以前からちょこちょこと仄めかしたあの話だが、ついに当人からこの言葉を言われた。
『ADHDってのだって診断されたんよー』
ただ、担当医の伝え方が上手なのかこの生徒が超ポジティブなのかわからないが、当人は『ある種の才能』という風な受け止め方をしている様子であった。
実際本人が『好き』と感じる科目の点数はズ抜けていることから、適性があれば徹底してのめり込む才能があるとは僕も思う。(てか僕も診断してないだけでADHDのケがあったし)
―しかしそれを手放しで認めるわけにはいけないという場面もある。無邪気さゆえに、周りを不快にさせ得る言動をぽこぽこと言ってしまうためだ。
『勉強しなくてもこの科目とあの科目はできま~す』
『(説明に対して)ひぇ~!』
『(説明に対して)なるほど、つまりそういうことか・・(という大きめの独り言)』
とかとか。実際その場で誤解を解いて鎮火させたが、ボヤ騒ぎが起きたこともある。
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うーむ、悩む。
ぶっちゃけなおのこと、得意なのを率先して伸ばすとか、苦手なのに集中するために個別授業に移行すべきだと感じるのだが、今のところその話は無い。
てことはこの状況をポジティブに解釈しなきゃいけないのは僕も同じだな。だからその生徒がいつまで続けるかなんてわからないけど、もう継続的にこれを学ぶと決めた。
今日はその第一回目である。
当人の胸の内を聴く。
授業前の時間に質問があると本人が言ってきたので、ある種のチャンスとばかり別室でサシの話をした。
実はADHDのカミングアウトはその時に出てきたものだったのだが、一通り話をしつつ、誘導尋問めいているがその心の内を少し探ってみた。
結果、その生徒の中には以下の哲学があることが判明。
①専門系の高校に行きたい。
②得意科目は勉強しなくてもできるからする意味がわからない。
↑ちょっと危険
③言動をたまに注意されるけど、何が悪いのかピンとこない。
④得意なのを伸ばせばいいと言われたから、嫌いなことはしない。
といった具合。ぶっちゃけ個人の矜持として持っておく分には好きにすればいいのだが、当人はそれらを折に触れて言ってしまうのだ。
結果、無意識に人からのやっかみを買うことが多く、また不必要に先生からの評価を下げてしまうという悪循環だ。実際、取ってくる点数に対し、通知表は不自然に悪い。
まるで僕のそれを見ているようである。↓
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実際数分ほど滔々とその言動が周りにどういう影響を与えるか説明したが、様子を見る限り合点がいっていない様子であった。でも僕はそれでいいんです、みたいな。
自制心で止めるのは、まだ少し難しそうである。だから僕とその生徒の間で『サイン』を作り、今がどういう場面か知らせるというアシストを入れることを取り決めた。
具体的には、僕がその生徒に手のひらを向けているときは、『喋るときじゃないよ』という合図、という感じ。ゼロにはならないが、減らすことはできるのでは、と。
また、得意なモノであれば集中状態を生めるので、その子に限り特例を認めようと思っている。例えば僕の話に意義を感じないなら、得意科目の問題を解け、みたいに。
何よりも避けねばならないのは、その生徒を笑いものにするような、あるいは鼻つまみものにするような空気の蔓延だ。
その生徒が発言をしてしまうトリガーは何か?それを把握し、それを避けつつ説明を作ったり授業を展開したり、時折ガス抜きを入れたり。
調べれば調べるほど、講師ができる努力が意外と多いことが、どんどんと判明していく。
まぁ、十中八九外れると思うので、100発打って10~20発当てに行くような感じで臨もうと思う。
こうすることで集団授業そのもののクオリティや満足度の底上げにつながるという考え方もできるしな。胡坐をかいた瞬間から水準はどんどん下がっていく。
もしかしたら今日にでも退塾話がでる可能性はあるが、何かしらの学びがある度にこのシリーズは書いていこうと思う。特定されない範囲で。
では今日はこの辺で。