不可抗力で早出が連続した結果、生活リズムが前倒しになりました。健全なのか、不健全なのか。中元です。
はい。こちらの記事でも書いた通り、新しい洋書をまた読んでいる。今度は【フェルマーの最終定理】であり、言わずと知れた、ドキュメンタリーの名著である。
やはり一度訳を知っている本は読み易いが、「え、これをああ訳したの?」と舌を巻く場面も結構多く、これはこれで学びになっている手応えがある。
そんな読書感想ブログ、以下本編である。
- 11月30日(火) ~P60.5まで
- 12月1日(水) ~P61.5まで
- 12月2日(木) ~P64.5まで
- 12月3日(金) ~P69.5まで
- 12月4日(土) ~P73.5まで
- 12月5日(日) ~P79まで
11月30日(火) ~P60.5まで
ついにガッツリとフェルマーが登場した。彼の本業は裁判官であり、フェルマーの最終定理を始めとする業績は、その合間のモノなのだ。つまりアマチュアである。
ただ、同時代の数学者と手紙を通じて交流を持っていたり、【数】に対して熱狂できるほどの興味を持っていたりと、技能は文字通りプロ顔負けという感じがする。
そんな彼が余白に書き残したメモが、3世紀も世界の数学者を悩ませる。無茶苦茶な話である。
明日からその辺がガッツリ書かれる部分になってくるので、期待しておきたいと思う。
12月1日(水) ~P61.5まで
全く進んでないように見えるが、実は一旦読み終えたところを見失い、昨日と同じところを4ページくらい読んじゃったのが原因である/(^o^)\
まぁその分、色々と理解できたから良しとしよう。
中世の数学者(特にパリの)は、どちらかと言えば会計を素早く正確に行うことをウリとして、それで飯を食っていたという側面があるという。
そのため算術のほぼ全てはオリジナルであり、また秘匿されるべきものという感覚が強まっていったのは必然だ。手品のネタを全部バラす手品師がくいっぱぐれるのと同じ。
だから中世は、全体的な数学の発達としては微妙で・・・というところで時間切れ。
まぁいい。今日は何か目覚めが悪いし、明日の楽しみにとっとくとしよう。
12月2日(木) ~P64.5まで
寝坊した・・。まぁ確かに、寝付く時間が遅くなったという心当たりはあるので、今日はその反省を活かして改善することにしよう。
ただ、今日も英文を読めはした。高校数学で生徒を泣かせたり救ったりする不思議な分野、確率論を作ったのは、フェルマーとパスカルだという部分だった。
また、フェルマーは証明を付けずに問題を送り付けて挑戦状を出すという悪ガキみたいなことが好きという話もあって、色々と人物像がわかり面白く感じている。
しかし、今日一番嬉しかったのは、初めて【ought to】が使われている例に当たったことだ。習うクセに、マジ見ねぇなぁと思ってたんだよねぇ。
やっと用例に出会えたので、新しいネタができた。そういう意味でも、読むことは大事だなと思う。
12月3日(金) ~P69.5まで
今日は確率論の話から転じて、直観と計算のズレ、つまりパラドックスについて触れられていた。
有名なのは、サッカーの試合があったとして、その中で審判も入れたら、誕生日が一致するペアがいる確率はどれくらいか、というものである。
ぶっちゃけ直観的にはほぼゼロだろと思うのだが、なんとざっくり50%ちょいの確率でいるそうだ。
ちなみにこの理由は、そもそも組み合わせの数が意外と多い点にあり、超めんどくさいが樹形図を書いたらはっきりする。
大体の人が「数字を見ろ!」という理由はここにあるよなと、勝手に納得した。感情を全て排した、実際の姿。魅了される人がいるのも、納得である。
12月4日(土) ~P73.5まで
背理法という面白い証明法がある。証明したい定理の逆を仮定して話を進め、そうするとどうにもならないギャップがあると示し、結果正しいことを証明する。
ーワケがわからないので、わかり易い方の背理法を紹介してみる。
A容疑者は「18:00まで横浜で友人のパーティーに参加していたこと」が分かっている。
そして殺人事件は18:50に八王子で起こった。
ここから「Aさんは殺人犯でないこと」を証明する。
背理法で証明する。
「Aさんが殺人犯である」と仮定する。
そうすると、Aさんは18:50に八王子にいる必要がある。
しかし、横浜-八王子は横浜線でも最低1時間かかる。つまり、Aさんが八王子に到着するのは、最短でも19:00。
18:50に八王子にいることは不可能。よって矛盾。
「Aさんは殺人犯である」という仮定が誤り。「Aさんは殺人犯ではない」
という感じ。素数が無限にあることも、√2が無理数であることも、これを使えば証明ができるという不思議な感じがする論法だ。
こういうやり方ができたのは紀元前というから、人間の頭のすごさをマジで実感させられる。とりあえずユークリッドスゲェと思ったのが今日であった。
12月5日(日) ~P79まで
今日も使われる数学的な論理であったり、整数の操作の仕方であったり、つまり初等教育で習う分野は、古代ギリシャ辺りでは既に成立していたのだという。
僕らが例えば方程式を解いているとき、その脳内でやっていることは、太古の昔に生きた人のそれと同じかもしれないのだ。すごい。
数学は、国どころか時も超える、唯一の言語なのかもしれない。そんなカッコよくて壮大なことを考えて、そしてすぐに悩みがどうでもよくなった。
解くという感覚が楽しいという人以外にも、数学にハマる人がいるのも頷ける。高校数学の勉強習慣、また復活させようかな・・。
ってことで今週はこの辺で。