小学5年生と【考古学】と【人文学】の違いについて語り合いました。なんというか、楽しかったです。
さて。手垢だらけの質問だが、「皆様は国語が得意だろうか?」
この質問をして、「苦手だし!!」と答える方の理由は、不思議なまでに似通っている。列挙しよう。
「読めるけど、理解できん!!」
「何がいいたいか、わからん!!」
「書いてある内容を、忘れてしまう!!」
―などなど。皆そういうのだから、皆そうなのだろう。
しかし嫌味な口ぶりになってしまうが、僕は古文書とか、よほどの専門書を読まない限り、こんな感想を抱くことはあまりなくなってきた。
一般書なら大体読めるし、入試問題もまた然り、である。(てかそうじゃなければ国語の先生とか名乗っちゃダメな気がする)
・・・だけれども、だ。最近、一般書を読みながら、読めるけど理解できず、何が言いたいかも掴めず、書いてある内容も次々忘れる。そんなことを経験した。
その時の感想は割とハッキリ覚えているため、僕がワンチャンと思っている生徒もこうなのかと、少しだけ共感できたような気がする。
ってことで今日は、その稀有な体験を書きつつも、その解決策になるかもしれない気づきを添えて、記事にまとめてみようと思う。
本を開いているのに何も得られない時間。
その体験は、酩酊時に起きた。要するに酔っ払った状態で本を読んだところ、以下の現象が発生したのだ!!
①何行目を読んでいるのかしょっちゅう間違える
②文節ごとにしか文を理解できなくなる
③広い目で読めず、何が言いたいかわからなくなる
④「あぁ、あれのことね」という感覚が得られなくなる
⑤つまり本を開いているのに何一つ頭に入ってこない
―これってさ、読解問題が苦手な生徒が口々に訴えていることと全く同じだよね、と。
彼ら彼女らは、日常的にこういう体験をしてるってことか?だとすれば、読解は確かに苦痛だろうなぁ。そう思えてならない。
本当であれば、この上で線引き読みなどのテクニックがどの程度通用するかまで実験するべきだったのだろうが、気づけばそのまま寝落ちしていたので断念。
ただし気になることには違いないため、今度校舎に泊まりがけで、実験してみようかなと考えている。(バレたら絶対に56されるけど)
それでも効果があるかもしれない施策。
ただ、不思議な話だが、人の話を聞いて理解する方は、全然難儀しなかったという感覚もある。(むしろ普段より聞けた)
例えば、だいぶ酔った後に、某元コンビ芸人の方が「伝えたいこと」と称した動画を視聴したのだが、7分以上ずっと、メッセージ1つ1つが心に沁み込んできた。
「あれのこといってるな・・」とか、「あの場面の話かな・・」とか。出てくる名前も顔がすぐに浮かんできて、こちらの能力は鈍っていないとさえ感じたほどだ。
となれば、読解そのものが苦手な生徒は、音声化が理解力を高めるカギかもなと、そういうことが言えやしないだろうか?
実際、国語の授業では音読を積極的に実施すべし!という意見はそこかしこで聞くし、面倒なので引っ張ってこないが、エビデンスっぽいものもたくさんある。
それに関連し、試験会場では当然音読などできないので、脳内で誰かにそれをナレーションさせるべしと説く受験参考書もあった。
・・理解力とは不思議なもので、読むことが全くできなくても、人の話から色々飲み込むことができる人は、普通に存在する。
だが逆に、読書のスピードはむしろ速いぐらいでも、電話による伝言は全く理解できないという人も存在する。(#大人の発達障害)
こういう時は、無理にその技能にこだわる必要はない。自分ができる別の能力に置き換えたり、その力を使ったりして、セルフの補助を入れる。
それをしっかり伝えることが大切なのかなと、改めて思った。ま、どういうことは知ってみたい人は、酔っ払って読書をしてみてくださいな。
ってことで短編だったけど、今日はこの辺で。