超貴重で超久しぶりなフル休みという言葉に、猛烈な違和感を今覚えた中元です。来年は休みを重視します。はい。
てことで、この【Fermat’s Last Theorem】を読み始めて、遂に3週目に入った。サクサクと進みはするのだが、ページが多いので、結局同じくらい掛かりそうである。
ただ一番嬉しいのは、前回の本よりも「読めてるし、わかってる!」という感覚が強いという点だ。だから最近、この時間が好きになってきている。
ってことで、読書感想ブログ、以下本編である。
- 12月6日(月) ~P83くらいまで
- 12月7日(火) ~P87くらいまで
- 12月8日(水) ~P93くらいまで
- 12月9日(木) ~P100くらいまで
- 12月10日(金) ~P107くらいまで
- 12月11日(土) ~P116くらいまで
- 12月12日(土) ~P119くらいまで
12月6日(月) ~P83くらいまで
ディオファントスやユークリッドの研究が、現代に残るまでの話が面白かった。
アレクサンドリアの図書館に収蔵された彼らの成果は、何度も忘却の彼方に消えかけているのだ。
カエサルの放火を受けたり、戦いで破壊されたり、ムスリム勢力に本を消されかけたり・・・。それを奇跡的に逃れた本が、今の教科書に載ってる公式と思うと、胸が熱い。
そしてその書籍の1つがフェルマーの手に渡ることとなり、結果300年も解かれなかったあの超難問に繋がるというドラマがここに出来ていた。
壮大過ぎて、マジで今自分が抱えていることがちっぽけに見える。歴史の勉強はやはり面白いですな。
12月7日(火) ~P87くらいまで
フェルマーは、誰かに指導を受けていたという記録が一切残っていないという。つまり全ては独学であり、しかもテキストは超カタいテキスト【算術】である。
Focus Goldだけで数学の勉強を完結させるようなものだろうか。しかもそれは、趣味の一つだったのだという。時代背景も絡むだろうが、信じられない心持である。
ーここで、実は和訳された本の中で一番好きな部分が遂に出てきた。「フェルマーは数と戯れることが好きだったのだ」だったと思う。
ちなみにその部分は、【26】についてだ。26の1つ前、25は5の二乗だし、27は3の三乗である。そんな特殊な数は他にないと、突き止めたというくだりがある。
これはもう、数と戯れることが好きと言わざるを得ないよなと。綺麗な訳だと本当に思わされる。
12月8日(水) ~P93くらいまで
フェルマーが数学界にもたらした功績は極めて大きいのだが、彼の一番腹立たしい特徴は、そこに【証明】を添えないことだと書かれている。
数学における証明の大切さと、それが無いことの怖さは、以下の一例でよくわかる。
例えばある定理が「真だと仮定して」、様々な予想をそこに重ねていくとしよう。そして、その予想が成り立つと仮定して、さらにそこに積んでいく。
すると、場合によっては一つの巨大なジャンルが出来上がることもあるだろう。しかし、もしここで、最初の定理が「誤っている」と証明されれば?
お分かりのように、その分野丸ごと、研究成果ごと消え去ってしまう。だから数学者は証明を重視し、それを必ず作り上げるということだった。
となれば、フェルマーもすごいけど、それを全部つぶさにチェックした人たちもすごいよねと、そういうことを思わされる今日であった。
12月9日(木) ~P100くらいまで
フェルマーが余白に書き残した予想は、後世の数学者によって、ほぼ全ての真偽が確かめられていった。
そして最後の最後まで証明も反証もされずに残ったのが、いわゆるフェルマーの最終定理である。
しかし証明がない以上、それはどこまで行っても「仮説」とか「予想」であり、正確にはフェルマーの最終予想と書かれるべきだろうと指摘されていた。
いくら正しく見えても、どれだけ大量の証拠があっても、それは証明には絶対にならない。数学の面白さとめんどくささが凝縮されたようなエピソードだと、ふと思った。
12月10日(金) ~P107くらいまで
今日はもう一人の数学界の巨人が現れた。レオンハルト・オイラーだ。何でも、人間が呼吸をするかのように、鳥が空を飛ぶように、彼は計算ができたのだという。
超人的な記憶力と計算力を有し、ぶっちゃけ素養がある人が見ても割とチンプンカンプンな発見を重ね、18世紀最大の数学者とさえ言われるほどの偉人である。
ーってところまでは読めたが、彼がフェルマーの最終定理とどう関わったのかという点には、まだ辿り着いていない。
あまりにも超人的な人のエピソードは、やはり読んでいて面白い。明日も頑張って起きるとしよう。
12月11日(土) ~P116くらいまで
虚数とは|複素数・虚数iについて解説 - 空間情報クラブ|株式会社インフォマティクス
人が想像できない世界が存在すると思える人の、並外れた想像力は、ふと意識を向けると人間ができることじゃない話にさえ思えてくる。
例えば、何もない状態を「ゼロということ」と定義する。このゼロという数は、手に取ることもできないし、見ることもできない、完全に架空の存在だ。
しかしこれを使うことで、101とか110が容易に表現できるので、今の生活には欠かせないものになっている。
そういえば、マイナスという数も、よく考えると不思議である。僕らはそれを何の違和感もなく使えるが、例えば-2個って、どういうことなのか?
しかしこれは会計とかゲームの得点計算で絶対必要なレベルで浸透しているため、もはや疑う方が難しい。
ーそしてこれだけじゃなく、【虚数】なんてのも出てきた日には・・。僕の高校数学はこの辺で詰んだ。
人には見えない世界を垣間見る。不思議だけど、当たり前にも思える、そんな哲学的なことを考える項であった。
12月12日(土) ~P119くらいまで
数学者の、面倒とも崇高とも取れる気質、それは全ての問題は答えられなければならないというものだという。
例えば、-√1とは何かという質問。ハッキリ言って【解無し】というしかないのだが、「いやでも、答えんといけんよね」ということで誕生したのが【i】(≒虚数)である。
虚数は、ゼロやマイナス以上につかみどころがない数なのだが、それでも様々な自然現象の計算などにあまねく登場する、やはり必要な数らしい。
想像できずとも、必要である。なんか格言みたいだな。
では今週はこの辺で。