偏頭痛持ちのため、頭痛薬にガンガン詳しくなっている中元です。今のところ、バファリンのEXが良い感じ。
さてさて。ここ最近は起きてすぐの時間で、大学生の頃に買ってよくわからなかった『バカの壁』を、チマチマ再読しているところである。
あの頃からは幾分経験値も知恵もついたらしく、今回はずいぶん実感を伴ったものとして、著者の言葉が染み込んでくる感覚がある。いや~、嬉しい。
それを読んでいると、塾講師としても学びになりそうなある教えがあった。それは、『再現性を伴うものが、信頼を生むのでは』というものである。
これがなぜ僕に引っ掛かったのかというと、優秀な講師ほど確かに『再現性』が付随しており、そうでない講師ほどその意識が綺麗に無いからである。
ということで今日はそれについて書いてみよう。
『再現』できない教えは無価値。
『イイ講師になるぞ!!』と鼻息荒くする若者(僕もまだ若者だが)が最初に突っ込む罠は大体決まっている。『耳触りの良い裏技』や『カリスマ講師のパクリ』である。
『ロピタルの定理を使えば一発さ!』と何も考えず言っちゃったり、とりあえず有名とされる講師の動画を観て、完コピしたり、という具合だ。
もちろんクオリティの担保という意味で、これらをしとけば簡単にある程度の満足度は埋めるため、キャリア序盤のブランド構築の一手としては非常に有益だ。
だが、裏技が裏技たる所以やそのリスク、或いはカリスマ講師の節回しがそうなっている理由などをきちんと考察しなければ、多分モノマネ芸人どまりでそのまま終わる。
モノマネ芸人は、努力した結果によってお客を笑わせたり楽しませたりすればOKだし、それが仕事だと言える。
だが、講師がそんなスタンスであれば、それはちょっと問題ありだ。
特に塾講師は、テストや入試で点を取らせることが仕事であり商品であり責任であるからこそ、教えたことは生徒が本番で使えなければ意味が無いと思った方が良い。
難しく言えば、結果よりプロセスをきちんと刷り込むことが大切であり、例えていえば完全なカレーを提供するよりそのレシピをきちんと教えておく方が大事、って話。
あなたが教えた、それかこれから教えようとすることは、本当に問題に通用するのか?そして通用するにせよ、生徒はそれを使うことができるのか?
この辺の問いは、予習の段階で常に持っていたいところである。
ただし、『再現性』を与えるのは超簡単。
だが、この『再現性』を与えることって、別にそんな難しい話では無い。
まず問題ありきで板書を考える。それで十分可能だからだ。
例えば僕は、『不定詞』の授業を作る際、テキストの解説だけを見るなんてことは絶対にしない。
少なくとも、横にある問題には目を通す。そしてその問題の中で難しそうなもの、引っ掛かりそうなものを選び、それを回避するにはどう説明するかを考える。
『不定詞(to V)』の例で言うと、大抵は動名詞との使い分けや、不定詞しか目的語に取らない動詞がバコバコ問われるので、そこを先撃ちすればいいとなる。
余裕があれば、入試問題や検定問題にも目を通し、『実際にこんな風に本番でもでてるぜ』と示しても良い。これは小手先ではなく工夫である。
大体の参考書もよく見ればそういう作りになっており、解説の後は色んな大学の過去問がそこに並んでいる。
これは『今教えたことはこんな風に聞かれるし、ね、解けるでしょ?』というメッセージにもなっていると思う。
『これは試験に出るぞ!!』と200万回言われるより、出題例を1つ見せた方が説得力は圧倒的に高い。
ストックさえあればこの辺の予習はそんなに手間でも厄介でもないので、キャリア2年目以降、ボチボチ自分の味を出したい方は参考にしてみてほしい。
ー逆に言えば、講師の信頼というのは『再現できる!できた!解けるじゃん!』と生徒が実感して、結果を出して、初めて構築されるものだと僕は考えている。
ここが一番難しいところであり、しかも時間が掛かる。
だからこそ、生徒と仲良くなることばかりに注力し、威厳を失い、制御ができなくなり、そして・・というケースは後を絶たない。
仲良くなってる場合じゃねーぞ!と脅す気はない。そもそも嫌われていたら話を聞いてくれないのでスタートラインにすら立てない。そこはそこで、話が別。
しかし同時に、『自分の教えで得をする』という感覚をどう与えられるかも長期的には仕込んでおかないと、『講師』としての力量は伸びないなと強く感じさせられる。
最後はボヤキになったけど、まぁ、今日はこの辺で。