日によって、時折無性に食いたくなる食材があります。昨日はエビでした。中元です。
さて。今日の序盤で、胸につっかえていた「あること」がすっと抜けた。結果、今はすごく心が軽く、なんかこう、ケリがついた感じがすごい。
ちなみにそのあることとは何かというと、顧客から出たクレーム寄りなリクエストを、
当事者の講師に伝えたという話だ。
自分でもびっくりなのだが、これが一番心を軽くしてくれたのである。
―さてこのやり取りを通じて、なぜか僕は義務教育などで【小説】を読解する意味を急に強く感じたのだ。これで培えるスキル、思った以上に尊くて、大切っぽい。
今日はそういうお話だよ。
感情論を言語に落とし込む。
今回顧客から頂いたご意見は、それはそれでもちろんありがたいのだが、ダイレクトに伝えたら結構傷つきそうな書き方であった。
要するに、不必要なダメージを与えうる表現がたっぷり添加されていたということである。
僕も豆腐メンタルなので、これを直接言うのは避けたい。しかし抱え込んでいると、何故だか自分が苦しい。
どうすっかな~と逡巡していると、本当にふと、閃いた。
「小説の読解をやる感じで分析してみよう」
―どういうことか?ちょっと脱線いたします。
【小説】の読解とは、基本的に「感情移入したらダメ」である。登場人物を憑依できるレベルに才能があるなら話は別だが、それをやると大抵間違えるようになっている。
だからこそ、客観的な証拠(動作・セリフ・情景描写など)から登場人物の気持ちを推察していくのが、小説で点を取るカギとなることがほとんどなのだ。
・・・ということで、このスキルを使えば、感情論的な記述を言語化し、教え(≒言いたいこと)を冷静に取り出すことが可能になると言えそうである。
そんなわけで、描写が少なくて結構難しかったが、「この人が本当に言いたいことはなんなのか?」という「メッセージ」の部分に集中してみた。
すると、何とかそれに成功した手ごたえがある。そしてそれは、不必要に講師を傷つけることも、責任転嫁することもなく、【アドバイス】という形で伝えられる。
そして実際にそれを伝えた。フォローは入れたし、今後軽く研修することも約束したが、とりあえずこちらの言わんことは伝わったような返答があったと書いておく。
ちなみに、何故これのおかげで僕の心が軽くなったのか。その理由は、我ながらいまだにわかっていない。
ネガティブな感情さえパスするのって、ちょっと、さ。
ところで、怒鳴ると叱るは違うとよく言われるが、実際はほぼ前者だといわれ、その目的は【八つ当たり】という考察があった。(ひろゆき氏の生放送にて)
こういう負のオーラが全開のフィードバックは、メッセージのほかに、その感情も、責任も、敵対心も、余計なものを全部セットで伝えてしまうと思えてならない。
もちろん【恐怖政治】を狙ってこれを乱発しているのなら、それはそれで理にかなっている。しかし多分、優秀な人は、これに染まる前にさっさといなくなるだろう。
管理する側が楽をし倒せば、結構あっさり組織って崩壊する。いろんな前例を本で読んだが、それは何も肉体労働だけを指しはしない。
僕は剛腕じゃない。ゴールはあると強固に指し示しながらチームを鼓舞し、先頭を引率するタイプではない。そういうキャラを演じれば、多分すぐにうつ病だ。
というか僕は、管理など別にしたくはない。各人が個性を活かして、上手く働ける場を用意したい。これが本音である。
このリーダー論は真新しいというか、旧来の価値観に真っ向からぶつかっているため、正面切って言おうものなら、上層部と衝突するだろう。教材もまだ少ない。
しかしこのへんは、パラダイム・シフト。成長痛はあって当然だし、間違っているリスクもあるだろう。
それでもやはり、僕は僕の価値観に忠実にあろうと思う。話が壮大だけど、そう思った。
終わりに。
てなわけで、ふと学校で学んだこと(そして今は教えていること)が活きたので、それについてエッセイもどきを書いてみた次第である。
不要なストレスを与えると、それだけで嫌われるってのは、実はデータも存在する怖い話なのだ。
そんなもんは取っ払ってから渡せばいいじゃない。
しかもコロナのあれこれでみんなイラついている最中なので、それを心がけるだけで聖人君子みたいに扱われるんじゃなかろうか。
色々オイシイスキルである。
では今日はこの辺で。