オミクロンとオルニチンをしょっちゅう間違えます。中元です。
はい。今日は自分自身を納得させるため、長尺の独り言を書いてみたい。それは、講師と生徒の相性についてだ。
ここの見極めは非常に難しく、上手くいってないと思ったら実は超仲良しだったり、上手くいってそうと思っていたら実は犬猿の仲だったり、どちらも結構ある。
今も正直、「もしかしたら、仲悪いかも?」と悪い方に想像してしまう組み合わせがあり、ここのもやもやは言語化しないと、多分僕の心を蝕んでいく。
だから自分を納得させるためにも、マジ考えても仕方ないぞってことを、つらつらと書いてみようと思う。
見た目では、つまり結局、わからない。
その講師とその生徒の相性は、本当にマジでわからない。特に、悪い場合は、表面化する頃には手遅れ上に、表面上は良い感じだから厄介である。
極端な例では、授業中は楽しそうにしていたのに、ある日保護者から、「講師と意思疎通できないと泣いている」という退塾電話を受けたことさえ、ある。
真剣に授業を聞いていると思ったら、突然「指導の仕方が厳しくてもう無理」という連絡があったことも、ある。
一方、終始反応少な目で授業を受けているのに、アンケートはその講師を褒めちぎっているケースもざらであり、つまりもう、考えるだけ無駄ということが実例からわかる。
さらに言えば、最初は仲が良いのが、ふとしたやり取りで険悪になったり、その逆が起きたりするので、もはや追いかけ続けるのはめんどくさいの一言になってしまう。
だがこれは、ただの思考停止に他ならず、こういった管理業務を預かる僕が一番やってはならない職務怠慢である。
だから、目線を変えて考えてみよう。ただ、話が変わるので、それは項を変えて詳述する。
ではどうするか?
表面化しない以上、他の方法でデータを集める必要がある。それはさっきも少し書いたが、アンケートだろう。
安河内哲也氏が書いた以下の本にも書いてあったのだが、「全ギャグがスベったクラスでアンケートを取ったら、面白いが過半数」という結果もままあるらしい。
往々にして、自分の主観フィルターを通して見た現実は、大なり小なり歪んでいるものだ。
直感を信じることも、それはそれで素晴らしいが、人間関係におけるそれは、要因が多すぎてあてにならない。
だからこそ、アンケートという形で本音を吸い上げて、その数値を"本当"と考えて判断する方が健全だ。目に見えるものは、目に余るものを除いて、考えない。
そのアンケートが良ければ”いい”のだし、悪ければ”わるい”のだ。シンプルイズベスト。
【嫌われる勇気】にもあったが、ここで求められるのはつまり、課題の分離という考え方だ。コントロールできないことに、気を病まない。これに尽きる。
そもそも、冷静に考えれば、自分という主体さえ、他者から好かれるか嫌われるかをコントロールすることはできない。
となれば、他者が他者からどう思われるかなど、一切介入できるわけがない。何にもできないのが当たり前だし、自然な姿なのである。
もちろん、準備不足が祟って怠慢と取られるといった不毛な未来を避けるべく、教材の準備といった数少ない介入可能なところはきっちりサポートするべきだ。
しかしそこ以外のコントロール不可能な部分は切り捨てて、向き合うのはアンケートと割り切る。これでいいんじゃないかと思う。
自分の下で働いてくれる人たちに猜疑心を抱いたら終わりだ。僕は結構愚かなことを考えていたのかもしれいない。猛省しよ。
まぁ、家に帰るまで猛省して、帰ったら酒飲んで寝るけどね。
終わりに。
コントロールできないところに意識を向けても幸せにはならない。だから、今現在に集中する。
ちなみにこれ、サイコパスとされる人たちが最も得意とする思考法でもあり、訓練次第では僕らも後天的に得られるものだという。いわば、マインドフルネスだ。
過去や未来、そしてIFのベクトルに思考がぶれたときは、現在に注意した方が良い。大事なことを書いているうちに思い出せた。
つまり誰に向けた記事がわからなくなったのだが、もしかしたらヒントめいたことが書けているかもしれないので、このままアップすることにする。
では今日はこの辺で。