精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記46】"Think Like a Freak"読書感想BLOG

ちーと油断するとすぐに出てくるコバエの生命力に、少し感動すら覚える中元です。

 

さて。前回のルーティン日記で書いたのだが、ついに洋書を買ってしまった。題して、【Think Like a Freakである。

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元々は【ヤバい経済学】という本が方々でオススメされているのを知って、読んでみたらこれが面白くて、気付けば著者のブログを読み漁り・・・

 

そしてついに、衝動買いしちゃったというハナシである。ただ、ゴツい洋書だ。ある程度の強制力を持たせないと、僕は多分投げる

 

ってことでその場をこの記事に求めることにした。なるべく毎日読んで、得た気づきを書き殴るのだ。(文法的な気づきも書けたら書きたい)

 

ということで僕得が過ぎるルーティンになると思うけど、長い目で楽しんでくれたら嬉しい。では早速、英文の海へ、飛び込めッ!

 

 

10月12日(火) ―~P15までの感想文 世界一言いづらい三単語の文―

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だいぶ読むスピードは速くなってきたが、さすがに日本語のそれよりはかなり落ちる。平均して1日2~3ページというペースだが、単に時間が無いのもその一因だ。

 

さて。今回読んだ部分で「なるほどねぇ」と思わされたのは、”世界一言いにくい3単語の言葉”についてであった。

 

本来は【I love you.】らしいのだが、筆者たちは【I don't know.】こそそうだと説いていた。人は、「わからない」ということを恐れるのだと。

 

もちろん、科学的事象とかそういうのを、「知ってる」というのは別に差し支えない。これは単なる事実だからだ。(反駁したところで変な人扱いだ)

 

しかし、”信念”とか”信条”に当たるものは、答えが場所などによって変わるため、「知ってる」の定義がブレブレになるよね、とも指摘されていた

 

例えば「悪魔を信じるか」という質問は、日本とヨーロッパで回答に隔たりがあることは、想像がつきやすいのではと思う。

 

さらに拍車をかけるのは、「未来予測」についてである。これについては、「知ってる」「わかる」というだけアホ臭いという風に思えてくるので不思議。

 

少し有名な話なのだが、例えば株価について"知ってる"ハズの専門家の、株価上昇的中率は、どれくらいだと思われるだろうか。

 

実は47.4%ほどらしいのだ。学生が適当に選んだり、あるいはサルがダーツを投げて刺さったところを選んだりしても、大差ないと言うことになる。ギャンブルだからだ。

 

こんな風に、僕らの無意識下にある言動を指摘し、データで反駁していくスタイル。むしろ英語の方が、筆者の熱が伝わってくる気がする。

 

こりゃ読み進めるのが楽しいな。期待大です。

 

10月13日(水) ―~P18までの感想文 いい加減な未来予知はなぜなくならない?―

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今回読んだページのメインテーマは、【なぜ人は”知らない”と言えないのか】という理由について、だった。

 

もっといえば、【何が人に”知らない”と言えなくさせているのか】という感じだろうか。同義で、【なぜ知らないことも”知ってる”といえるのか】とも考えられる。

 

さて。具体的なところで言えば、自分の専門外のことに意見なり何なりを求められて、それに答えるうちに、その分野も習得できたと勘違いするケースが多いようだ。

 

経済の専門家として呼ばれながら、時事問題の質問に答えるうちに、犯罪心理学やゴシップにも詳しくなったと錯覚する感じかな、と。

 

―また、【うそっぱちな予言】がなぜ公然と行われるのか、というテーマにも踏み込まれていた。例えば、数日後に教えに従うモノ以外は地球上から姿を消す、みたいな。

 

ここでも出てきたのがインセンティブ(動機付け)】という概念だ。

 

実は、その目線から考えると、予言や予測は、ほぼ言ったもん勝ちなので、言っといた方が正解なのである。

 

予言や予測が当たればチヤホヤされるが、外れてもみんな忘れている。ダメージゼロ。超ローリスク、ハイリターン。じゃあ、言うよね。そういうことである。

 

こういった【いい加減な未来予知】や、【知ったか】を防止するにはどうすれば良いか。その一端も、ついに書かれ始めていた。

 

それは、【モラルコンパス】を捨てることとあった。常識や信念、周囲からの圧力や文化による”正解”や”不正解”をまずは捨てて、【わからない】ことを認めるのだ。

 

これらは、人々から考えるという選択を奪う。逆に言えば、こういうバイアスを取っ払えば、再び頭は【考える】方向に向かう、というワケ。

 

こっからどういう話が続いてくるのか。明日も楽しみである。

 

10月14日(木) ―~P19までの感想文 真に学びを深めてくれるもの―

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今日のテーマは、いよいよ"無知(≒I don't know)"を認めてからの話であった。わからないと認めることが始まりなら、次の一歩はなんなのか?

 

最大のカギの一つは、【フィードバック】。そう記されていた。要するに、大量に実験を行い、データを集め、分析すること。これが基本にしてカギなのだ。

 

これは確か、西野亮廣さんも似たことを言っていた。ある程度のところまではデータが揃っているのでガンガン進めばいい。

 

しかし、考えてもどうにもならない段階に来たら、素早くまずは見切り発車して、検証材料を集めることが大切だ、と。

 

上手くいっていればそのまま続けてみればいいし、そうでないのならさっさと軌道修正すればいい。そういう話であった。

 

―とはいえ、ことにこれを実行するのは難しい。個人レベルでも勿論だが、組織となればなおさらだ。

 

実際にとある新聞社の例が書かれていたのだが、対照実験(たまたま)によって無駄だとわかった施策も、「社長がやれというから」と、ダラダラやっているのだという。

 

毎年結構な額の広告費をどぶに捨てていると同じなのだとか。これは罪深いぞ、マジで。

 

ただ、歳を取れば取るほどこの辺を受け入れるのが難しくなるのが人間の性。僕の勤めるところにも、ルーティンの如く仕事内容等を変えない人は多い。

 

僕がもし校舎長になれたら、【変化】をスローガンにして運営がしたいなぁ。僕が頑固になってしまう前に出世が間に合えば、だけど。

 

10月15日(金) ―~P24までの感想文 この世はでっかい研究所―

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手に入る限りのデータを手に入れたら、さらにそこから先へ学びを深めるにはどうすればいいのか。それは【実験】と【検証】だと、先に書いた。

 

そして今日読んだところには、それの実例と、面白い中身が紹介されていた。例えば、「ワインの良し悪しは、どこまで正確に見抜けるのか?」である。

 

何かを疑問に思ったら、適切なグループを選び、対照実験(調査)を行い、結論を引っ張るのに必要なデータを集めるのが基本となる。

 

今回のテーマでは、ワイン好きな人を数名集めて味を評価してもらい、ただしその中に、超安物を混ぜてみて、反応を探るってのがあった。

 

結果は、むしろ安物の方が、高価なヤツより平均してやや高めに評価されやすいという不思議なものが出てきていたのだ。へー。

 

そこからさらに理由とか仮説を考える段階になるが、そう考えたらこの世はでっかい研究所だ。何かを試したいとき、言っちゃ悪いが被検体に溢れている。

 

何かワクワクしてきたので、僕も早速、何かしらの仮説を作って遊んでみることにする。

 

10月16日(土) ―~P28くらいまでの感想文 健全な問いとは?―

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この日から章が変わり、いよいよ【問い】の立て方というか、その辺の踏み込んだ話に入っている。僕の鼻孔はワクワクのせいで、小爆発では済まなくなってきた。

 

「正しい仮説を検証すると、新たな問いが生まれていく」という感じの記述があり、その一例として紹介されていたのが、まさかのフードファイター小林尊であった。

 

「早く食べるための作戦として、何が考えられるのか?」という仮説から、例えば事前にホットドックを半分にしたり、ソーセージとは別にパンを食べたり。

 

あるいは飲み物の水にパンの部分を浸して食べたらどうなるか?序盤でペースを上げるべきか、それともマラソンみたいに一定速度でいくべきか?

 

そういった仮説と検証の結晶こそが、あの偉大で異常なパフォーマンスなのだと結ばれていた。僕は正直、「そうだよ、これこれ!!」という共感で胸が躍ってしまった。

 

僕は誰にも相談せずにすぐ何かを試そうとしたり手を打とうしたりするクセがあり、何十発と上司に咎められているほどである。

 

例えば壁紙がめくれて不格好なところに幾何学模様のポスターを貼る、とか。(ちなみに「無いわ」と一蹴され、すぐ剥がしたけど。)

 

しかしこの本の中には、自分と同じことをしている人がいて、しかも結果を出していて、さらにそれが肯定されていて!!なんというか、救われた心持ちだ。

 

となれば、見様見真似だが、僕にはまだまだ、検証したくて仕方ない仮説がうようよ頭の中に渦巻いている。

 

だが自覚しているのだが、それをかしこまった会議とかで提案しても、「そんなんええから授業しとけ」と一蹴されること請け合いなアバウトさなのだ。

 

じゃぁ、こっそりやりますよね、と。空き時間を使って、もう少し説を考えて、検証の仕方も練ってみよう。

 

なんつーか、わからないことを認めたら、勉強が楽しくて仕方なくなってきた。素敵である。

 

10月17日(日) ―~P31くらいまでの感想文 考えよう。ただし、正しく。―

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第二章のまとめはこうだった。

 

①問題は、目標に近付くまで、再定義し続けよう!違うと思ったら即修正!

 

②制限は一旦無視!忘れる!頭に入れない!

 

という感じだ。例えば小林さんの例だと、他が「どうすればもっと食べられる?」を考えたのに対し、「どうすればラクに食べれる?」を考えたのが画期的だという。

 

大食い・早食いは食事の延長ではなく、スポーツの類である。つまり、別物だ。徒歩による通勤の延長線上に競歩という競技が無いのと似ている。

 

そのように問いを”進めて”、定義して検証して。これを繰り返した結果が、先の輝かしい結果に繋がったのだとされていた。

 

また、その検証に際し邪魔になるのが【上限】や過去の記録だとあった。こういう数値設定は、心理的バリアを無意識下に形成するそうで、つまり邪魔モノだとあった。

 

予算がドーダとか、期限がアーダとか、過去の売り上げとか、関係あるようで関係ない。それくらい割り切って目の前のことに集中すべし。

 

まぁ確かに、これが出来たら版権でナンボ儲かると考えながら実験するエジソンニコラ・テスラは想像できないよな。没頭するが勝ち、ということかも。

 

それかシンプルに、因数を減らすことが何にも増して大事と言う話なのかもしれない。だとすれば、世の中は思った以上にシンプルだ。

 

さて。ということで一週間読んできたが、なるほど、全然進んでない。でも1ヶ月ちょいで多分終わる計算なので、悲観的でも、別にない。

 

洋書、読んでみると結構面白いですなぁ。まぁ、全体的な感想は全て終わってからにしよう。

 

では今週はこの辺で。

 

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