精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

そもそも僕はどういう塾を作りたいのかという根っこを考えてみた。 ―青臭いというか、現実離れというか―

頭痛3日目、普通にしんどい中元です。バファリンもイブクイックも、名もなき粉薬も、あまり効果がない・・・

 

はい。それくらいグロッキーな今だが、ぶっちゃけ時間が結構あるので、今日は実はそこまで深く考えていなかったことについて、きちんと言葉にしようと思う。

 

それは、【僕はどういう塾を作りたいのか】というテーマだ。ぶっちゃけ日増しに校舎なりチームなりを率いたいという願望は強まっており、それを明言することも増えた。

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だが、「ではどんな校舎を作りたい?」と今問われれば、多分しどろもどろしてしまうだろうなともわかっている。理由は、腰を据えて考えたことが、実はないからだ。

 

それに、質問がそもそもかなりアバウトだ。裁量の大きさを考えても、完全に自由というわけにはいくまい。与えられたフレームの中で、どこまで我を出すのか。

 

・・・なんて現実的すぎることを考えても仕方ないな。その辺は度外視して、考えてみることにしよう。

 

では以下、思うままに書いてみる。

 

 

【理想の校舎】とは何か?

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ところで、僕が勤める塾の各校舎は、屋号及びその中でやっているサービスの内訳こそ同じだが、結構裁量は大きく与えられている感じである。

 

殺風景を好む校舎長もいれば、好きなもので飾り付ける校舎長もいて、その辺はまさに十人十色。そこについて釘を刺されることは、あまりない。

 

では僕も、考えられる限り自由に、夢という名の空想を語ってみよう。

 

まず、塾が存在する究極の理由はただ一つで、「勉学において成績を上げて、各人が望む結果を出すこと」だ。ここからは逃げられないし、逃げようと思ったこともない。

 

しかし、そのための方法に関する知識が、まだまだ旧態依然であることに、僕はかねてから違和感を覚えているわけで。まずはここにテコ入れしたい。

 

徹底して量を稼がせる塾は結構あるが、では徹底して【質】にこだわるという目線ならどうだろうか。もちろんこれも大量に存在するので、さらに突き詰めて考えよう。

 

僕は何度も、勉強と筋トレの親和性をここに書いてきた。どちらも、目指すべきゴールに対し、ある程度体系化されたテクニックを臨機応変に用いる点がそっくりだ、と。

 

となれば、僕が目指したい塾の環境は、一言で表現できる。【学習ジム】だ。・・・頭の悪い名前だが、もう少しちゃんと説明します。

 

例えば、自習室あるいは自習スペースを設ける際、スタンディングデスクをいくつか用意しておくつもりだ。効果はいくつも示されているので、今日は引用に留める。

 

また、英文の音読に特化した場所も作りたいとも思う。それか、何かのショーみたく、時間を決めて希望者と一緒に読み合わせをしてもいいとさえ考えている。

 

数学の問題集もメルカリなどを駆使してできる限り集め、ジャイアントセットを組むことも可能にしておく。まさに、勉強以外何しに来るの?という環境を作るのだ。

 

―そして校舎全体に充満させたい考え方もある。それは、【変化】だ。マンネリズムを、基本システム以外、僕は徹底して排したい

 

掲示物はちょこちょこ変える。目指すものも月ごとに変える。安心・安全できる設計も大事だが、それ以外は変えることを止めない。だって僕は、飽き性だから。

 

もちろん講師から意見を集めることも積極推奨する。勉強という分野において、現役に近い人間の意見を集めるのは当然だと思うからだ。

 

何なら、大学の勉強を校舎でやってもいいと、言ってやろうとさえ考えている。それくらい、校舎を学びで、僕は充満させたいのだ。

 

もちろん、息抜きの場所があってもいい。生徒たちが新たな才能の可能性に出会うためにも、例えば将棋盤とかチェスとか、その辺をまとめた場所も欲しいなぁと思う。

 

あと着手したいのは、授業のポータブル化だ。授業は教室に生徒も講師も集まってやるものという固定観念を、打ち破りやすくしておく体制を整えたい。

 

例えばコロナが落ち着いて、海外旅行に行けるようになったら、授業を現地からオンラインで繋いで行っても良さそうじゃなかろうか?

 

そういう遊び心も僕は欲しい。単に休みを取りやすくするだけじゃなく、そういったイベント性を盛り込むには、こちら側にだってゆとりが必要という話なのだ。

 

―さて。意外と書き始めたら止まらなくなってしまった。僕の中にある理想の塾の像は、思った以上に形になっているようだ。

 

いうなれば、【塾】というビジネス形態を活用し、僕がやりたいことを手当たり次第に試したいってのが本音なのだ。読書や人の体験から得た仮説を、実験するラボ。

 

それが僕の理想の【塾】なのかもしれない。

 

僕が校舎長になる日は来るのか?

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だが実際、僕は自分のキャリアについて、いささか悲観的である。多分、校舎長になる日が来ても、それが名ばかりになるような未来が、少し予感されるからだ。

 

例えばエリアマネージャーなる立場が創設され、基本そこの指示をトップダウンするような形式になるかもなと、うっすら考えてさえいる。

 

理由は簡単。僕は”テンプレ”なリーダー像から、あまりにもかけ離れているからだ。要は、会社が僕をリーダーとして一任する材料に、どうしても乏しいというわけ。

 

もちろんそれなりに職歴は積んだし、ある部門を預かってから業績を伸ばすことにも成功した。だが僕を認めるコメントの裏には、ところどころ、【不満】を感じる。

 

それは僕の力量ではなく、性格によるものだ。僕は我ながら、謙虚だし、コメントは聞くし、先をできる限り考えてから動く。

 

だがそういった人間はリーダーに向かないという価値観が、組織の根底にあるというのもずっと感じているわけで。

 

拗ねているだけに見えるだろうが、僕は僕がチームを率いる未来を、近くのことにも遠くのことにも思えてしまうのだ。

 

この辺の現実は、以下の本を読むと、イヤでも思い知らされる。

 

だが、僕はサブというより小間使いに等しい現状に、仮に給料が上がろうが、年単位で我慢はできない。

 

夏にも悟ったが、今がまさにキャリアの過渡期。会社が求める僕と、僕が在りたい僕は、日々ズレていく一方だ。どっちに正直になるのが正解なのだろう。

 

ってことで頭痛のせいか、いつにも増して後ろ向き極まる記事になったけど、今日はこの辺で。

 

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