精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『今の子どもは子どもだった頃の僕らより遥かに忙しい。』

年々身長が2~4㎜縮んでいるというと、9割の生徒が笑顔になります。縮んでみるもんですね。どうも、中元です。

 

今日は普段の授業における気付きとかそういうことでは完全になく、ふと思った僕のボヤキって感じ。

 

最近英語の授業をしようと思い、僕が子どもの頃に観ていた『えいごリアン』という番組を探したところ、アーカイブがネット上にあるのを発見。

www.nhk.or.jp

 

子どもたちが観ている後ろで、自分も『懐かしいな~』って思いに浸っていると、何故か突然、ふとした疑問が脳内に噴き出してきた

 

『あれ?俺はガキの頃、もしかして超暇だったんじゃね?』

 

・・・そして同時に思った。

 

『あれ?今の子どもたちって、超忙しくね?』

 

その前提に立って考えてみると、この疑問はそれぞれ確信に変わっていった。別にここからすぐ具体的なヒントが取り出せるかはわからないけど・・・。

 

これはそういう僕の意味不明なふわふわを、なるべく言語化してみる記事である。

 

 

僕が子どもだった頃の”世界”。

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物心ついたとき、僕はゲーム機に熱中していた。学校から帰ると、すぐにそれの電源を入れる日々。それができる時間を増やすため、宿題は学校で片付けるのが常だった。

 

それをしていない間は、テレビから流れてくる娯楽や情報をぼけーっと見つめるだけであった。マジカル頭脳パワーとか大好きだったなぁ。

 

そして土日は少年野球チームに属していたのでそれの練習や試合に行ったり、友達と釣りや昆虫採集をしたりと、そういう子どもであった。

 

・・・そう、平成中期はスキマだらけで、得られる情報は限定的で受動的であり、かつコミュニティは閉じていたのだ。

 

インターネットが存在しない世界。それは世界を思い切り分断していた。少なくとも僕はこの時期、とんでもない無知だったのではと思わずにはいられない。

 

受験という言葉も知らなかったし、さっき上げた以外の娯楽が世界に存在することも知らなかったトイザらスの広告を見る度、世間は広いと思ったっけか。

 

僕にとっての『世界』とは、海外など一ミリも指していない。自分が行くことのできるエリアという意味であり、つまりご近所とそこに属するみんなのことであったのだ。

 

当然選択肢もほとんどない。何を観るか選ぶ余地は、テレビ欄に載っているかいないかしか存在しない。見逃したら当然、諦めるしかない。

 

その当時は微塵も考えていなかったが、僕は相当暇だった。だから宿題をする時間はいくらでもあったし、お利口さんとされる行動もどんどんやれた。

 

今の知恵を全部持ってタイムスリップ出来たとして、その頃の暮らしをさらに効率化しようもんなら、暇すぎて多分死ぬんじゃないだろうか。

 

今の子どもの”世界”。

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一方、今の子ども(~15歳くらい?)を見ると、『世界』の意味は完全に変わっている

 

情報は取りに行けるものだし、不必要な部分はカットさえできるし、海外は身近なものだし、娯楽はそこら中に存在するし、何なら自分が創れたりもする。

 

そう。令和はスキマが無く、得られる情報はオープンで能動的であり、そもそも変化の速度が異常に速い。

 

つまり、どう考えても、今の子どもたちの方が忙しいのだ。選択肢が膨大になった結果、何を選び、何を捨てるかに忙しいのだ。

 

そして、勉強する意義も、ぶっちゃけ僕が聞かされてきたそれは、今の世の中に通じづらくなっていると思う。

 

いい仕事に就くためと言われても、その『いい仕事の中のトップが破産する』ような時代である。

 

というより、何の仕事が消えて、何が生まれるかすら読めない今、夢を厳格にカッチリ決め込む意味とは何なのだろうか。

 

個人的には、夢より自分の価値観を把握することの方が大切で、仕事などその価値観を体現するツールに過ぎないと思ってしまう。決めない方が生き残れる気がする。

 

話を戻そう。

 

選択肢が膨大になり、かつ勉強の価値が下落しつつある世の中なのに、子どもに勉強させる際の声掛けが、数十年前からまるで変わってないとは思わないだろうか?

 

『勉強しろ!』→なんのために?今見てるYouTubeもある意味勉強じゃん!!・・・これは反抗ではなく、純粋な疑問だろう。

 

池の周りをぐるぐるする謎の兄弟が出会う時間より、今の時代で成功を収めている人の語る言葉の方が、知って得するに決まっている。それはもう、バレている。

 

繰り返すが、今の子どもたちは忙しい。宿題を始めとする勉強は、したくないのだ。好き嫌いではなく、他にしたいことが多いという意味で。

 

嫌だとわかっているけど、それ以外することが無かった暇な子ども(≒僕)とは違うのだ。

 

・・・じゃあ、どうやって声掛けしていくのか?という話だが、僕はとりあえず魂を揺さぶるようなメッセージを伝えられるような人間じゃないので、それは無理だ。

 

もっとドライに考えたい。だから、1時間掛かって50の効果といった勉強法を撲滅し、30分で100の効果を得られるようなそれを、徹底して伝えまくっている

 

『そうすれば、今までより短い時間で終わって、好きなことに使えるよね!二兎追って二兎得ちまえ!!』

 

ー正直これも響いたり響かなかったりだが、頭ごなし以外のアプローチは絶対に要るので、めげずに続けたいと思う。

 

ってことでタイトルを再掲して結びとする。

 

『今の子どもは子どもだった頃の僕らより遥かに忙しい。』

 

では今日はこの辺で。

 

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