易に想像がつく。まるでただの憂さ晴らし。
だから僕はテレビを観ない。余計なネガティブは知らないに限る。スルー、スルー。ちなみに、この話は生徒にもした。
『ネガティブなことを観たり聞いたりするだけでモチベーションは無くなる。それをバンバン発信してる存在は何だ?テレビだろ?受験までは封印だな。』
わき目もふらず勉強したものが勝つ。ってのが伝わってると良いな。息抜きでネガティブを吸わないよう願うばかりです。
1月20日(水) ―知ってますか?ネガティブは受信することを―
各種予備校の合格判定サイトが続々と現実を教え始めた。安堵、不安、そして絶望。あらゆる感情が校舎に渦巻いており、いるだけで精神力が奪われていく。
そう。ネガティブは受信するのだ。周りの誰かがイライラしていると、何故か自分もイライラするように、ストレスは組織内において簡単に伝播する。
だが、僕が闊達なオーラを無理して振りまいたところで、ネガティブには勝てない。ネガティブはポジティブの四倍強いらしいのだ。
しかもそれを放出する生徒の数はかなり多い。多勢に無勢。僕ができるのは、まずは自衛だ。そうして自分の精神をある程度健やかにしておかないと、相談も無理。
これからあらゆるネガティブは絶対に校舎に蔓延する。それとどう折り合いをつけるか?しくじれば、2ヶ月弱であっという間に僕の心は壊れるだろう。
毎年ヒリヒリものである。4月にはバカンスとか行きたいのだが、コロナ禍がどうなっているか次第。マジでそれ。
皆さんも、受動ネガティブにはお気を付けください。とりあえずマイナスなことばかり伝えるニュースは、見ないようにした方が良いかと。
1月21日(木) ―思い出は優しいから甘えるな―
仕事帰り、自分が通っていた大学の近くを通る機会があった。すると、とても久しぶりの感覚なのだが、学生時代を愛おしいと思う感情が堰を切ったように溢れてきたのだ。
友人の家に入り浸り、他愛もないことに笑い、くだらないことを楽しみ、こんな時間がずっと続けばいいと心の底から信じていた日々。だがそれも、諸行無常。
10年前に通い詰めた定食屋はもう無い。金が無いなりに工夫して遊んだ日々は帰ってこない。勉強しすぎて徹夜とか、多分もうしない。
あぁ、あの頃に戻りたいな。
・・・ずっと、ずぅっと消えていた悲痛な感情。何故かふと、その一瞬で心の底から込み上げてきて、本当に嗚咽になりそうであった。
冷静に考えてみる。過去に想いを馳せるときは大抵、現在に不満がある証拠だ。だが、仕事は上々だし、健康状態も良い。では、何が不満なのか?
そしてそれはすぐ閃いた。僕は『人との関わり』に飢えている。誰かと笑い、誰かと遊ぶことが、当然なのだがここ最近ずっと無い。
生徒とのかかわりは、どうしてもまだまだ一方的なモノ。僕が教え、生徒が教わる。その垣根を超えた"友人"としてみれるかどうかは、また違うではないか。
ゲームのセリフにあったな。『思い出は優しいから甘えるな』。
そうだな。たまに振り返るのは良いけど、戻ろうとしてもどうにもならない。これからのことを考えよう。そうしよう。
だから僕は、地元の友人にオンライン飲みの案内を送ることにする。ただしテーマは現状とこれからのこと。思い出を昇華してやるぜ。
1月22日(金) ―高校受験狂騒曲―
切羽詰まった様子の調子で、とある中3のご家庭から電話が掛かってきた。聞けば、志望校をいよいよ決定するに際し、そのラインに数点足りていないのだという。
ボーダーマイナス数点。この層は、落ちるヤツも受かるヤツも普通にいて、十把一絡げに『やめときましょう』『いきましょう』が難しいところである。
だが、僕が一番厄介に感じたのは、当人がそこを選ぶ理由と、それ以外を選びたくない理由だ。それぞれ、『なんかいきたい』、そして『なんかいや』なのである。
受験はどうしても、メンタルに関わる部分が大きい。そこがブレていると、結局なぁなぁで突っ込んで爆死、しかも不満も未練もたらたらということになり得るのだ。
例えば最終的に先生になりたいから、大学受験を見据えており、そういう意味で県内の進学校を目指す・・というプランだとしよう。
この場合、別にこの進学校は県内トップである必要は全くないハズだ。ちなみにその生徒は、県内2位?の進学校のラインは超えている状態である。
県内トップの学校にも闇はある。300人もいれば、5~60人は落ちぶれて国公立どころか私立にさえ進学せず終わるそうだ。(データを見る限りだけど)
ぶっちゃけどの学校に行こうが、進学できるできないは勉強法と当人の努力次第だ。いいとこに進学したらエスカレーターで国公立なんて、おとぎ話だと知っておくべき。
だから僕はどう伝えたか?シビアにドライに撤退ラインを引きましょうと話した。
例えば私立高校受験終了後、特待生に受かってればGO、引っかからなければ1個下げる、みたいに。これは後々、本人にも伝える予定である。
高校受験狂騒曲。終わった側からすれば微笑ましいし、人生に影響を与えることもそんなにないことは身に染みてわかるのだが、当人は必死も必死、超必死らしい。
『課題の分離』と『サイコパス性』を後天的だろうが発動しないと、塾講師はメンタル病んで死ぬというのがよくわかるシーズンである。やれやれだぜ。
1月23日(土) ―喉の限界―
まだコマが残っているが、今日はハッキリと疲れてしまった。喋ることが主体の時間が続いたためだ。
解説授業だからと言いきれば簡単だが、45分ないし70分、ほぼ喋り通すのは非常に大変だ。さながら講演のようなモノであり、僕は聴くのが苦手である。
この時間を通じて悟ったが・・・・・。僕は『説明』が好きだが、『喋り』が嫌いなのだ。誰かに自分の伝えたいことを伝えるのは好きだが、最短時間で終わらせたい。
だらだら聞くのは大嫌いだってのは知っていたが、だらだら話すのも大嫌いとは知らなかった。だが、おかげで『わかりやすく、短く』というのは意識せずともできる。
ぶっちゃけ、各単元15分も話せば満足だ。超絶重たいテーマのときでも、45分持つか持たないか。僕は講師だ。スピーカーではない。
情報を伝えることが仕事なのだ。長い時間話をして、聴講者の鼓膜を震わせることは仕事ではない。
なんかそんなことを思った。あと30分くらい全力で話す時間が残っているが、正直もうヘロヘロである。
今日は特別良い酒を空けよう。そうしよう。
では今週はこの辺で。