真夜中にカラスが鳴いていると、現実離れしたどこかにいる感じになりますよね。僕、お化け嫌いなんですけど。中元です。
さて。先にネタ晴らしすると、5月はもうフル休みがない。自分が望んでそういうスケジュールにしているとはいえ、工夫が無ければたぶん潰れる。
・・会社の人には誰にも言ってないのだが、僕はこういう極端な過ごし方を通じて、色んな実験をしているところである。
その中身はまだ結果になっていないのでむにゃむにゃさせておくが、得た学びをダイレクトに、そして大量に実践し、経験値を得るような感じ。
そのためには、実践投入できる場は多い方が良い。じゃあ必然的に、多く打席に立つ必要があるわけで。
要するに、したいことがたくさんあるからたくさん授業を入れているだけ、である。心も体も元気なので、そこは安心してほしい。
そんな無茶苦茶ウィーク、いざスタート。
- 5月11日(火) ―基本に立ち返る、とは?―
- 5月12日(水) ―雨が嫌い。他の人と違う意味で。―
- 5月13日(木) ―勝チタイ―
- 5月14日(金) ―SVOC―
- 5月15日(土) ―伝えて伝えて伝えて、伝えて―
- 5月16日(日) ―矢面に立つ―
5月11日(火) ―基本に立ち返る、とは?―
詳しい経緯は本当に些細なので割愛するが、今週は実験として、【お笑いのネタを書くような気持ち】で板書計画を作り直している。
つまり、【自分がオモシロイ】と思う要素を練りこんで、生徒というよりライブに来たお客さんを笑わせるというイメージで、授業に臨むというハナシだ。
こうすると、とりあえず僕は楽しい。楽しいから、自然に笑顔が出る。でもそれだけだとただのお笑いライブになるので、なるだけ単元には絡めつつ。
どっかで読んだが、「書きながらニヤニヤしていないと、そのネタはつまらない」のである。それを踏まえ、自分に正直になったら、すごい板書ができあがった。
これがウケるかどうかはマジ未知数だが、実戦投入してフィードバックを得ないことには何も始まらない。
勇気を振り絞り、スベるの承知で頑張ってきます。
5月12日(水) ―雨が嫌い。他の人と違う意味で。―
片頭痛持ちだ。だから、雨の日は嫌いだ。気圧が低いと頭痛がしょっちゅう発生するからだ。二日酔いのズキズキに似ているし、熱っぽさも発動するからややこしい。
―僕自身は心の底で、【気圧が低いこと】と【頭痛がすること】は、関係ありそうだけど実は無いことだと思っていた。
ウコンを飲めば二日酔いにならないというのが実はエセらしいのと同じで、理屈的には辻褄が合っても、その実がどうかというのは別問題なのだ。
しかし今日ふと調べてみると、その希望は打ち砕かれたっぽい。
なんと、【気圧が下がれば痛みが増すこと】には関係がある*1らしいのだ。
この論文と記事によれば、低気圧の際に痛みが増強されるのが認められたそうで、関係としては認めてよさげ、という話であった。うひょ。
しかし、痛みの増強とは関係があったが、その論文内では【頭痛の発生】との関係は書かれていなかった。やはり気のせいなのかなぁ・・。
と思っていたら、【発生とも関係あるよ】という論文も発見*2。つらたん。
天気が悪くなれば頭が痛くなる。これはもう天命ですなぁー。あきらめて付き合っていくことにします。
5月13日(木) ―勝チタイ―
僕はむやみな他者比較こそ、精神を病むからと自分にも生徒にも否定的である。しかし、それもやはり、考え方と使いようだ。
それは一旦置いておいて自分の話を少々。今日ふと気づいたが、僕は軽んじられることが大嫌いらしい。普段ならスルー出来そうなイライラが、何故かできない。
詳しく言うのは難しいので抽象的に言うと・・。ある依頼を出したところ、「なんで立場が上の俺がせんとダメなん?」と半ギレられながら怒られたって感じ。
その依頼は解決済だが、なんというか、疑念が膨らんで仕方がない。軽い謝罪が後程あったとしても、喉に刺さった小骨のような引っ掛かりは消えないだろう。
さて、話を戻す。僕は立場が下。これはつまり、職歴の長さのことだ。これが全てを決めるなら、僕は何をしても、先輩方に意見を通すことはできなくなる。
だが、そんな話があってたまるか。こんな面白くない状況、変えないでどうするか?ではどうすれば変わる?
仕方ねぇ。数値を出すしかない。結果で意見をごり押すしか、僕が現状を打破する方法は無いと見た。
いつ以来の反骨心だろう。でも、気分的には悪くない。色んな作戦を立てるため、色んなことを勉強して試したい。
ただ、偏頭痛が激しいから今日は無理だな。明日から本気出す。出すったら、出す!
5月14日(金) ―SVOC―
英語の五文型に向き合っていると、頭が痛くなってくる。普段意識しない部分に意識を向けさせて、しかもそれを判別できるようにするとか!
不毛だな~と思わされる。理解の一助にしても良いとは思うけれど、それそのものを問題として問うのってどうなんだろう。
格闘ゲームにおいて2つのアッパー技を見て、空中コンボに繋がるのはどっちで、コンボの〆に使うのはどっちだと問われるのに似た気分だ。つまりどうでもいい。
ワクワクして入学した高校の最初に待っているのがこういうのだと、気が滅入る。僕が15歳の頃はどう感じていたのか。もうそれを書き残した資料は存在しない。
しないけど、「ワァ!五文型って面白いヤ!Wow!」みたいないけないクスリをキメたようなことは絶対に考えていないとは断言できる。
五文型どころかSVOCの意味すら理解しないままでもセンターで8割取ることは可能なので、必須というより必要な人は使えばいいサプリ的な知識だと思えてならない。
心の底から、気の毒だなぁと思っちゃう。どうしても、思っちゃう。
5月15日(土) ―伝えて伝えて伝えて、伝えて―
毎週土曜日は本当によく喋る。スタートから終わりまで、ずっと授業授業で一日が埋まっているためだ。
おかしくなるくらい授業をしている気分になる。アウトプット過多。ひたすらに誰かに何かを伝えていると、頭が萎んじゃうんじゃないだろうか。
となれば、時には授業準備が10分しかないとかザラだ。教えそのものは頭の中にあるが、その伝え方という意味でネタを作る時間が取り切れない。
そこで最近は、オフのときにYouTubeを観ながら、このネタを基に授業をしようとかそんなことを考えるようになっている。いわば仕事以外の時間で仕込んじゃうのだ。
それは休んでるとは言わないのでは?と思われるだろうが、今のところ、この考え方は自分にとってしっくり来ていると感じている。
いつだって考え方次第では授業準備中なのだ。前向きに考えとこうと思います。
5月16日(日) ―矢面に立つ―
批判が怖い。誰かかから注意されても、すべてに対し必要以上に恐怖してしまう実感がある。性根がおこちゃまなせいだろうな。
だがこれについて、一つ自分なりに実感していることがある。それは、怒られる経験にブランクが空いているだけというものだ。あるいは経験値の不足。
というのも、以前記事にしたが、僕は部活をサボり爪弾きに遭い、授業態度が悪すぎて先生に疎まれ、という風に、批判や非難を食らいまくってきた側なのである。
だから経験値はベテランなのだが、なにぶん表立って怒られ倒す時期が終わり、結構期間が空いてしまった。
すなわち評価される側として、コメントを貰いまくる場に身を置けば、だんだん辛辣なことを食らうことに鈍感になり、色々と仕分けできるようになるのでは、と思う。
これは叱責か?これは忠告か?これは暴言か?これは取るに足らない感情論か?
そうやって選り分けることが健全な受け止め方と思うんですよね。ジャッジされるときは怖いけど、それもやはり慣れだろう。慣れでしょう。
もう少し表立たないと、僕は何もできないのでは?恐怖と不安と必要性の間で、今日も少し悩みました。
では今週はこの辺で。