体調悪いときに限って、仕事がらみの超難問が降りかかるマーフィーの法則に乾杯。中元です。
さて。今日は少しとんでもなく聞こえるが、体感としては結構昔から感じていることをテーマに記事を書いてみようと思う。
それは、【高校英語の指導(特に学校進度)って、意外とブルーオーシャンかもしれない】という話だ。
なぜそう思うのか?その理由は、続きから書いておこうと思う。
【高校英語】の不条理。
高校英語の教科書を見ていて常々思うのだが、あれはどう考えても、わざとなのかというくらい難しい。
そのくせ、問題演習の場が、文法の難度と派生知識に対して少なすぎるのも微妙だなとずっと考えていた。
要するに、やたら難しいことを教えるくせに、実践の場が足りないのだ。(教師の仕事を生むためとか、問題集を売るためといったきな臭い理由をどうしても考えてしまう)
ぶっちゃけ、高校で習う英文法を習得するには、知識を素早く吸収する力より、それを何回・何種類練習したかにかかっている。
だが、大体のテキストはそうなっていない。そのテキストを何度も繰り返せば定期テストで点は取れるだろうが、そこどまりなのはある種自然なのである。
・・・となれば、そこをうまくカバーする手段を提供できれば、ある意味塾としてブルーオーシャンが見えてくると思えないだろうか。
教科書の文法をわかり易く説明することは、塾の仕事としては当然であり、付加価値は実際、そこにはほぼ生まれていない。(失礼!)
そして説明に終始すると、点数は面白いほど伸び悩む。細かい理屈を語ってもいいが、この現象は、論文等でも書かれている話である。
ではどうするか?簡単だ、問題を山ほど作ればいい。以上。それで結構な差別化が図れると僕は考えている。
・・実際実験として、この二学期中間シーズンに、問題をアホほど作ってバカみたいに生徒に解かせまくったのだが・・・
40点アップが一人いて、20点アップも普通にいた。
成果は上々。なんかこう、カギをようやく見つけたという手ごたえを覚えている。(前回の平均が低く、今回が高かったのもあるよ)
この対策プリントみたいなヤツだが、正直コミュ英のテストも、学校次第では結構な確率で、狙って的中させることもできる。できたことも、何度もある。
理屈のみを丁寧に説いても、それだけで点はほぼ伸びない。繰り返すが、これは説明が稚拙だからといった自責論ではなく、そういうものなのだ。
だからこそ、教材研究というか、テストの問題を見せてもらうなどして、最終的にここを解かせるにはどうするか、逆算してみるのはどうだろうという提案である。
学校の数は山ほどある。となれば、普遍的な問題集でそのすべてをカバーするのは無理なのだ。(可能なら赤本はあんなにたくさん出ない)
こちらの練習というか、経験値も必要にはなるが、トライアンドエラーを繰り返して作ってみるのも一手だと感じる。
・・・色々あって消耗したため短編になってしまったが、今日はこの辺で。
塾