今回は自戒の念を込めて記事を書きますです。
正直、得意とする単元は、いきなり『やれ』と言われても、45分ないし70分程度説明を組み立てて展開することは普通にできる。
例えば英語の不定詞とか、国語の品詞とか、後は社会の幕末とかは結構得意なので、マジで事前準備の時間が取れないときは、出たとこ勝負をすることも実は、ある。
ただ、これを成長と捉えるのは危険だなぁ、と。むしろ、何も見ずにできる科目ほど、インプットを欠かしてはならないと、今強く感じている。
今日はそんなお話です。
大抵の場合、回数を重ねれば重ねるほど、説明に必要な時間が減ってくる。慣れてくれば効率化が勝手になされるのか、説明がどんどんスリムになっていくのだ。
すると、最初は45分できっちきちだった授業が、いつの間にか30分程度で収まることもしばしばであり、極端な場合だと半分以下になることさえある。
『最初の授業、どんだけ要らん説明があったんじゃ!』と少しイヤになるけれど、やはり一度とりあえずやってみて、リアルな反応を見て直していく方が質は上がる。
特に授業ってのはそうだと思う。ハードウェアなものと違い、【教え】、もっと言えば【データ】のやり取りなので、修整が非常に楽にできる。
だからこそ、完璧を1人で考えるより、試作品を何度も投下して直していく方が製品のクオリティは絶対に高まると言える。
ーということは、自分が『得意!できる!』というところで手を止めてしまうのはやはり危険だと思えてはこないだろうか?
仮に授業時間が半分以下に削れたとして、その余白をどう使うか?もしそこに何も入れないのだとしたら、その分だけ薄味になっていくということだ。
RPGゲームの戦闘でも語られることだが、テンポが悪いものほどストレスフルなものはない。内容ではなく、それ以外の部分で評価が下がることだって普通なのだ。
今まで45分掛かっていたものが30分で良くなったのに、同じ内容のまま45分喋るってのは、教わる側からもすぐバレる。『これ、こんなに説明要らねーじゃねーか』と。
そして間延びした授業を『イイ』と思う例は稀なので、授業が上手くなればなるほど満足度が下がっていくなんて現象も、マジで不思議ではない話なのだ。
じゃぁ、それを防ぐにはどうすれば良いんですか、という話だが、その分新たな情報を継ぎ足していくってのが一番手っ取り早いだろう。
例えば僕が得意な単元・不定詞も、最初はテキストの問題を解くための説明を重視していたが、それだけだと次第に時間が余るようになっていった。
だからその分、各定期テスト・入試の過去問出題例、頻度、動名詞、さらには面倒なので応用問題の解説などまで一気に手を広げ、その時間にガンガン足している。
今では割とカオスな時間になっているが、それでも最初の頃説明に掛かっていた時間とトントンなので、効率化って偉大だなと思わされる。
ちなみに、『演習』の時間は別で確保しているので、あくまでここでお伝えしたのは『説明に使ってもいい尺のこと』だとは念押ししておく。
『説明』を仕事にしていると常々思うのだが、インプットを日頃から行っていないと、発信ってマジでできない。ネタが無いのにどうやって情報を教えろと。
というか日頃からあらゆる事象に対して『どうやって伝えたら面白いかな?』といった目線を持っていないと、少なくともこの仕事は続かないと思う。
だから僕は、『講師であるお前が勉強を止めたくなったら、それはもう引退時だぜ』というのを頭の片隅から時たま自分に問いかけている。
職場の本棚には私物の学習参考書を何冊も並べているし、お気に入りバーも情報収集用のサイトばかりがずらずらと並んでいる。たまに、英語の記事も読む。
こうやって100のことを頭に入れたら、やっと10の情報を伝えられるようになる・・というのが体感値だ。
そしてこの10の情報も、繰り返せば1の言葉に圧縮されることもあるというのは先述の通り。
インプット→授業→改善→余白に追加→改善・・ってサイクルを繰り返すと、なかなか楽にはならないが、それと同時に授業の中身は良くなっていく。
少なくとも僕はそう信じているので、今日もまた勉強・勉強・勉強!である。とりあえず今日は『仮定法』の研究でもしましょうかね。
ってことで今日はこの辺で。