精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

日本語も英語も、【読解】は〇〇語を理解することが始まりですよ、というハナシ。

おはようございます。いよいよネタがなくなってきて、マイクをセットしてから30分無言で車を走らせておりました。中元です。

 

で、結局何を語るかなんですけれども、今回のテーマは【国語】です。実は今の職場でもあまり認知がないんですけど、僕現代文が得意なんですよ。

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英語の指導ばっかりしてますけども、国語もセンター試験で8割強くらいあったんで、別に教える分には問題ないと思ってます。(古典はちょっと勘弁してほしいですが)

 

そんな国語ですが、手応えがつかめて点数が伸び始めたのって、実は高校3年の6月ぐらいなんですよ。

 

そこまでは、偏差値が40半ばから50後半までテーマによって完全にばらばらであり、カンで解いてるヤツあるあるの、得点が全く安定しない状態に長いことありました

 

では、その状態から、小説も現代文も安定して偏差値60半ばをたたき出すようになったきっかけは何なのか?それは、東進衛星予備校の、ある講師の映像授業です。

 

今までこの教えを言語化するのはとても難しかったんですが、最近そこで徹底して教えていたことが、じわじわ言葉にできるようになってきました。

 

つまり、自分の現代文の点がなぜ伸びたのか、説明できるようになってきたという感じですね。今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

 

基本にして全て。

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現代文(ついでに英語の長文も)の点が高止まりするコツはですね、接続詞を丁寧に追っていくことです。

 

例えば、【文章】というくくりを一個細かくすると【段落】になりますよね?それをさらに細くすると、【文】になります。

 

そしてその【文】と【文】、さらには【段落】と【段落】にも、様々な関係がそれぞれに必ず存在しています

 

筆者の主張はAであり、この【文】はその主張を説明するための補足で、この【段落】はそれを更に詳しく説明するための例え話になっている、という感じです。

 

そしてそれぞれがどういう関係性を持っているのかを示すサインが、いわば【接続詞】です。"つまり"の後は、要約された前文と同一の内容がくる、という風に。

 

そしていわゆる【論理的】とされる文章には、接続詞がふんだんに使われているものです。それが少ないと、難しいのベクトルが違う文章なのであまり採用されません。

 

大体の中学・高校・大学受験の英語・国語の、特に説明文というのは、その辺の関係がきちんとわかっていれば非常に素直に読み取れるんですね。

 

もちろん内容そのものが難しいケースもありますが、基本接続詞を辿っていけば、「主張はどっちだ?」といった答えの肝は必ずつかめるようになっています。

 

ちなみに、先に述べた映像授業の中でやってたことも、丸つけるなり線を引くなりして、接続詞に注目し、かつ前後の文を見た時の関係性を捉えることが大半でした。

 

そのうえで、「ただし」と「しかし」という接続詞があれば、働きは似てるけど、「しかし」の後の方が大事な情報だよねという接続詞の働きを学んでいきました。

 

あとは論理パズルの逆・裏・対偶みたいな話までちゃんと出来るようになってからは、説明文で極端に崩れることはまずなくなりましたね。

 

基本的なテクニックとか、そもそも【語彙】が少なければ読みようが無いといった基本的な要素ももちろんあるんですけども・・・。

 

接続詞を知ってるか知らないかで話が全然変わるって言うのを、知らないというケースもマジで多いです。つまり、学習のテーマとして、サボられがちだと。

 

逆に言えば、国語の点数が伸び悩んでいるとか、国語の勉強って何かしっくりこないなーって人は、漢字の勉強とかと同時に、接続詞の働きについても学ぶべきかなと。

 

例文付きのドリルか何か買ってきて、「あぁ、本当にそうなってるね~」と逐一確認しながら、丁寧にちゃんと勉強した方が良いと、よく思います。

 

少し余談です。

 

よくわからないっていう人も多いですし、僕ももしかしたら解釈が厳密には違うかもしれないんですが、【論理的思考力】ってつまり何なのか?

 

これは、【誰かが発信した文章を、ルール通りにそのまま添加物ゼロで読み取る力】じゃないかと思うんですよね。

 

ちなみ広義には、【変な誤解を生まないように、伝えたいことを相手に届ける力】も含まれます。

 

さて。

 

国語や英語の問題を解いていると、よく「自分勝手な読み取り方をしてはいけない」とか、「書いてない情報を引っ張ってこない」とか言われると思うんですけども。

 

それはですね、あなたが読み取った情報は、筆者の考えとズレているからなんですよ。それがなぜわかるかというと、接続語がカギ。

 

例えば、【A、しかしBだ】という書き方があったとき、大体筆者の主張はAじゃなくてBです。これは、「しかし」という接続詞にそういうルールがあるからです。

 

「つまり」って言葉を使ってれば、その後は主張や要約。「例えば」という部分があったら、直前のテーマをかみ砕いて説明している箇所。こんな風に。

 

ということでやはり、接続詞は国語・英語の問題を解く前の段階、サッカーで言う「試合云々の前にルール覚えなさい」という最低限のルールです。

 

そこができない、わからない、知らないっていう状態だと、スタートラインにすら立ててないという状態なんですね。

 

そしてだいたいここは、センスだとか何だとかで片付けられることが多い部分でもあります。

 

正直僕もプロと胸張ってできるわけじゃないですし、そういうことを専門に研究したこともありません。

 

しかし、ひどい読み取り方をするような能力でもさすがに無いとは自負しています。

 

その理由は、【接続詞】についてある程度マスターしているから、その働きに沿って情報を拾えば、読み違いは基本的に発生しないからです。

 

フォームさえきちんとマスターすれば、プロになれずとも、ゴルフでそこそこの距離を飛ばせるようになるのと似ています。

 

そして論理のプロまでいかずとも、入試は解けるようになっているものです。そこは割り切っていいんじゃないでしょうか?

 

では今日はこの辺で。

 

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