二日酔いになるかな~どうかな~というラインを攻めたら、やっぱり二日酔いになりました。中元です。
はい。気付けばルーティン日記シリーズが50という節目になった。また、ふと思い出したが、この洋書も半分以上読んでいるらしい。
もちろん未知の単語もたっぷりあるため、意味を拾いきれない箇所もあるが、完全に英文を読むことが習慣になったのは結構嬉しい。
ってことで今週もはじめまショ。
- 11月8日(月) ―~P83までの感想文 決断はコイントスでいい―
- 11月9日(火) ―~P111までの感想文 したいことをするために―
- 11月10日(水) ―~P113までの感想文 Q&Aというかトークセッション―
- 11月11日(木) ―~P116までの感想文 自分が正しいというバイアスをかなぐり捨てる―
- 11月12日(金) ―~P118までの感想文 悪ガキ教授の哲学―
- 11月13日(土) ―~P120までの感想文 炎上したシミュレーション・ゲーム―
11月8日(月) ―~P83までの感想文 決断はコイントスでいい―
引き続き【何かを止めること】について説かれていた。例えば、考えても仕方ない話があったとき、考えるのはやめて決断する方が前進できるという感じだ。
そこに書かれていた方法が面白かった。どちらにするか迷いに迷ったら、コイントスすればいい、と。つまり、表ならやる、裏ならやらない。そう割り切るのだ。
僕自身も、最近ちょいマシにはなったが、まだまだ頭でっかちマンであり、考えを詰めたいという欲というか性質は強い。
ある程度までいったら、コイントス。この考え方、非常に気に入った。実際に投げてもいいし、アプリでもいい。僕は自分の決断を、コインという名の運に託す。
11月9日(火) ―~P111までの感想文 したいことをするために―
ページが一気に飛んだことにお気付きだろうか?というのもこの本、第8章でいったん終わりであり、その後は参考文献等の紹介がだだーっと続くという中身なのだ。
しかしそれが終われば、骨太のQ&Aが控えているので、内容としてはまだまだ詰まっている。決してペラペラなどではないのである。
―さて。本書の〆は、【止めることの大切さ】であった。そして読み終わってみれば、その言わんとすることがようやくつかめてきたわけで。
それは、したくもないこと、違和感のあることで人生を埋めることなかれ、ではないかなと。この文言は、僕の心を痛烈に突き刺した。
というのも、最近どうにもしたくないことが仕事時間を占める割合がガンガン高まっているのを感じており、息苦しさもストレスも理不尽も、強く覚えているためだ。
こと日本はやはりそうだと思うが、始めたことを止めることに不寛容である。それは怠惰であり、敗北と同義だとさえ考えるほどだ。
そして決まって、「苦しいことはついて回る」というフレーズで、納得させようとする。だが大体、そういうのを言う人は、押し付けた側なんだけどね。
―だから僕は、ガチで嫌なことを徹底して避ける方法はないか、今日を境に考え倒すことに決めた。だって、したくないんだもん。したいことは他にもあるもん。
資源を最適に分配するということ。大義名分はしっかり立っている。そうやって浮いた時間で、今以上に利益だせば文句ないんでしょ?
やはりこの本は気づきを与えてくれる。というより、洗脳を解いてくれる。早く和訳されないかな。そしたらガンガンオススメできるのに。
11月10日(水) ―~P113までの感想文 Q&Aというかトークセッション―
こっからはどうやら、本書の販売に伴うトークイベントの文字起こしが続く感じらしい。つまり一般読者からのQ&Aではなく、司会からのそれ、という具合だ。
さて。このイベントでまず著者の一人が提唱していたのは、「わからないを認めることが始まりですな」というものだった。
特に講師であったりテレビ番組のコメンテーターだったりすると、知らないことは許されないという状況になり、気付けば「ふり」が上手になっていく。
そうなれば好奇心は死に、成長は止まり、保守的になり・・・後はもう、言わずもがな。
もちろん「いやー、マクロ経済とかわからないっすね~」と堂々と言っちゃえば、そういった仕事は来なくなる。だが、かけがえのない心持などは守れるので御の字。
まず認めるべきは、【わからない】ことの存在。うむ、深い洞察である。
11月11日(木) ―~P116までの感想文 自分が正しいというバイアスをかなぐり捨てる―
好奇心と頑固の違いがどこにあるのか、ふと気づかされるフレーズに出会った。仔細は忘れたが、「データが導くものを信じる」というのがそれだ。
まず好奇心とは、「どうなるんだろう?」というただそれだけをモチベーションに、調査や検証、仮説立てを行いまくるものである。
一方頑固とは、自分が正しいという前提ありきで資料を集めたり解釈したりする傾向にあり、つまり頭が良いとされる人に見られやすい負の特徴でもあるのだという。
後者の態度を取り続ける限り、柔軟な発想は生まれないし、出てきた答えを素直に受け止めることもできない。どこかで偏見が入り、必ず歪む。
それを防ぐためにも、答えがない問題に敢えて取り組むことって、結構大事だなと思わされた。答えはこうなるという思い込みを「止める」のだ。
そう思えば、人生は全てゲーム。ひろゆき氏の思考に通じるものも感じられるので、何かが繋がった感覚だ。もっとこう、お遊戯事みたいに人生考えてみようかなー。
11月12日(金) ―~P118までの感想文 悪ガキ教授の哲学―
インタビュー記事が続いたが、最後の方でふと、著者の哲学が垣間見える一言があった。
「自分が面白いと思うことを全力で調べて、発表し、それを誰かが面白がってくれたら最高だよね」
というものだ。―これって全ての働く人にとってマストな考え方であり、必須過ぎて実は原点とも言えて、かつみんな忘れている大事な根っこじゃなかろうか?
少なくとも僕は、この本を読んでて何枚目かわからない、目からウロコである。
特に最近、仕事のヘマ、理不尽な怒りを受け止め続けて、楽しくないとずっと思っていたばかりに、マジで目が覚めた思いである。
面白くも無いことに意識を向けて、面白いことをスルーして。それで何が楽しいの?んで、誰が幸せになんの?
その純粋すぎる哲学のおかげで、僕は身を正すことができそうである。ありがたし、ありがたし。
11月13日(土) ―~P120までの感想文 炎上したシミュレーション・ゲーム―
インタビューの文字起こしが終わった後は、著者のブログ記事の抜粋が続くようだ。そしてその中でも、最初にして最も炎上した記事がそこに書かれていた。
それは、「一番効果的なテロ攻撃とは?」という考察記事であった。ちなみに批判の内容は、「イカれてる」「バカでしょ?」といったものが大半だという。
―なぜこんな記事を書いたのか?説明は、一応その後に書かれていた。「逆にテロを防ぐ最高の方法なんて書いたら、抜け道を提供するのと同じ」という感じで。
それについてどういう反応があったかは、そこまで辿り着いてないのでわからないけど・・。この思考、ちょっと面白いなと思った。
ひろゆき氏も本で書いていたが、「お金を使わずに遊べる人は強い。僕はときどき、勝手に論理ゲームを脳内でやって、時間潰ししている」のに通じるな、と。
僕は暇な時間が超嫌いで、何をするにも少なくとも考え事で埋めていたいタイプなのだが、どうにも材料がないときは、何かテーマを決めて考え抜くのは楽しそうだなと。
いつでもどこでもできる遊び。授業が退屈なとき、テロリストが学校を襲ってきたときのシミュレーションゲームを行う男子になった気分である。
早速今日、やってみようっと。
ってことで日曜日は残念ながら朝から夜までみっちりなので、読む暇がなさげ。ってことで、今週はここまでに致しやす。
来週読み切れるかなぁ?どうなんでしょ。
ってことで此度はこの辺で。