声を出すのが久しぶり過ぎて、仕事に影響が出まくっている中元です。
今日のテーマだが、今年度一番感じる自分の失敗について、ちょっと語ろうかなと考えている。
2021年から始まった日々の中で一番”しくじった”と思うのが、自分でコントロールできる範囲を死守できなかった点である。
これには僕自身のおめでたい勘違いなど、いろんなものが混ざっているので、読んでてアホだと思われる点もあると思う。
だがそれでもいいので、きちんと言葉にして整理し、次年度に繋げたいと思う。では以下、続きである。
2021年度は馬車馬の如く。
何度も書いた話だが、今年はとにかく立場を上げる足掛かりとして、実績を求めることを意識した。つまり、プレイヤーとして頑張ろうと決意したのだ。
だから週休1日になろうが、教えたことのない算数を受け持つことになろうが、自分ばかり背負うものが増えようが、歯を食いしばって耐え続けた。
・・・だが、その雲行きは非常に怪しいことが、夏くらいからひしひしとわかってきた。自分の時間は減ったが、さして評価が上がっていないことが伝わってきたためだ。
僕は自分が空回りしていることを、このとき強く実感した。そしてもう、抱えてきた仕事を下すことができない状況になっていることも、このとき悟った。
年度切り替えまでは、このある種無茶苦茶な、そして非常に都合の良い働き方を続けるしかなさそうだ。それが良い評価に作用しないことを、うすうすと感じながら。
その裏で、冷厳な事実を本なり論文なりで吸収し続けてきたのもあり、次年度は今以上に会社へコミットすることはなるべく避けようと決めている。
・・・もちろんこれは手を抜くという意味ではなく、自分の時間をむやみやたらに差し出さないという意味だ。他にしたいことは山ほどあるし、出し惜しみますよ、そりゃ。
むしろ睡眠も余暇もきっちりと確保してからことに当たった方が、90%以上は良い方に好転しているのを感じているほどだ。(残り10%は据え置き、つまり下がったことはない)
2022年に僕が一番確保しなければいけないのは、(笑)が付きそうだが『ゆとり』なのだろうなと、ひしひしと感じている。
具体的にどう仕事をするか?
次年度に僕の立場がどうなるかで変わるのだが、何かしらの裁量を得られそうになければ、ぶっちゃけ辞職を考えると思う。もう色々と、限界だ。
ただ、さすがにそれは無いだろうという楽観論から、次年度のことを考えたいと思う。まず何より、僕が受け持つコマは、他の人でもできると思ったらすぐに振る予定だ。
基本、高校英語以外は持たないという風に割り切ってもいい。たまに忘れられるけど、僕は英検1級保持者である。それがABC・・を教えるなんて、贅沢すぎるじゃん。
そうして余った時間で何を生むか?これについては、実はやりたいことがすでにいくつもストックされている。
だが細々したことを書いても仕方ないのでザクっと言い切ると、校舎をより一層確固たるコミュニティにすることだ。わけわからないけど。
本で読んだ知識が、もう頭の中で飽和し始めている。検証したいことが多すぎて、うずうずしている。こっそりやっちゃったこともあるが、それでもまだまだ、だ。
もちろん最終的には数字を取らないといけないのはわかっているので、そこに直結できるようなアクションもやりたいと思っている。
そのためには、少なくとも今の段階よりは、僕は講師としての僕から足を引っこ抜かないとイカンなと、寂しくもあるがそういう覚悟を考えているわけで。
ただ今は、そうなった未来を想像すると、寂しさより高揚感が上回っている。次年度、どうなることやら。今のうちから、資料なり根回しなり、準備に動くとするか。
ということで年度切り替えまであと2か月、今日はこの辺で終わりとする。