キーボードを叩くことがこんなに楽しいなんて!!!失って初めて気づくことはこんなにも身近にあるんですね。中元です。
どうでもいいんですけれども、僕は基本的に、ネガティブなニュースには意識して目を通さないようにしておりまして。
例えば芸能人の不倫とか、正直どうでも良いですよね。ただただこちらに後ろ向きな何かを浴びせてくるだけなので。
極端な話、スポーツの選手の特集とかを見てても、『この人を叩きたい』って言う狙いで記事書いたという雰囲気を感じたら、もう読まないですね。
それくらい徹底しているつもりでも、教育とか若者の未来とかそういった自分に関係ありそうなトピックだったら、炎上してるニュースとかでも読んじゃいます。
今日もその1つ読んでいたのですが、その際やり取りとして、非常に考えさせられたことがありました。
それは簡単に言えば、『何をどう読んだらそうなるの?』という不思議さ、強く言えば『読解力がない人は何でそう読んじゃうんだろう?』という感想です。
『いやいや、これはそういうメッセージじゃないよ』って言ってあげたくなるぐらい、ねじ曲げて解釈して騒いでるのが、どうしても気になるんですよね。
ただし大人向けの対処法とかについてはすでにいろんな人が論じていることなので、今日は生徒やご家庭に落とし込める情報をここから考えたいなと。
てなわけで、今この記事を職場に向かうまでの道中、喋っております。
詳細は続きから、まとめていきます!!
読解力がない、とは?
読解力がないなと思ってしまうときの特徴って、ざっくり言うと二つですね。
まず1つ目が、論理の展開の仕方を知らないケース。
ちょっと言葉が堅苦しいんですけども、基本的に物事をわかりやすく説明する方法として使われるのは、演繹法と帰納法の二つなんですね。
簡単に言うと、情報をどんどん積み重ねていって、一番最後に結論を持ってくるのが演繹法で、最初に結論ありきでそれを補強していくのが帰納法です。
前者の演繹法について一番シンプルな形が、公務員試験とかでもよく出てくる三段論法ってヤツでして。
例えば、『チワワは犬である』っていう条件と、『犬は哺乳類である』という条件がああれば、この二つをくっつけて『チワワは哺乳類である』という結論を出す感じです。
そして同じ話を帰納法で考えると、『チワワは哺乳類である』という結論をバシッと書いて、『なぜなら、チワワは犬で・・』といった風に論を進めることになりますね。
・・・ところがですね、こういう論理展開の仕方があるんだよっていうのを知らないと、例え話や条件を出した瞬間、『話を変えるな!』と噛みつかれることがあります。
一見関係無いってだけで、それが必要な情報じゃないと思い込む。『いや、関係あるからさ、なぜなら・・』と理由を説明しても、『ほら、論点ずらし~』と返す。
これは子供だったら可愛らしいもんなんですが、大人にやられたらちょっといただけないです。
揚げ足取りを論破と勘違いしている面倒なタイプに多いですね。昔こういうことをして悦に入る人間がいましたが、とにかくダルかった記憶があります・・。
そしてもう一つのケースがですね、情報の受け取り方が歪んでいる場合です。
個人的にはこっちの方が深刻ですね。これにはいろんなケースがあるんですけれども、最近言葉になったやつで言えば敵意帰属バイアスというのがありまして。
これは簡単に言えば、人からコメントされた時に、それをそういう意図じゃなくても個人攻撃だという風に受け取っちゃうということです。
例えば『その考えにはこういうデメリットがあるよね』と指摘したら、『一体俺の何が気に食わないってんだ!』とキレる感じです。
また別の例だと、すべて自分ごととして考えるってのも、実はそうです。
例を挙げれば、『ニンジンは体にいい』という話を展開しようとして、『野菜は一般的に栄養素が豊富で、どうのこうの・・・って言ってるときに、
『いや、俺、野菜嫌いだから』
という返しをしちゃうのも、これにあたりますね。いそうにない人ですが、ぶっちゃけ時たま、います。そして、面倒だなと思っちゃいます。
意見の一致やより良いアイデアを目的とした『議論』である限り、『俺はこうしたい』という主観的な願望や考え方を混ぜたらだいたいアウトなんですよ。
実はこれって、早い段階から問われる・求められる力です。例えば、中学校の受験の国語も、そう考えたらアウトって風になってまして。
俺はこう思うから答えもこうとか、考えたらその時点で終わりです。だから普段の指導でも、『自分勝手に考えるんじゃねえ』とかやかましく伝えています。
てなわけで、読解の仕方が歪んだまま大人になったらめんどくさいというのは伝わったかなと思います。
じゃあどうすれば、子供の内からこの力を鍛えることができるのか?自分で歪みに気付いて直すことができるのか?
続いてはそれについて書いてみます。
読解力トレーニング法。
まず効果が高いって聞いたことがあるのは、インタラクティブ読書ですね。
これは簡単に言うと、子供がまだちっちゃい時に本を読み聞かせてあげることってあると思うのですが、その際時々質問を子供に投げかけてあげるというものです。
最初は『どう思う?』という風にその子の感想聞けば大丈夫です。
ただ慣れてきたら、『この男の子は何考えてると思う?』みたいな風に登場人物の思いを尋ねるなど、目線を変えて考える訓練をさせるのがすごく大事らしいです。
読み聞かせしながらいっぱい子供に尋ねてあげることで、『考えを伝えよう』という意識が生まれたり、そのための言葉の使い方を学んだりできるってことですね。
あるいは自分にはない価値観や考え方を理解する一助にもなるかなと。これは大きくなってから独学でやるには結構難しいので、早い内から教育するのがオススメです。
ちなみに、ある程度子供が大きくなったらどうするか。難しいんですが、色んな登場人物の心の内が描写されたものに触れるのが良いんじゃないでしょうか。
例えば僕は小学生の頃、全然小説とか読まなかったんですけども、その代わりRPG ゲームにはめちゃめちゃハマりまして。
『なぜこのボスキャラは、悪の道へ行ったのか』とか、『この人は善人として描かれてるけど、実はそうじゃなくね?』とか、結構深いことを考えて学べるんですよ。
もちろん優れたツールは何もそういうRPG だけじゃなくて、子供がハマれば小説や漫画とか、何なら学校生活からでもその辺は学べます。
要素があればいいって話なので、何から学ぶかはあまり気にしないでいいかなと思います。
ちなみに、完全に大人になってから、自分の感情を制御するにはどうすればいいか?これに気付ける時点である程度制御できているのは置いといて、一応方法はあります。
例えば、会議でアイデアの欠点を指摘された際、『俺を攻められた!』とちょっとイラついちゃったとしましょう。
この際は、『俺は今何でカッカしたんだろう?』って風にまず自分に問いかけて、その理由をちゃんと言葉にしていくのがオススメです。できれば書き出したいところ。
そうやって分析すれば、『この人は僕に自分に対して別に悪口言ってないんだ』といずれ認識できます。そしてコツコツと、この経験値を貯めていくしかない。
かくいう僕も結構認知が歪んでまして、例えば会議とかで反対意見が出るとどうしても一瞬。人格否定されたと受け止めがちだったんですね。
ただ最近は意識を正す練習をすることで、『別に悪口じゃない』とか、『この場面で悪口言うわけねーじゃん』とか、自分を納得させることはできるようになってきた。
つまりこの辺も、結局泥臭い練習が大事かなと思います。
さて、今日は読解力の話についてうだうだと喋ってみました。
こんなこと言ってる僕も、別に日本語とかのプロじゃないので、時たま論理的な考え方から踏み外すこともあり、全く頓珍漢な答えを出すことももちろんあります。
それでもですね、この能力ってやっぱ鍛えておいて損はないし、逆にちゃんとある程度のレベル以上にしておかないと思いっきり損するスキルでもあります。
だからこそ、その力が不十分でないかどうかは、お子さんがどうかってだけじゃなく、自分もどうかってのも含めて、見つめていただくのが良いのではと思います。
では今日はこの辺で。