二日酔いになりかけて「今日は断酒しよう」と誓った数時間後に、晩酌のことへ思いを馳せる真正のクズ、中元です。
さてさて。これを言ったら講師として大丈夫かと訝しがられるのだが、最近集団授業の調子が悪い。
説明したいことが伝わりきらなかったり、本来予定していたところまでいけなかったり、逆に超過したりと、つまりコントロール性が薄くなった感じだ。
売り物の質が下がれば、どんな業態で何を扱おうが終わりである。だから僕は、ある種瀬戸際なのだ。(そこまでテンパってもないけど)
しかし、実はその"歪み"を直すルーティンはすでに作成しているので、それをなぞれば結構あっさり復活する。
今日は手前味噌だけど、それをここに文章として紹介しておこうと思う。
スランプになる僕なりの原因。
僕がスランプになるとき、その直前の行動を思い返すと、大体以下のどれかになる。参考にされたし。
①指導する学力層と乖離した生徒に授業をした際。
例えば中学2年生の英語の授業がそこまでしっくりいかなかったとき、大体その前に高3に共通テストを教えていたり、逆に超英語苦手な奴に個別授業をしていたりする。
つまり、指導する内容に対し、レベルが上か下に思いきりズレた授業をした直後は、油断すると質が落ちることがあるのだ。
なぜこれによって説明が鈍るのか考えたが、たぶん【適量の説明】や【例えのレベル】が無意識に乱れるからだと思っている。
例えば共通テストを教えるには説明をコンパクトにしなければ冗長になるが、苦手な生徒にシンプル過ぎる説明をすると、まず理解してもらえない。
要するに、説明がシンプルになりすぎたり、逆にだらだらと長引いたり、極端になってしまいがちというワケで。
ここは結構盲点だと思うので、ポイントとして着目してみたら発見があるかもしれない。
②【喋る系】の媒体からたくさん情報を得た際。
最近、いろんな方の切り抜き動画にハマっている。
しばらく動画を観てから授業に臨むと、笑ってしまいそうになるのだがその説明の仕方やテンポなどがしっかりとうつっているのだ。
もちろん他人のコピーが狙いで動画やラジオから勉強しているならいいのだが、別にそういう意図がないのなら、単にフォームが乱れた状態と言える。
黒板を使った【授業】と喋りのみの【説明】、用意された単元を解くためのそれと質問に答えるためのそれは、似ているようで、それぞれ全部違う。
別に講師業に携わっているからって動画を忌避せよとは言わないが、それの影響で説明が変になっていることはあり得るので、考えた方がベター。
③単元やテキストの知識が抜けている際。
これが恥ずかしいけど一番多い。忙しくてテキストとかを読む時間が取れないと、例えば本来教えるべきひっかけの例文を先回りすることとかが、きれいに抜ける。
「解けた!」という感覚を生む最短の方法は、テキストの例文が解けるように逆算して説明を組み立てることだと考えているので、そこが抜けたら全部パー。
天狗の鼻は簡単にへし折られる。ここは自分がその能力に習熟しているかどうかとは別問題なので、気を付けた方が良い。
・・・では続いて、それらを一気に叩き直すルーティンをご紹介しよう。
僕のスランプ脱出法。
さて、どうやってスランプから脱出するか。大抵はその原因を潰す行動を取ればいいので、僕は以下の手段をよく使っている。(といっても2つしかないけど)
①板書計画を作り直す。
基本的にして超絶効果的なのはこれ。少し失った自信も取り戻せるので、初心に立ち返るのが結局一番いいのかもしれない。
白紙に「どんな板書をしながら授業をしようかな?」と、シミュレーションを書きなぐることである。この修行をしない講師っているのかな?
さて。ちなみにその際のコツなのだが、【なるべく生徒が使うテキストの例文を使うこと】と、【既存の知識に結び付けること】は外せない。
例えば、なんの前触れもなくhave+V.p.pと教えるより、【文法のルールとしては助動詞のに近い】と先打ちした方が、反応はよさげなのと同じである。
この辺も自分がきちんと守れているか、確認しつつ書き出したいところである。
②他の人の授業動画を観る。
最後は、【授業の動画】を観ていっちょあがりとなる。繰り返すが、【学校で習う単元を理解させることを目的とした動画】である。
ソフトボールの練習動画を延々と観ても、野球になかなか応用できないのと同じなので、似て非なるものを観ない方が良いと僕は考えている。
ちなみに時間が取り切れないとか、wifi環境がないとかなら、【参考書を読む】だけでも色々と違うので、そちらも使ってみていただければと思う。
終わりに。
ということで、最初から高いクオリティをずっと維持できればそれほど楽なことはないが、やっぱ人間なのでどっかで崩れたり乱れたりは前提として考えた方がいい。
大事なのは、【そこからの立て直し方を知っているかどうか】なので、転ばぬ先の杖ではないけれど、手段として考えておく方が色々心やすし、ではなかろうか。
ということで今日はこの辺で。