あまりにも疲れすぎて、なんかもうどうでもよくなってきた中元です。あー、しにたーい。
はい。もうここ最近ずっと同じ挨拶なのだが、僕は今、確実に負のループに突入している。
怒られ、謝り、怒られ、謝り、庇い、怒られ、謝り、そして、怒られ。なんかもう、面白くなるくらい、このループが全く途切れない(*^-^*)
一つの事件が落ち着くたび、次はどんなパンチが飛んでくるかを考えるようになってしまった。そして実際、それは飛んでくるので厄介だ。
つまり僕は今メンタルが疲れ果てているのだが、伊達に昔軽く壊したことがある手前、自衛の策を用意していないわけではない。
そしてその方法は、気持ち悪いのだが【勉強】である。ということで今日は、【勉強】の別の側面について、私見を書いてみようと思う。
別世界に没頭するのもまた勉強なり。
僕にとっての勉強とは、自分が知らない世界について学び、そして自分なりに感想や仮説を得ては、本当はどうなのかを調べ直すことの繰り返しである。
そして基本的な話なのだが、実はストレスやネガティブからは、いったん気持ち的にクラッチを切れれば対処の8割が終了するのである。
一番手軽なその手段は【勉強】だと思うわけで。というのも、他の対象への集中を生むには、ある程度の頭への負荷と材料が必要だからである。
その対象は本当に何でもいいのだが、僕は自分が今暮らすこの現実世界とは異なったところを舞台にするそれをオススメする。
例えば、数学も実際はそうである。抽象的なものをテーマにしながら、論理の積み重ねの果て、現実世界では認知することすらできない真理に触れる。
こう書くと、あれは研究対象として確かにすごく面白いのだろうと思う。(できないけど)
また僕は、よく歴史をテーマにした小説や映像作品を、飲酒しつつ楽しむことが多い。できれば日本以外の場所を舞台にしたそれを最近は選んでいる。
数百年違えば、今の世の中とはルールが色々とまるで違うし、何より当時に比べれば、すぐ首を落とされないだけ今の方がマシかと、そういう開き直りも得られるためだ。
そうやって現実社会からいったん逃亡しているうちに、悩みはちゃんと等身大のそれに落ち着くし、心の平穏は得られるし、何より自分に優しい施策じゃなかろうか。
・・とはいえ、例えば超気にしいなどで、こういう【逃げ】の手段を取ることに抵抗がある方はどうすればいいか。
これについては、一瞬立ち向かってから逃亡することを推しておこう。
この一瞬とは、例えば200文字程度に自分の胸の内を書いてみるとか、5分程度脳内独り言で現状をナレーションとするとか、そういう話である。
要はいったん、他人事にできればいいのだ。僕がやらかした時にブログを書きがちなのは、実はこれが最たる理由である。
そうやって立ち向かうべき何かを形にしておけば、ネガティブという敵を頭の外に出しておけるので、遠慮なく別世界に逃亡が可能となる。
スッキリしてから改めて、詰め将棋を解くように、リカバリーの方法を考えればいいのだ。これは無責任でもなんでもなく、一個の作戦である。
歴史ついて勉強してみると、実はどこかで何度か逃亡という選択を取っている偉人は多い。その結果に成功があると歴史が示しているなら、逃げることは悪ではない。
というかボロボロの状態で矢面に立ち続けたら、普通に現実に殺されるだけである。
自衛隊でさえ、疲労が見える隊員を休ませることは強制のシステムにしているのだから、況や私企業をや、である。
もちろん苦境をバネに、自分を炙り続けて成功する人もいるが、そうすると心をぶっ壊して人生を棒に振る人もいるのだ。
僕はきっと、後者である。クヨクヨ悩んでも現状は変わらないし、精神は見る見るうちに病んでいく。滑稽だ。
もう僕がするべきこと、得られた教えは言葉にした。咀嚼するのは未来の自分で良い。未来の自分が咀嚼できるよう、今の僕はリフレッシュに徹するべきなのだ。
開き直りと言われればそれまでだが、自分という人間が壊れる音を聞くよりマシである。別世界に、勉強という形で逃げることを、僕は肯定する。
世界は一つではない。学校以外にも世界はあるし、日本以外にも国はある。何なら、人の脳内にしか存在しないそれだって、ある。
そして、流れている時間も実はばらばらなのだ。過去もあれば未来もある。パラレルワールドもある。異世界転生された場合の話もまた、物語にあるのだ。
自分を守るために勉強する。こういった側面もまた大切だと、改めて伝えたい。
では今日はこの辺で。