ジンという酒をダイエットコーラで割って飲むのが好きですが、翌日90%くらいの確率で二日酔いになります。肝臓がいつ仕事放棄するかな~。中元です。
さて。今日は結構タフな話を書いてみたいと思う。教育関係の本をザッピングしていると、とにかく【否定的な言葉を浴びせること】の負の側面が書いてある。
例えば、勉強ができない子がいるとする。これに対し、「なんでできないんだ!」という否定的な声掛けは何の解決にもならないのだ。
まずは肯定から入り、自己重要感を満たしてあげたうえで、解決策を一緒に考える。良い兆しが見えたらすかさず褒める・・・。
このプロセス、どの教育関係の本にもそう書いてある。つまり教育における数少ないテッパンであり、絶対にやってはいけない行動の際たるものなのだろう。
―ただし。白状するが、僕はこれがハッキリ100%その通り腑に落ちていたかと言われれば、実はそうではなかった。
理由は、僕が僕のことを【否定に鈍い人間】だと思い込んでいたためだ。
例えば、部活をサボっていた時期、あからさまに無視されていたことに、指摘されるまで気づかなかった能天気野郎である。
だから、【否定】ってそこまで強いパワーを本当に持つのかなと、実例や実体験の多さから察してはいたが、どうしても自分事に思えなかったのだ。
心底納得しているわけではないことを人に伝えることは難しい。まして実践するとなればなおさらだ。
・・そういう風に、最近まで考えていた。つまり、今は違う。今は、【否定】が与えるマイナスのパワーの強さを、まざまざと感じているところだ。
今日はそんなお話である。
へし折られた精神的な支柱。
まずは、それがわかるようになるまでの経緯をお伝えしておく。
僕は今年で入社6年目である。だが、「名目」以外、肩書らしいものは特に持っていない。大手の塾ならあり得るポジションだが、中小でこれはちょっと寂しい。
だから数年かけて色んな資格を取って、リスクも承知で高い難度の授業も担当し、プレイヤーとしての箔は付けてきたが、それだけでは立場に影響の一切が無かった。
そこで今年は、何度か日記内でほのめかしてきたが、色んな逆風にめげず、「責任者」だと勝手に思い込んで、あらゆることに正面から取り組んできたつもりだ。
部下としてせねばならないことをクリアしつつ、同時に自分が長だったら何をしなければならないかという目線で考えて、行動する。
―結果、僕が追いかけている数値は良い感じに反応し、やっていることは正しいのだと、評価されているのだと、ある種おめでたい勘違いをしていたのだ。
・・しかし。
こないだ、僕がある報告をしていなかったことを指摘された。理由を聞かれたので、それを素直に話す。ちなみにその理由は、生徒から口止めされたからである。
そして言われた。セリフはちょっと違うのだが、
「そういう性根なら責任を取ろうとするな」
という趣旨のことを。
そしてハッキリと感じた。自分の中で何かが急速に冷めていくことに。
ここだけ取り出せば、僕が単に怒られてスネた風になるし、実際ちょっとそれはあるかもしれない。だが一番ショックというか、萎えたことは・・。
「この程度のミスで職務を全否定されるくらい、俺の功績って小さかったんだ」
と悟ったことである。つまり、僕が良かれと思ってやっていたことの評価は限りなくゼロに近く、求められる働きは【サポート役】としてのそれだと認識したのである。
―今、結果どうなったか。僕はプラスアルファなことをするのが、この上なくバカバカしくなっている。だって、さして評価されないし、求められもしないのだから。
気を利かせることをするのがこの上なく嫌になっている。裁量が無い仕事はこんなにつまらねーんだと、マジでここ一週間、気分は厭世的だ。
・・・ここまでわかり易く落ち込んで悟った。
【否定】が与えるマイナスのパワーは、思っている以上に強く重く、そして長いようだ。
特にその本人が支えとしているような部分をへし折るような言葉は最悪、という話になる。僕は大人なので、今必死に自己肯定しようと頑張っているところだが・・。
知識や経験という武器が圧倒的に不足している小中学生となれば、これはかなりきついだろうなと想像できてしまう。
―今回の経験を通じて、僕がダメージを受けてただそれだけってのは、マジで面白くない。
だからこのくらい【否定】とは罪深いんだってことをしっかり受け止めて、生徒に言わないよう頑張ると決めた。そうじゃないと、消化して昇華はできないのだ。
皆様も、一時の感情で【否定】はしないように心掛けてほしい。「言っちゃった!!」というミスをしてしまったら、せめてフォローは入れましょう。
食らった僕からの提案でした。
では今日はこの辺で。