偏頭痛の予兆が左目の奥に来ています。明日、久しぶりに釣りに行くのに・・・中元です。
はい。今日は完全に自己を正当化するための記事になっちゃうのだが、皆様は趣味を何かお持ちだろうか。

僕はニワカなのも含めれば、魚釣り・ソロキャンプ・料理・お絵描き・読書・TVゲーム・筋トレ辺りが好きであり、時期やテンションによって増減することもある。
だから給料と休日のどちらを取るかと言われれば、即答で【休日】というタイプである。(最近ははっきりと前者になっているのが口惜しい)
―ここでいったん話を完全に変えるのだが、皆様が見て「面白かった先生」はどんな方だったろうか。

授業がわかり易いとかいろいろあると思うが、とりあえず僕が面白いと感じてきた先生には、それ以外にもある共通した特徴がある。
今日はこの2つを絡めて、以下つらつらと論じていく所存である。
憧れの大人は、笑っている人。

僕が面白いと感じてきた先生は、僕らに学校の外の世界を語ってくれた人たちである。
アルバイトの仕組み。大学生活とは何か。海外旅行で死にかけた話。身近なグッズの作成秘話。歴史上の人物の恥ずかしいエピソード。
雑談とか小手先と言われれば何も言い返せないが、僕はそれが純粋に楽しかった。自分が属しているコミュニティは限定的で、外の世界は広いのだと実感できたからだ。
そして外の世界はどうなのかを語る顔が楽しそうなとき、僕は中学や高校を出てからの世界もまた、楽しいのだなと期待することができた。そういう存在は貴重だと思う。
学校で習うことも、もちろんそれが未来を切り開くツールという意味で大事なのだが、その【未来】がどんなものかは、端緒すら教科書に書いてないものである。
少なくとも僕は、大学に出て社会の一部を知って、「あ、公民の教科書に書いてあったことだ!」なんてのは1㎜も実感しなかった。
むしろ、「先生が言ってたあの話って、こういうことか」「なるほど、あの人はこんな気持ちだったんか」という気づきの方を多く得ている実感がある。
―繰り返すが、学校というコミュニティはとても限定的で、しかも閉鎖的だ。ゆえに意外と新しい知識や文化が発達し辛い土壌だと、僕は常々感じている。
時折TikTokといった完全に新しい風が入り込んで大流行を起こすが、それは本当に指折り数えられる程度である。
その価値観に相いれないタイプの生徒たちは、「つまんねー」という感想を抱えたまま、閉じた世界で数年過ごすことになるわけで。
そういった全体的に流行したことに気乗りしなかった生徒たちにも、できる限り外の世界の存在と、そのヒントを与えること。
結構これって、教員・講師が【すべきこと】として考えていた方が良いのではと、僕は勝手に考えている。理由はもう書いたので割愛。
―さて。ここでやっとこさ、最初に書いたことの伏線を回収することにする。
では、一体どうすれば、外の世界の話を生徒に届けることができるのか?答えは非常に掴みどころがないのだが、確実に"ヒント"と呼べる要素は、僕にも言える。
続いてはそれについて話を進めよう。
猿のようにハマれ!
それは、自分が熱量をもって何かにハマり、その魅力を語ることだ。
学校で習うこと以外にも、学べることはある。学校行事以外にも、楽しいイベントはある。聞きかじりでそのメッセージは、絶対に伝わらないのだ。
自分が好きなことを語るとき、その熱量は話に宿る。【TED】のスピーチを分析した本にも、【語るにワクワクするテーマを選ぶこと】が基本として載っていたほどだ。
もちろん中には、「好きなことだけ饒舌だなww」とかでマウントを取ろうとする人もいるが、ぶっちゃけ言わせておけばいい。(あるいは「何が好きかと」質問したらいい)
―大事なのは、例えば「ソロキャンプに行ったら、楽しかったんよ!」というエピソードを語るのに終始しないことである。
そこから得られた仮説は何だとか、次回検証したいアイデアは何だとか、既存の知識と結びついて気づくところは何だとか、そういうところも言葉にしたいところである。
・・・僕はまだその領域に行けてないので、スーパーどの口が、なのだが。
ということで念押し。教職に就いてようが、別に遊ぶことは悪ではない。そして、全てを投げうって教職に殉ずるのが唯一の美徳なんて話も、あり得ない。
僕は教科書に書いてあることだけを語れる人に何の魅力も抱かない。むしろ、頑張ればどういう世界が待っているのかを語れる人にこそ、強い魅力を覚える。
だから僕は、明日のオフは全力で遊ぶと決めている。そして得た経験値や教訓、気づきは、積極的にシェアしていく所存である。
もちろん授業として最低限伝える必要のある情報は伝えたうえで、だけどね。
では今日はこの辺で。