精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

イベントを打たない塾の末路は、恐らく悲惨だなと改めて思ってます。

二日酔い寸前まで飲んだせいで、今日は禁酒したいと思いながら、それでも明日は久しぶりの遅出だから飲んじゃいたいという自分の中の悪魔と戦う中元です。

 

はい。オミクロン株による感染者数が増えた関係で、早速いくつかの県やエリアで、まん防が出されることがほぼ決まってしまった。

www.fnn.jp

 

これを当然と取るか、過剰反応と取るかは人によって様々だろうが、僕はこれに関して、かなり危惧していることがある。

 

例えば、修学旅行の中止だ。もう実施したところもあるが、高校の修学旅行はこれからのところもあり、風潮的に頓挫することがないか、結構心配しているわけで。

 

そしてこれに絡んで、僕はやはり、何かしらのイベントも実施せず、ただ勉強を教えて終わりの塾って、最終的には滅びるという認識を強く持つようになった。

 

今日はそんなお話である。

 

 

イベントがない、それはつまり・・

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少し考えれば不思議なのだが、学校行事は中止にしたり縮小にしたりしても、勉強は一切止まる気配がない。例えば集団授業は、大体どこも通常通りの実施である

 

もちろんこれは将来のことや、学生の本分を考えたら当然なのだが、そうやってイベントを消して空いた時間も、全て勉強で埋められるのは辛いよなと思わされる。

 

人と出会うことは許されず、部活も短縮されながら、課題の量は増すばかり。代り映えのしない日々の中、勉強ばかりと向き合うとか、気が狂いそうである。

 

イベントがないことは、仕方ないと言えばそれまでだが、結構メンタルにも肉体にも大きな影を落とすことになる。山も谷も無いので、人生が味気なくなる。

 

こういった変化のない世界に閉じ込められる生徒たちは、マジで可哀そうだよなと、心の底から思わされてしまう。

 

イベントは何も、集合を前提としないよね。

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ってことでイベントをすることは、言葉で書ききれないほどのリターンがあるのだが、こんなことを言うとレスポンスはほぼ決まり切っている。

 

「集まるとか馬鹿か!」「感染者が出たらどうすんだ!誰が責任を取るんだ!」といった感じだ。多分一連の騒動で、冷静な人はまた減ったと思う。

 

・・・冷静に考えると、別にイベントって、オフラインでの集合は、別に前提としないのだ。リモートでもいいし、何ならスタンプラリーみたいなやつでもいいじゃないかと。

 

例えば今やりたいと考えているのは、学年や単元すら無視した300問テストとか、校舎をゴテゴテの正月使用にデコレーションするとか、そういうものである。

 

今の時期に集まって遊びに行くとか、河原で大人数のBBQするとか、さすがにしませんって。その制限の上で、できることを考えたいのだ。

 

僕が言うイベントは、あくまで勉強ばかりの日々に対する一種のスパイス程度のものだ。別に予算も企画書も要らないと考えている。

 

―少し話が反れるが、持続・発展するコミュニティの特徴の中に、【不確実性】というものがある。これは、何かしらの変化が起き続けているという意味もあるだろう。

 

基本、ユーザーから支持されているサービスなどは、これが徹底されている印象がある。アップデートは頻繁に行われるし、いつも何かのイベントが行われている。

 

もし自分が何かしらのスマホアプリにハマっているのなら、その辺に思いを馳せてみるとどうだろうか。

 

イベントはむしろ必須であり、そしてしないことが衰退や滅亡を招くってことも大げさじゃないと、多分伝わる気がしている。

 

そういう強迫観念もあるので、僕はできるイベントはずっと打つという意思を強くした。結果、他者と衝突しようとも、だ。

 

なんかあった場合の責任?辞職すればいいんでしょ。ぶっちゃけその程度だと考えているし、その程度かよとも考えている。

 

最後のはちょっと愚痴だが、そういう意思表示をもって、今日はこの辺で締めとする。

 

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