ゴーストオブツシマで敵兵に殺されるたび、ガキの頃に戻ってヒスを出しちゃう30歳、中元です。
さて。いよいよ9月に入りまして、本格的に受験シーズンに突っ込んでくる時期となってまいりました。
特に大学受験なんかは、そろそろ判定で少なくとも【B】や【C】が取れないと、「志望校変えた方がいいんじゃない?」って話も出てくるぐらいシビアな時期です。
まぁ中学・高校受験も同じでして、夏のチャンスシーズンを経ても全く距離が詰まってない場合ならば、【目的】を確認して志望校再考という話も出てきますねー。
・・・とはいえ成績って、やはり予測不可能な部分が大きいです。少なからず、こっから爆伸びすることもあるからです。
もちろん、そもそも全然やってないとか、顕著に特定の技能に困難があるとかじゃない限りは、アウチな方に予測ができるんですがね。
―ただ、この奇跡を起こすには、一個だけ条件があります。それは、正しいやり方で、しっかり勉強に負荷をかけていることです。言い換えればガチな努力、でしょうか。
しかしそのガチな努力って、体感が全くアテにならないんですよね。当人は必死でも、効果が無いことに時間を使いまくれば、マジ徒労です。
ということで今日は、そのジレンマについてお話ししようかなと思います。
ガチな努力を見たことはある?
勉強時間が不足していたり、不適当な努力をしていたりするのに、「なんでやってるのに成果がでないん!?」という感覚がなぜ生まれるのか。
まぁ正直、ガチで勉強やってる人が、それに取り組んでいる姿を見ることなんて、彼ら彼女らには普通無いからだと思うんですよね。
また筋トレで例えるんですけど、特にプロレベルのボディビルダーの人って、トレーニング時間も多ければ、量も半端じゃないんですよ。
短くて45分、長くて1時間半とか、そんぐらいになるんですね。それを真似しようとしましたが、僕は30分続けるだけで、もうギリギリでした。
勉強でも同じことです。超ガチな人の姿ってのは、出来ない人や奮わない人にとってみれば、異次元なんですよ。こりゃああの点が取れるよな、と。
だからこそ、もし可能であれば、その姿をしっかりと見ることは、非常に大きなメリットがあります。特にメンタルの面で、ですね。
「これぐらいやらないと、努力なんて言えないんだね」とか、「これぐらいやれば、俺もまだまだ伸びるよな」とか、そういった冷静な分析にも繋がるわけです。
ただ、やはりここも、人によりけり。やっぱ長時間やるのが苦手って人も、当然いるんですよね。
ではどうするかと言うと、短時間でパンパンに強度を高めて、長時間のトレと同じぐらいの効果を狙いに行くってやり方があるんですね。
これも勉強法に応用するならば、例えば英語の勉強を60分もすんのはしんどいから、シャドウイングをメインに据えて、10分に圧縮してしまおうとか、そういう感じです。
しかしこれも、正しいやり方を知らないと、単に短い時間で少ない努力をやっただけっていうことにもつながりかねないので、独学や我流はちょっと怖いです。
やはりちゃんとした方法を教わるなり、見学するなりしないと、勉強したフリになっちゃうと思うんですよねー。
さて。
これからの時間の使い方っていうのは、ぶっちゃけ長い時間を学習に充てるか、短時間でも強度が高い学習法に取り組むか、ホントどちらかなんですよね。
しかし、基本そういった勉強法を実践できている他の人たちって、見る機会なんて、なかなかないのもまた事実。
だからこそ、【勉強法を試しまくることを前提とした集団自習教室】って、僕は割とありだなって思うんですよね。
もちろんそれをメインに据えるわけにはいかないんですけど、ガチでやるヤツがいる環境は、それだけで大きな価値が生まれます。
後はそのガチ勢がトクをするシステムをどう設計するかどうか、になってきますねー。
最悪ロールモデルが周りにいないんだったら、「俺がお前らの目の前で、普段やるように勉強してやるわい!」ってことくらいは、やる気でいます。
独り言に留めるのはもったいない気がしてきたので、近く会社に対して、企画書をぶん投げてみますねー。
ってことで完全な独り言ではございましたが、今日はこの辺で。