9月は睡眠時間の結構な部分をゲームに捧げました。おかげさまで今、充実感と喪失感がものすげーことになってます。中元です。
さて。ある程度日本語を使えるようになってからだと全くわからないのだが、読解ができるようになるのに必要なのって、語いなのか読解法なのか、どちらだろう?
ニワトリタマゴみたいな議論だが、言葉を知らなくてもテクがあれば解けるのか、それとも言葉を知っててもテクが無けりゃ無駄なのか、どっちなのかな、と。
もちろんこれについては「正解はコレ!」ってのは出ていないのだが、ちょいと論文も引用しつつ、そのヒントを考えてみたいと思う。
【語彙力】と【読解力】の関係とは?
まずは当たり前なことを言うと、ぶっちゃけ語彙力が多ければ、読解とかの点も良いし、会話も面白い傾向がみられる!とのことであった。(Google検索したらわかる)
しかし、その語彙力にも実は種類があり、あるタイプのそれの力が強いほど、例えばTOEICの得点が高いという強い相関関係があったそうだ。(R)
その語彙力とは、【発表語彙(発信語彙)】と呼ばれるものである。―なんじゃこりゃ?
すごくざっくり言うと、「喋れて書けるレベルに使える語句の知識量」のことである。このレベルの言葉の力が多ければ多いほど、読解もできる、ということだった。
・・・この理屈、すごく納得である。特に、英語の音読学習を重ねると、よ~く身に染みて実感できることがあるのだ。
音読学習は、声に出して英文を読むということであり、いわば”喋る”という要素を強く満たしている。
やってみるとわかるが、「じっくり考えればわかる!」というあやふやな知識の単語は、音読をすると意味が取れずに流れていってしまう。
いうなれば、音読しながらでも意味が分かったとき、その実力は本物ということになる。そういう意味で、あの学習で僕の点がバカ伸びしたのも、納得ということだ。
・・・さて。序盤で英語の話ばっかりしちゃったので、一応国語(もとい日本語)についてはどうなのかも調べてみた。
こちらも似たようなところである。ただ、論文をいくつか読んでいると、気になる考察なり発見なりがあったので、紹介しておく。
まず、読書量と語彙力について。超名門学校に行く子は、生まれながら本に囲まれた環境に育ち、その膨大な知識に触れまくって神童になったと言われがちだ。
実際、【ヤバイ経済学】にも書いてあったが、家に本がたくさんあることと、学力の高さは相関があるようで、この事実も色々と根拠になりそうではある。
さて。実際に本を読む冊数が多いと、語彙力なりが高いというデータは得られたのは得られたのだが、どうやら「さほどでもない」のだという。(R)
つまり正の相関は見られたけども、イコールでつなぐにはちょっと弱いという感じだろうか。(ちなみにこれは結構有名な話)
とはいえ、面白い経過観察があったのだが、「ひらがなを覚えるのが早い子は、結果送り仮名さえあればたくさんの語彙に触れられるので有利」ってのもあった。
結局は、その語彙力を増やす機会こそが大事なのかもしれない。となれば、外的要因の方が遥かに大事とされる研究結果も、なんか色々納得である。
まとめ。
ということでまとめだが、何はどうあれ【語いが先】と見た方が正確だと思う。
確かに、まるでわからない言語の長文を渡されて、指示語はこれとか言われても、「いや、何かいてあるかわかんねーし」と思うのが関の山である。
だから愚直に語彙力向上に取り組ませればいいのかと言われれば、それもまたダウト。強く相関関係があるのは、「喋れて書けるレベルの語彙」と「読解力」らしいのだ。
簡単に言えば、何かしらの文章を書けて、ちゃんとしたことが言えるやつは、きっと国語の点数も良いよねと言って差し支えないということ。
延々と読書をする人間が、ただそれだけで読解力が向上しまくることがないのも、これを考えれば至極当然に聞こえる。
―となれば、逆に今はテキストで発信し、それにレスがあるという場面が増えているのに、読解力云々が騒がれるのはなぜなのか、という疑問が湧いてくる。
これに答えてくれるデータは今のところ見つからないので、一旦筆をおこうとは思うが、気にし続けたいテーマである。
では今日はこの辺で。