最近お腹が再び緩い中元です。下痢って色んなこわ~い病気の初期症状でもあるから、むやみに楽観視できません。ぴえん。
さて。今日は少しコラムめいた話を書いてみる。
最近漢検対策の授業を担当している関係で、予習を結構重ねているのだが、特に部首において例外が多くて大変である。
例えば「衰」の部首が「衣」とか、ちょっと強引すぎやしませんか、と。だから過去問を解いては、納得できない箇所に印をつけて、まとめて検索しては説明を考えている。
すると、だ。すっごくぼかしていうと、質問する側も回答する側も、自由に参加できる
Webサービスのそれが、時折ヒットする。
もちろん有益なことも書いてあるが、同時に結構な確率で、ずいぶん上から回答をしているなぁ・・というコメントを見つけてしまう。
今日はそのコメントについて、ちょっと思うことを書いてみる。
【衒学的】なオーラを纏いし回答。
僕が引っかかる回答とは何か。
それは例えば、「衰の部首は衣です」とかで止めておけばいいのに、「知らないのは努力不足ですから、学習をもっと頑張りましょう」と付け加えるような感じだ。
これって一皮めくれば、「知ってる俺は頭が良いし、知らないお前は俺よりバカ」というメタが込められている気がしてならない。
そしてこの手の回答って、タイプは様々であれ、意識すれば結構目立つ。
別の傾向だと、「知ってるけど教えない」ってのもある。例えば、「ここで質問するのではなく自分で調べましょう」といってURLだけ載せるアレだ。
これがベストアンサーになっているのをたまに見るが、ただの皮肉じゃね?と思えて仕方がない。
―さて。一体どうしてこういうコメントが出るのか。実は僕がこの塾講師を選んだ理由の1つにも通じることがあるのだが・・・。
何かしらのコンプレックスを抱いているからじゃないかなと思う。どういうことか、説明しやす。
まず僕自身、中学の頃は問題児だったという自覚がある。振り返れば周りの友達はそんな風に評してなかったらしいが、僕が僕をそう解釈していたのだから頂けない。
そして基本、過去の汚点はひっくり返らない。黒歴史は永遠に黒歴史というのが大半なのだ。
しかし、それをひっくり返す方法は、実はある。過去の汚点と思うことを活用し、現在で成功を収めることである。
僕の場合であれば、逆に中学生を導く側に立つことで、劣等生だった自分を肯定できるというワケで。
正直そういった捻くれたモチベがゼロだったかと言われれば、多少あったとは絶対に思う。僕は自分が救われたくてこの仕事を選んだって記事、書いたことあるし。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
さて。ここまで書いたうえで最初の話に戻ると、多分それと同じじゃないかなという心理が垣間見えてくる。
それは【優越コンプレックス】だ。
アドラー心理学における言葉なのだが、簡単に言えば、
「俺はすごい!お前に勝ってる!お前より上!というのを、成長しようと努力することなく吹聴する」
という感じである。これはある種、かなりこじれた心理であり、放置すると自分の成長が止まるばかりか、周りから人が消えていく。
例えば「有名人と親戚だと言いふらす」「一流大学を卒業したと自慢」「得意分野を別の誰かの苦手分野と比較し、勝ってると言う」といった言動がそれに当たる。
さて。それを踏まえて、最初に紹介したケースに戻ってみよう。
この目線を適応すると、「知らないのは努力不足ですから、学習をもっと頑張りましょう」というセリフの捉え方が変わる。
これはつまり、「教える」という行為に見せかけたマウント、すなわちネジくれた自己肯定ではなかろうか。
どうでもいいのだが、こういうすごく「わからんお前はバカ」という意味合いを感じる説明で、「うわ、すっごくわかりやすい!!」と思ったことは皆無である。
これはなぜかというと、多分大体は自分をすごく見せることが目的なので、他者が理解するかしないかなんて、知ったこっちゃないからでなかろうか、と。
むしろ、理解されたらバカと思われるという考え方をしちゃうケースも少なくないので、こういう人はそもそも教えることに向いてないかな~と、僕は思ってしまう。
さて。ということで、やたらめったらと教えたがる人がいて、しかも別にそれを真面目に聞いて得られることが特にないなら・・・。
少しその裏にあるメンタルに思い馳せてみるのはどないでしょう。
では今日はこの辺で。