今日の記事は、最終的には過去の自分に説教するという結びで書こうと思うので、あまり字面を深刻には受け取られないことをオススメしましゅ。
―講師になって初年度から、僕は生徒制御に悩んでいた。(もちろん今もだ)
【学級崩壊】まではさすがに行かなかったが、近いところまで行ったクラスもあった。自分の力不足がこれ以上なく突き付けられる時間。1年目は結構辞めたかったなぁ。
顕著な例だと、とある中学校の不良ばかりが集まったクラスとかもあり、もともと耐性が無い僕なので、胃に穴が空きそうな日々であったのを強く記憶している。
・・こういう時に取るべき行動は、【ベンキョー】であると思っていた。ゼロ知識の状態で素人が当てずっぽうな手段を採るより、そちらの方が時間は掛かるが確実だからだ。
そこで僕は、荒れた教室を立て直した実例集を読み、ネットの記事を貪るように読み漁り、ADHDと言った特例も勉強し、一つ一つのアドバイスを必死に試していった。
その恩恵か、今は80%くらい制御できた状態でクラスを回せているのだが、中にはまだ好ましくない行動を採られることも、どうしてもある。
考えても考えても答えがなかなか出てこない。こんな風に『抱え込むこと』は意識して止めているので、ある程度煮詰まったところで素直に先輩に相談してみた。
僕『〇〇ってよく発言盗るじゃないですか、そんときどうやって制してます?』
先『そんなんある?俺はないわ。』
・・・驚愕である。僕がやったらそういうぼろが出るのに、先輩講師はそういうのを完全に封印しているという。なぜだ、それはなぜ可能なのだ?
再び始まる僕の反芻。この秘密には絶対に解がある。エビデンスのある情報が、言語化された心理がどこかに転がっていることを信じながら、また勉強に打ち込んだ。
その期間は数年に及び・・・・最近、その"秘密"の一部が見えたところだ。
―この秘密がずっと見つけられなかった理由の1つに、僕が数年間綺麗にハマっていた罠がある。そしてこれは、誰でもハマり得る、わかりにくい罠。
この正体をボンと書く前に、もう少し僕の紆余曲折を語らせてほしい。何故かというと、僕が書いた思考と同じなら、あなたも罠にハマっていると気付けるから。
さて、ここから本格的に耳を痛くしていきます・・・・。
秘密の正体を知りたかった僕は、一度大真面目に、『年を重ねて貫禄が出てくるのを待つしかないのでは?』と仮説立てをしてみた。
つまり、年を取ればその分『逆らったらアカン感じ』がにじみ出て、勝手に生徒制御ができるようになると思ったのだ。論理が浅薄すぎて引く。
しかし、年齢が僕とそんなに変わらなくてもきちんと運営ができている例や、その逆の例もたくさんあったので、真実はそんなに浅いところには無いとすぐ悟った。
では一体、他には何があるのか?次に考えたのは、『僕が甘すぎるのではないか?』という仮説である。
ムチがある一面があるからこそアメが生きるという話もある。だから2~3年目は、効果的な怒り方という話を無茶苦茶勉強した。
まぁ、これについては今に生きる部分も割とあるのだが、それを全く意に介さない能天気タイプも世の中にはおり、怒りさえも結局は特効薬になってくれなかったのだ。
年を食ってもダメ、怒ってもダメ。一体自分には何が足りないんだ?わからないことがわからない不安と焦燥。
僕は生徒の前で顔は笑いながらも、「荒れたら手が打てない」というリスクを常のその内側へ抱えていたのだ。
―そういったアレコレがマジで浅薄で、愚かで、そして僕自身が本質からズレていた・・・いや、逃げていたことを教えてくれたのは・・・。
とあるADHDを抱える生徒との出会いであった。
説明がなかなか聞けず、突発的に口を挟み、周りにもなじみ切れずやや浮いている状態。荒れの前兆だと心の底から恐れていた。
必死になって勉強したが、どれもこれも『こうかはいまひとつのようだ』。決定打を見つけなければ、クラスが崩壊するという危惧は常に抱いていた。
自分に突き付けられたナイフがじわじわと体の中に入っていく感覚。それがきれいさっぱり消えたのは、その生徒がこちらにアクションを起こしたことである。
その子が僕に相談してくれたことは、テストの結果について。得意なはずのここが、伸び悩んでしまった。一体、どうすればいいだろうか、とかそんな。
当然親身になってそれに乗った。質問にも答えたし、これからの手も一緒に考えた。ちなみにADHDのことを聞かされたのは、その話の流れの中だ。
・・・その後からだった。
僕が『ちと問題じゃのう』と思っていた行動が目に見えて減ったのは。
・・・まさかと思って、そのとき頭に浮かんだことをどんどんと検証した。そして、その効果がメキメキと出たとき、悟った。
『あぁ、俺は彼ら彼女らと、サシで向かいあってなかったのか・・・・』
―机間巡視しながら問題を解く様子を見て、話しかけて、手が止まればアドバイスと指示を与えて・・。そうやって『1:1』で向き合った結果、僕の声が通り始めたのだ。
本気で僕はバカ野郎だった。『理想の講師』であろうとして、『生身の人間』の部分を完全にないがしろにしていたからだ。
『講師』と『生徒』に徹した結果、壁を作っていたのだなと。それが全ての根源だったんだなと。俺は一番大事なところを怠っていたのだなと。
泥臭い練習の一切を怠りながら、試合で結果が出せないと嘆き、プロの選手が書いたエッセイや方法論を読んで、そういう華やかなものばかりに取り組んだようなものだ。
思い出せば出すほど後悔しかない。あの時僕の力が至らないばかりに不幸にしてしまったみんなと、もう一度語らいたくて仕方がない。
―だが、変えられるのは未来だ。悔やむことはただの自己満足。気付いた今から変革である。そしてまだ、きっと間に合う。
だから僕への説教の〆として、たまに自戒できるよう『問いかけ』をきちんと残しておこう。
『お前は生徒といつ打ち解けた話をした?』
―『先生』という存在に反感を抱くやつも、『僕個人』なら話は違うかもしれない。相手が引くほど自分を晒し、興味を持ち、聞いてあげる。
誤解されがちな彼ら彼女らは、自分の本当の姿を知ってもらうことに飢えているのかもしれない。誰かがそれを言葉にしてくれるのを待っているのかもしれない。
できることにも時間にも限りがあるが、せめて出会った生徒達には、力になってあげたいと思う。
―ということでただの反省文でしたが、今日はこの辺で。