精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

ぶっちゃけ英検1級持ってる僕より、ガチで英会話した子どもや帰国子女の方が、喋れるし聴ける。でもね・・・・・。

トラブルも何もかも全部言いふらすようにしてからというもの、仕事がむっちゃくちゃはかどって嬉しい中元です。プライドなんか豚に食わせろ!

 

さて、今回のテーマなのですが、僕は僕の英語力について、どういう風に思ってるかといったことを喋ってみようかなと思います。

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よく勘違いされるんですが、僕は英語、ペラペラじゃないんですよ。英語の学習を始めたのが、だいたい12~13歳の頃からなので、そういう意味では遅すぎました。

 

どう頑張ってもたどたどしいし、使える語句のレベルも、向こうの中学1年生ぐらいじゃないかなと思うんですよね。

 

実を言うとリスニングも非常に苦手で、1級の合格ラインには過去問を解いても乗ったり乗らなかったりで、最後までひやひやさせられました。

 

―となると、僕が保証されている技能ってヤツは、どこまで価値があるのでしょうね

 

今の日本の英語教育は、【生きた、使える英語】を目指してるとされています。つまり、喋れる英語のことであり、その為には、もちろん聴けることが前提となります。

 

しかし僕は、その両方が不得意。だからこそ、「意味あるん?」といった感想を持たれることも、無きにしも非ずって思うんすよね。

 

ところがどっこい。僕は確かに、喋れも聴けもしませんが、それとは別のスキルがあることを自負しております。

 

そしてそのことを考えると、たとえ帰国子女たちのべしゃり力に敵わずとも、努力する価値はある資格だなと思うんですよね。

 

さて。長くなりましたけど、今日はそういうお話です。

 

 

僕にできること

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英検1級持ってると、よっぽど専門用語が含まれない限り、論文も洋書も割とスラスラと読めるんですよね。これが僕の強みっちゃ強みです。

 

つまり、喋るのは苦手かもしれないけど、人より”読むのは得意だぞ”って言うのを、英検1級は保証してくれてると思うんですよね。

 

ぶっちゃけ、よくよく考えれば、英語を喋れる日本人って、失礼ですが掃いて捨てるほどいるわけですよ。

 

例えば帰国子女かつ就学中(小~高)って生徒は、2018年時点で1万1千人くらい全国にいるとのことです。大人になった人数も含めれば、もう、めちゃくちゃ多い。

https://www.joes.or.jp/cms/joes/pdf/publish/kikanshi/202002/1515_free.pdf

 

さらに、喋るという土俵に立つと、ライバルは日本人に限りません。英語と日本語が喋れるのなら、インド人だろうが中国人だろうが、同じ技能のライバルです。

 

もちろん地方とかに行けば希少価値は依然として高いのですが、人口が多いところに行くと、単に話せるだけってスキルは競争力としてしょっぱい気がしています。

 

(負け惜しみみたいですが・・。)

 

・・ただ、喋れることがイコール、難しい文章をちゃんと読めて、情報を拾えるとは、実際意味しないじゃないですか?

 

例えば帰国子女がもれなく全員、論理的思考力や読解力も無条件でものすごく高いって言われても、それはウソでしょと思うんですよね。

 

これに関して、友達の兄の話を紹介します。彼はバックパッカー的なことを超好まれる方で、2~3年ぐらい日本にいなかった時期があるほどらしいですよね。

 

当然、すごく英語は喋れるし、聞き取りも全く問題なし。しかしそんな彼も、TOEICをノー勉で受けたら、400点ぐらいしか取れなかったそうです。

 

本人は満点当たり前だろってノリで受けたらしいんですけど、長文が読めないとか、ビジネスシーンの意味が分からないとかが引っ掛かり、失点したらしいです。

 

この話からも、海外在住経験あって英語ペラペラだぞって人でも、同時にどんな長文問題でも読み解けるし、論文も大丈夫!!・・・だとは限らないってことが伺えますね

 

これってよく考えたら当たり前なんですよ。例えば日本で生まれ育った純日本人の中学2年生の男子とかって、日本語ペラペラじゃないですか。

 

ただ彼らに大学受験の国語の問題を読ませようとしても、99%はほぼ読めないですよね。帰国子女も、これと同じことかなと、勝手に納得しています。

 

そもそも、喋れることに希少価値はあるのか?

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うすうす感づいているのですが、そもそも通訳って仕事も AI に奪われようとしてる今、ペラペラ話せるようになって何なんだろうと思います。

 

しかし、情報を拾い取って、ゼロからイチを読み取ること、さらに言えば言語すら超えてアイデアを得て繋げる力って、まだ軽視されているよなとも思います。

 

繰り返しになるのですが、今は「知りたい」と思った情報は、たとえ英語で書かれていても割と負担なく読んで、勉強することができます。これは勉強した恩恵です。

 

だからこそ、英語の勉強が遅くなっちゃったから、喋るのも聞くのも苦手ですって人は、そこでふてくされるんじゃなく、割り切るのも一手だと思いますよ。

 

国際なんちゃら学部とかじゃない限りは、基本喋るのに使うことは稀で、論文とか専門誌とかを読むことに使うものなんですよ。

 

海外の研究の成果や、新しい学問上のテクニックを読み取って、自分の研究に適応して応用するとか、そっちの使い方が主です。(工学部ならなおさら)

 

だからこそ、【ゾンビ英語】と揶揄されても、個人的には割と平気ですという、そんなふわふわとした話でしたとさ。

 

では、今日はこの辺で。

 

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