精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【しめっぽくてすんません】現実をしっかり受け止めるため、最期まで生き抜いた飼い犬の死が教えてくれたことを書いてみる。

ここ最近、尾崎放哉の句集が胸に染みいってきます。中元です。

 

さて。今日は先に伝えておくが、自分の気持ちの整理のためだけに書いた記事であり、正直言って読んで愉快なものでは全くない。

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単に、死別のダメージを癒すのに、【筆記開示】が効果的だと聞いて、それを試したいからに他ならない。

 

ただなぜこうして記事にしているのかというと、こういう心の内を文字にして公開することで、役に立つ人もいるかなと、まぁ少し思っただけである。

 

さて。何があったのかというと、実家から今朝、飼っている犬が虹の橋を渡ったという報せがあったのだ。

 

すぐにでも車に飛び乗って実家に帰りたかったが、まだ県外移動は強く自粛を求められる状態に加え、仕事が普通にあったため、それはできなかった。

 

代わりにステージが下がり次第すぐに帰ること、そして面倒をみてくれたことの労いと感謝を、親には伝えておいた。

 

―ここから、思い出を少々添えながら、胸の内をなるべく言葉にしていきたいと思う。そして、その死が教えてくれたことも、ここに書ければな、とも。

 

では以下、続きである。

 

 

そいつがやってきたのは、僕がまだ中学生だった頃だ。どこかから貰ってきた子犬であり、最初は屋外で飼育されていた。

 

しかし僕が大学入学を機に実家を出る頃から、いつの間にか室内犬として認められていて、ちゃっかりリビングでゴロゴロしている姿を見るようになったっけ。

 

―だがその人生(犬生?)は、客観的に見ても波乱と苦難の連続だったと思う。まず、僕が20歳頃になるかならないかで、片目を失明したのだ。

 

原因は遺伝性の緑内障である。眼圧が高まり、猛烈な痛みが伴い、結果失明に繋がる不治の病。もう片方が残るかどうかは、完全に運とのことだった。

 

唇を噛み締めながらそれを説明してくれた動物病院の先生の声も顔も、まだ覚えている。だけどウチの犬は、尻尾フリフリで嬉しそうであった。

 

―結局そこから5年くらいして、もう片方も見えなくなった。しかし鼻は利くし、耳も聞こえるしで、傍目から見たら本当にそうかはわからないくらい元気だったなぁ、と。

 

・・その後は段々と、僕は犬の余命を気にするようになっていった。10歳を過ぎる頃から、来年も会えるか、気がかりになっていったのを、まだ覚えている。

 

その理由は、段々と衰えていく姿を見ていたことにある。子犬の頃に出来ていた動作をしなくなり、散歩の距離は短くなり、階段を昇ることもしなくなった。

 

だが元気ではあったので、このまま平穏無事に余生を全うすることを、僕は強く願うようになっていった。何より激しい痛みの中、失明したのだ。

 

”終わり”くらい、穏やかであってほしいじゃないか。

 

・・・だが、その望みは、結局打ち砕かれることになってしまった。波乱は続く。去年の末、認知症を発症したのだ。

 

子犬の頃並みに昼夜を問わず吠え続け、ふらふらと歩き回り、こと切れたかのように眠っては、また吠えて歩き回る。両親もその介護に消耗していた。

 

まだ生きててほしい。でも、そろそろラクになっても、ほしい。

 

その相反する感情のせめぎ合い。心が壊れそうだった。

 

・・・僕が”別れ”をハッキリと悟ったのは、今年の5月のことだ。ふと何となく背中を触ったとき、もうほとんど骨と皮だけになっていたのがわかった。

 

目は完全に潰れ、毛に染み込んだ汚れは拭っても落ちないほどこびりついて、耳も聞こえず、足取りはふらふらで、まるで生きる屍のように、”それ”は生きていた。

 

ただそれでも、僕が返ってくると、寝ていてもすぐ飛び起きて吠え始めたものだ。「まだおまえのことはおぼえてる」というサインだったのかなとも思う。

 

そう信じたい。

 

―その帰省からの帰り道、僕は声を上げて泣いてしまった。山陽道を走りながら、大の大人が車内で号泣。周りから見たら異様な光景だったろう。

 

来るハズなんて無いと思っていた別れの時。それがもうすぐそこに迫っていることが、急に強く胸の内に込み上げてきたのだ。

 

・・・ただ結局、その3か月後に、本当に最後となる再会を果たすのだけれどね。もうこの頃の様子は、流石に書きたくないくらいボロボロであった。

 

両親も、近付いている”それ”を、受け止めている様子ではあった。(母はボソッと、「最期なんて看取りたくはない」と言っていたけど。もう、何も言えなかった。)

 

もはや、生きているのか、死んでいるのか、全くわからない。子犬だった頃の姿と今の姿が、全く重ならない。なんだこの仕打ちは?こいつが何をした?

 

―申し訳ないのだが、「もういい!もう頑張ったんだ!そのまま安らかに息を引き取ってくれよ!」とヤケ酒を飲みながら、眠る犬に対し、胸の内で強く願ってしまった。

 

そしてそれから大体1ヶ月ちょっとが過ぎたのが、今日なのである。自分の中で覚悟できていたからか、訃報に際し、血の気が引くという感覚は無く―。

 

心の底から、ほっとした。みんな、解放されたことに。あいつも、苦しみから解放されたことに。ほっとした。これが抱いた気持ちの、全てのハズなんだ。

 

でも、この記事を書きながら、涙が一滴、こぼれてしまった。まぁ僕も、一言では言い表せない感情があり、それがスッと抜けたってことなんでしょうね。

 

虹の橋を渡った先の世界で、先に待ってる親兄弟姉妹と一緒に、目の痛みも何もない平和な時間を過ごしててほしいなと、願ってやまない。

 

いつになるかわからないけど、また会える日を楽しみにしておこうと思う。

 

・・・ここまで書いてやはり思ったこと。それは、いつかやっぱり、皆死ぬんだってこと。人生は有限だってこと。日頃どんな行いをしていようとも、だ。

 

正直、あいつを苦しめた緑内障認知症、それを与える決定を下した存在があるのなら、いずれ全力で殴り飛ばしたいくらい、僕は憎んでいる。

 

それくらい、そんな辛い目に遭う意味が全く理解できなかった。だが、これも結局、真理なんだろうなと今なら独り言ちている。

 

咎が無かろうが、理不尽なことは起こる。そして同時に、人生は必ず、死という幕引きをもって、終わる。

 

あいつが教えてくれたこと。

 

もっと自分に集中して、自己実現を果たしまくって、それでもできなかったたくさんのことを残して、死んでいくしかないんだろうな。

 

楽しい日々をくれたあいつ。その日々を悲しい記憶に変えちゃダメだ。思い出の中に、しっかりと生きててもらわなきゃ、困る。

 

そのためには、もう少しだけ感傷に浸ったら、自分をもっと肯定できるように、もっと自分に正直になって、もっと努力を重ねないとな。

 

―にしても、ショックだったな。みんないつかは、どれだけ必要とされてても、死んじゃうのか。消えちゃうのか。自然に還ってしまうのか。もちろん、僕も、いずれ。

 

でもだからこそ、多少のミスも、嫌な思い出も、結構な恥も、死んだらおしまいで持って行けないのだから、実現したいことをほったらかしてたらバカだよなぁ、と。

 

【人生は有限だってこと】を示してくれたからこそ、【今この瞬間の大切さ】が、今まで読んだどの本の教えよりも強く実感できている。

 

早速それを体現するような生き方をしないとな。でもま、今はもう少し、もう少しだけ、この寂しさとかやるせなさに浸ることにする。

 

あぁ、畜生。やっぱり、涙が滲んできたな。ぽろぽろとこぼれてくる。でも今更、誰に対して、何を我慢することがあるだろう。遠慮することがあるだろう。

 

今だけは、子どもみたいに、自分の気持ちを存分に発露させてくれよ。じゃないと、やっぱり辛いんだよ。押しつぶされそうなんだよ。

 

―どんどんと服に水滴の跡が増えていく。笑っちゃうくらい、鏡を見たら泣いていた。いくつになっても、感情が爆発したら、涙はたくさん出るんだねぇ。

 

本当に、本当にありがとう。あんだけ辛い思いをしたんだ。痛みを受けたんだ。全部終わった今は、安らかに眠ってください。心の底から、そう願ってやみません。

 

・・・ということで、わかっていたはずの現実ではあったけど、いざその時が来ると、受け止めきれない何かがあるんだなって、未だに思わされる。

 

だけど、ただ死にました、悲しいね、終わりというのも、後始末としてはきっと最悪だろう。

 

遺してくれた教えを生き様に取り入れて初めて、故人(犬だけど)と共に歩むってことができるんだ。たぶん。本当にそうかは、これからわかる。

 

とりあえず来週以降線香をあげに帰り、虹の橋を渡ったあいつに挨拶することにしよう。その時には、少しくらい笑えてたらいいな。

 

はい。途中ガチで涙腺崩壊してる部分があるのだが、まぁそれはいいや。おかげさまで今は非常にスッキリしている。胸に穴が空いた感覚が、かなり薄らいでいるし。

 

正直言って精査もクソも無いただの長文だけど、筆記開示することって、やっぱ心を軽くしてくれますな。

 

そういえば「わさお」の飼い主も、わさおが天国に行った日は、長文を書いていたなぁ。書くことはやはり、人を救う。・・のかもね。

 

同じ出来事があった方にも、まだ来てない方にも、何か響くことが書けていれば嬉しい。書けてなくても満足。そんな気分である。

 

よっしゃ、酒飲んで、ゲームして、寝る!!!

 

では今日はこの辺で。