遂に「30」回目のルーティン記事に辿り着いたのですが、そこまで行くと、数字を〇で括ってくれないんですね。なんか、チープ。中元です。
さて。今週から来月頭にかけて、裏方業務が多い僕は、マジで大変なシーズンが始まってくる。もちろんプログラマーほどじゃないが、PCと向き合う時間が爆増するのだ。
それに加え、今週末にはある発表ごとが控えているため、その準備も当然存在する。しかも、普通に授業は回るので、時間としても限られている。
我ながら少しテンパってしまう状況なのだが、こういう時にはどうすれば良いか、実は既に経験則が完成しているので、まだ平和だ。
ってことで今週は、実体験に基づく主観的な方策だらけだけど、塾講師あるあるな作業をゴリゴリ片付ける方法をまとめた、超同業者向けな記事にしようと思う。
じゃ、今週も頑張っていきましょう!
- 6月22日(火) ―敵を知ることが全ての始まり―
- 6月23日(水) ―アイデアを形にするために―
- 6月24日(木) ―昇華―
- 6月25日(金) ―お披露目―
- 6月26日(土) ―寝たい―
- 6月27日(日) ―こうなりたい自分―
6月22日(火) ―敵を知ることが全ての始まり―
個人的な意見ではあるけれど、頭の中だけで考え事をしていると、それが非常に大変で、解決方法も見えない、かつ大量に存在する何かのような気がしてくる。
しかし、それを紙か何かに書き出してみると、それが「うわ、思った以上に大変だ!!」という感想に至ったことは、人生で一度もない。
確か「決断力」にも書いてあったけれど、「恐怖とはその対象の実体がわからないから抱くものであり、それ以上でもそれ以下でもない」という話なのである。
ってことでテンパっているのを察知したので、今日は出社早々コーヒーを飲みながら、手帳にしなければならないことを10分くらい書き殴った。
書き殴りながら、「どうすればクリアにしようか」というボーダーを横に設定する。これがコツだ。
例えば「授業をつくる」という行動を書いたとして、何をもって完了となるかわからないと、実はアクションのとりようがないのだ。
「対策授業の担当を決める」のではなく、とりあえず「水・木」のコマを決めると考えて、「ではまず、講師のスケを吸い上げよう」→「LINE打とう」と進む。
こうすると自分でゲームのクエストを作って、自分でクリアしていく感覚になるのでオススメだ。
まずは取り組むべきと思うことに形を与え、対策法をバコバコ考えてから行動する。もちろん経験則があるのなら、頭で考えずさっさと動いちゃえばいい。
しかし僕は、例えば将棋の定跡にも一工夫入れたくなるのと同じで、あまのじゃくな性格であるがため、前よりもラクに早く作業を終わらせたいと考えるタイプだ。
だから最初は数分じっくりとシミュレーションして考えているのだが、それを「さっさと動け」と突かれることもある。
今はもう慣れたのでスルーしているが、慣れるまではちょっと辛抱がいるかも。ま、性格と周りの状況に応じて、柔軟に変えてみてほしいなと思う。
6月23日(水) ―アイデアを形にするために―
塾講師の売り物は授業だ。いかに生徒の力量に直結するような形で知識を伝えるか、その良し悪しが実力と給料を決めると考えている。
そして授業は、まさに【創造】である。形ないものをゼロから作るわけなので、アイデアを生み出すことに関しては、マジで頭をずっと抱えてきた。
当然それに関するヒントを探して色んな本を読んだり実践したりしてきたが、その中でもしっくりくるフローが、自分の中にやっとできた折である。
①さっさと試作品を作る。
②とっとと実戦形式で使う。
③あえて寝かせる。
以上である。例えば今、発表用の授業を作っているが、その板書計画は5分で一回作り、脳内で授業している自分を想像した。
すると、「全然しっくりこないこと」にその場で気付いたため、とっととテーマを変えてリベンジ。今度は、割といい感じに回りそうなアイデアが出た。
そして今日は、本番で使う用の教材を、イメトレしながら作成したところである。ホントはホワイトボード使って練習したかったが、超残業になったので帰っちゃった。
だが、それでいいとも考えている。持論として、【あるアイデアを形にするとき、睡眠を2回以上挟んだそれはクオリティが上がる】と考えているためだ。
例えば、ある授業のアイデアを考えて、紙に書いておく。それを職場に置いて帰り、翌日見てみると、結構な粗や、よりよいアイデアを閃くものである。
それをガリガリと直し、できれば練習もしてから、帰宅。その翌日にまた見直すと、結構完成形として仕上がっていることが大半だ。
逆に、睡眠を挟まずに時間をかけても、ろくでもないモノが出来てしまう。徹夜明けとか最たる例だろう。寝ないことは質を下げる。お客様に失礼だ。
アイデアは生んでから、育てるもの。ピクサーの本に書いてあったが、言い得て妙だし、その通りだし、塾講師や教員も心に留めておくべき考え方に違いないと思う。
6月24日(木) ―昇華―
いやぁ、今日はマジで激怒された。あまりに強く怒られたので、なんか感心するくらいの怒りを浴びた。
原因をコンプライアンスに抵触しないところまで語ると、口止めされていたある情報を僕が抱えていたのがバレて、共有しなかったことに雷が落ちた、という感じだ。
そして【部署を預かるものとして失格】という厳しい評価をいただいた。まぁ、これは仕方ないよな、と。
失敗したとき、すねるのも省てるのも、愚痴とともに居酒屋に置いてくるのも、また違う。大事なのは自分との対話と分析、そしてこれから打つべき手だ。
すると、だ。「俺、驕ってたな~」という言動の節々に気付かされた。
成果はそれなりに出していたが、それにより慢心していたというか、自分はチームを率いている錯覚に陥っていたというか。イタい。イタすぎる。
責任者なんだから、情報に対する責任は背負ってしかるべき。そういう勘違いがこういう結果につながったこと、重く受け止めなければならない。
僕は地に足を付けるときなんだ。僕はあくまで野球でいう打撃コーチのようなもの。打撃を伸ばすのが仕事だが、責任を負うのは監督を始めとする首脳陣だ。
自分でケツを拭けるような立場も肩書もないことを、今ここに至って強く実感した。驕れるものは久しからず、という話だ。
打撃コーチがチームに対して意見して、引っ張って、好き勝手する。主客転倒も甚だしい。冷や水をぶっかけられて、僕の隠れた傲慢さに目が覚めた。
全員からそっぽを向かれる前に気付けてよかった、ホントに。僕はあくまで責任を持っているのではなく、その管理を預かっているに過ぎないのだ。
自分勝手に好き放題施策を打つのは、出世した後の自分に任せよう。僕は、預かるものとしての職務を全うする。
だから今日から、命令されたわけではないが、預かる部署で起きた出来事をたとえ些細なものであろうとすべて言葉にして、終業後に日報を送ることにした。
こうすれば、顔を合わさずともやり取りができるし、いちいちお互い手を止めて、すべての出来事を口頭で共有する必要もなくなる。
これで多少は、失敗を昇華できたかな?自分の驕りを内省して正し、そして問題を解決するシステムを生んだ。これでいいや。これでいいだろう。
僕は組織の中で生きて仕事をしている。その状態である限り、そのルール内で通じないワガママは、捨てるに限るのである。
6月25日(金) ―お披露目―
今日は憂鬱だった発表の場だった。一応つつがなく終わり、可もなく不可もない出来は少なくとも出せたと自負している。
だが、+αも出せていないとも感じている。実は白状すると、大人に向けた授業というものに、あまり興味が無いからだ。
僕の目線はずっと生徒に向いている。あるいは、大人といっても子を持つ保護者限定だ。実はこのブログも、大体はどちらかに向けて書いている。(たまに同業者)
―そういう熱を感じられない状態だったので、入れ込みもさほどではない。奮起の意味も込めてひどい点を付けられる未来が見えるが、興味が無いので頂けない。
数年前の、周りの顔色ばかり気にしていた自分だったら考えられない思考である。自分の価値観を第一にして、どうでもいいものを気にしない。成長かな?
とりあえず、肩肘の力が良い感じにどんどん抜けている。張り詰めた【偽りの】責任も肩からどさどさと落ちている。
色んなものを外している状態だが、外れきったらどうなるのだろう?少しの期待と、結構な不安がもたげてくる。
ちなみにどうでもいいが、僕の立場が上がるという噂がこのタイミングで回ってきた。ただ、今と変化のない名ばかり責任者という未来が見えたら、辞退するつもりだ。
さて、どうなる?あくまで俯瞰しながら、行く先を見つめたいと思います。
6月26日(土) ―寝たい―
明日、6:45に起きねばならない用事がある。僕は普段9:30起きなので、普段学校に行くために6:00に起きる人が、朝の3:00に起きるのと同じくらい大変である。
そのために睡眠を最優先し、スケジュールをガコガコと埋めているところだ。家に帰ってからすることは【飯と寝ること(と晩酌)】に限定し、帰ってから30分で入眠を狙う。
だからこのルーティン日記も、1日の真ん中に書いているところだ。それゆえ、出来事がま~るで、ない。
強いて言えば・・・今日は普段より体力が残っているってことくらいかなぁ。振れるとちょっとでも思った仕事を振りまくってみると、こうなった。
つまり今の自分にはバッファがあるので、新しい仕事どんとこい、なんだけど・・。とりあえずはなんもないらしい。
だからさっさと帰って、あぁ、寝たい。純粋なこの感情。大事にしよう。そうしよう。
6月27日(日) ―こうなりたい自分―
未来のキャリア設計を考えましょうという言葉に違和感を覚える。1年後ならまだしも、5年後・10年後の自分とか、想像しても無駄だと考えている。
理由は、19歳の頃の僕を振り返っても、29歳の今の僕がこうなっていることは、全く予測できないためだ。
もちろん歴史の授業みたく、それっぽい論理をつなげていくらでもちょろまかすことはできるが、それは過ぎ去った時間になったからできる話だ。
10年後、確実だとわかること―。それは正直、何もないので、ヘンに設定すると逆に足かせにしかならないだろうなと。
もしかしたら塾講師という仕事が滅亡しているかもしれない。それどころか、もしかしたら僕はそもそもこの世にいないかもしれない。
10年前の自分が書き残した日記を読んでも、29歳の時にまさかこういう価値観でこういう生き方をしているなんてこと、1㎜も想像できていなかったとよくわかる。
僕は理想の自分が特にない。理想の状態を持たない自分。それがある種、理想かも。理想がないってことは、今が満ち足りているということだから。
・・・強いていえば、本当に強いて言えば・・。
僕は自分のケツを自分で拭きたいかなぁ。誰かの下で結果を生むことが、そこまで面白くない自分。でも、それを求められてもいるわけで。
僕は誰かの下に就いているから今の結果が出ているのか?それとも、飛び出した方が成果を持ってこれるのか?
これこそまさに答えが出ない問題だ。だが取り組みたい未来でもある。一度全体の前で表明はしたが、真剣さは伝わっていなかったのかもしれない。
もう少し、がんばりましょう、だな。
では今週はこの辺で。