お昼に1,500円のハンバーグを食べてみました。なんかこう、オトナになった気分です。中元です。
さて。いよいよ中学受験の願書が配られるシーズンとなり、【自己推薦】という新しい概念に頭を抱える小学生が大量発生した。
まぁこれは、自分を推薦するとかの前に、自分って何者なのかというアイデンティティをつかまないといけないので、大学生でも難儀する部分だから仕方ない。
そしてそこを指導するのは極めて難しいというか、時間が掛かる。カウンセリングを数十分入れないと、冒頭すら無理だろう。
だからとりあえず、授業の頭で全体に向かって、"自己推薦の罠"について話をしてみた。そしてそれの反応が、なぜかびっくりするほどよかったわけで。
今日はそのログを書いてみようと思う。
肩書や経歴はあなたではない。
自己推薦と聞いてぱっと閃く文章は、えてして決まっている。自分が取ってきた資格や結果を、ずらずらと書き並べることだ。
例えば、英検3級を持ってます。すごいね。漢検3級取りました。やるじゃん。こういうのを文字通り羅列する。履歴書の資格欄をぱんぱんにするのと似ている。
しかしはっきり言うが、これが評価されることはまずないと思う。例えば僕なら、経歴だけ並べて人となりがわからない人間など、気味が悪くて採用したくないからだ。
さて。自己推薦文を通じて採用・合格させる側が見たいのは、もちろんその学校が求める人物像に合致しているか、能力があるかというのも大きい。
しかし同時に、問題を起こしそうな人物でないかを見ている可能性もある。というか、絶対見てる。
ここでいう問題のありそうな人物とは何か?一括りにするのは超難しいが、サイコパスだったり自己愛が強すぎたり、そういう性格がまず浮かぶ。
そうなると、派手な成績・経歴・資格だけを並びたてた自己推薦書が危険なのは、うすうす感じ取れてこないだろうか。
自分を極端に"飾る"のは、自己愛・サイコパスに多い特徴らしいのだ。そういう意味でも、良いとこばかり書かない方がいいと、言葉をぼかしながら僕は伝えておいた。
・・・さらに問題点はある。例えば東大生・京大生は最高のステータスになり得るが、実は卒業生含めて、日本に数万人いる肩書である。
希少性で言うならば、果たしてどうなのか。肩書とは、実は代替可能なものであり、追い求め続けるとほとんどの場合不幸になって終わる。
他者比較に怯え、自分を認められなくなる。まぁ、昔の僕なのですが。そんなわけで、肩書に徹底してこだわるマインドセットは絶対にしてほしくない。
そういう意味も込めて話をしたけれど、伝わったかなぁ。
では、何を書けばいいのか?
そこで僕が薦めたのが、【何かしらの成果】+【エピソード】である。というかこれは、基本中の基本テンプレである。
さっきも書いたが、肩書は代替可能である。例えば英検1級を持つ人間は、日本に数千人もいるのだ。ぶっちゃけその他大勢である。
しかし、どういう勉強をして、どういうことを考えながら、最終的に合格に至ったか、その途上のストーリーはまさに千差万別である。
つまり具体的に考えれば考えるほど、勝手に唯一無二が生まれるのだ。そのストーリーを見れば、人となりもわかるし、どんな経験値をすでに得ているかもわかる。
成果などどうでもいいとは言わないが、「何をしてきたか」といった部分の方が、実は情報量が多い。こっちを重視した方が吉である。
というかそもそも、「俺、頭ええねんで!」というメタが伝わったらシンプルにウザいじゃん。そういう話も伝えたつもりだが、どうでしょね。
終わりに。
もちろん自己愛とかサイコパスとかそういう言葉は使わなかったが、自己推薦書について伝えた話はおおよそ以上のとおりである。
単に今まで書いたことないから難しいってのが大きいので、ぶっちゃけいいからとっとと思うがままに書いてみろってのが正直伝えたい話である。
そうすればおのずと、書き方がわからないのか、エピソードが作れてないのか、細かい弱点がわかるから。
ってことで添削はバリバリかかってこいとも伝えたので、明日から僕は忙しくなるかもしれない。うへぇ。
では今日はこの辺で。