精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

塾講師が授業だけで飯を食うのは、多分無理だよねという当たり前のことを書きます。

会社に提出する予定の、自分の働きをまとめるレポートに、ちくちくと棘を入れては抜く作業を繰り返している中元です。

 

はい。今日は自分のキャリアを考える中でふと気づいた、できそうだけどまず無理な塾講師の働き方について書きたいと思う。

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色んな人に聞いてもよく言われるし、僕自身もそうなのだが、基本授業をしている時間が一番楽しいものなのだ。だから、授業ばかりして、そして飯を食いたい、と。

 

なるほど、確かに夢のような働き方だ。それは否定しない。だが、それが実際にできている人って、ほぼいないような気がしないだろうか?

 

実際のところを調べれば調べるほど、授業だけで飯を食うのは不可能ということがひしひしと伝わってくる。現実を知らないままでは、結構危険だ。

 

ってことで今日は、自分なりにある種諦めをつけるために調べたことのまとめを、ここに記事として形にしておく所存である。

 

 

トップレベルの人でさえ、授業だけでは飯を食ってない。

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ところで、有名どころな大手塾に勤務する講師は、大体SNSをやっている。それを軽くザッピングするだけでも、その実際のところが結構見えてくる。

 

まず、授業はしている。そして、アップデートもしている。だが、それ以外にも、【教育】に軸足を置きつつ、色んなことをしているのだ。

 

代表例は、講演会だろう。圧倒的多数の生徒や大人を対象に、勉強そのものや、勉強法をレクチャーする。その相場はわからないけど、こんな表もあったりする。↓

www.speakers.jp

 

また別の代表例としては、【執筆】がある。有名や実力派、カリスマと称される講師は、ほぼ例外なく参考書や問題集を書いている。それも、結構な数を、だ。

 

ちなみに、別に参考書じゃなくても、実用書を書くケースや、時には帯を書く場合もある。やはり手広く、だが軸を離れ過ぎず、仕事の幅を設けている印象だ。

 

そしてそもそも、超有名な人ほど、授業をライブでやっている人は少ない印象がある。映像に残したり、オンラインで放送したり。

 

つまり自分の分身を、圧倒的多数に届けているという感じのやり方に変わるのだ。あるいは、希少性を高めて単価を上げることで、ペイしている人もいる。

 

―要するに、圧倒的実力を持つ人でも授業以外に色々やってんだから、授業だけで飯を食うのってもう無理ゲーなんだろうなと、マジで諦めがついてきた

 

授業だけで飯を食うには、大学生講師並みのコマ数を、馬車馬の如く働く必要がある。だが授業しかできない人は、代替されやすいという弱点もあるわけで。

 

相当覚悟をもって作戦を考えるつもりなら話は変わってくるけれど、授業だけで飯を食うという夢みたいな生活は、現実味あるものとして考えない方が吉だと思う。

 

では、塾講師のキャリアはどう分かれていくのか?

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僕は30歳なのだが、自分のキャリアがガチで分水嶺になっていることを痛感している。流されるままでは、「一生この半端なまま」なのだ。

 

では、一体どう分岐していくのか。僕が考えた中では、それは2つある。

 

まず1つ目は、今以上に授業へ尽力することである。自分が持つ講師としてのブランドを武器に、その売り物を積極的に売っていくのだ。

 

複数校舎を股にかけて、業務時間はひたすらに教えを説く。もちろん成績を上げねばならないというプレッシャーは圧し掛かるが、それもまた覚悟である。

 

逆に言えば、その人が売り物にする授業の価値が下がっていると判断されたときから、その寿命は一気に縮まっていくリスクもある

 

授業がすごいとは、授業以外何もできないと思われがちということでもある。そしてライバルは、YouTube上にも大量に存在するわけなので、一切気は抜けない。

 

そうやってヒリつくような環境にあえて身を投じて、さっき僕が書いたことをガン無視するような人生を送るのが、まず1つ目のパターンである。

 

じゃあ2つ目。今度は逆に、徹底して管理業務に特化するパターンである。その分、授業からはフェードアウトすることになる。

 

例えば、塾講師の仕事は、指導以外にも結構ある。資料作成・大学生講師のスケジュール管理・教育面談・教材準備などなど

 

その全てを一括して受け持つことで、授業をする人がそれだけに集中して、気持ちよく仕事ができる環境を作ること。これが2つ目の働き方である。

 

―さて。では僕は、今のところ、どちらの道を歩もうとしているのか。

 

自分の中では割と答えが出ている後者だ。僕は、教えるということそのものから引退してもいいとさえ、実は心の底では考えている。

 

・・・誰も興味ないと思うけど、自分の思考の整理のため、その理由を書いてみる。

 

まず、ここ数年で感じたのは、細々とした管理業務が苦手な人にそれをさせようと尽力するのは、不毛だなということである。

 

掃除が苦手な人に対し、その訓練を施しても大体無駄なのと似ている。この際、時間が奪われるのは、指導される側もする側も両方なのだ。

 

また、苦手な人の下に就いた人も、実は結構割を食う。色々と抜けるからこそフォローが必要で、またそれによって、別の仕事を圧迫することもある。

 

そうなれば、時間が奪われる人ばかりがそこに存在することになる。僕はそう考えている。

 

一方僕は、自分で言うのもなんだが、ここ数年の働き方や体感、成果を見るにつけ、細々とした管理や思考に、多分適性が幾ばくか存在するようなのだ。

 

僕以上に授業が上手い人は、社内に何人も存在する。だが、僕だって下手くそじゃない自負は、さすがにある。

 

だがたぶん、僕は管理面、つまり裏方としての役回りに、その誰よりも適性がある

 

ならばそれぞれが各自の適性に特化すれば、結果嫌なこと、苦手なことをしなければならない人間が減る全体益を考えたとき、これは強力な根拠になる。

 

だから僕は、肩書や裁量をきちんともらったうえで、そういった裏方に完全に引っ込むというキャリアを、会社に提出する予定である。

 

却下されるだろうが、100%撤回する気はない。ある程度まで戦うつもりさえある。それでも10:0で撤回しろと言われたら、多分辞める。そういう状況なのだ。

 

・・・こう書くとヤケクソに聞こえるが、要はキャプテンではなく監督の仕事に向いているという自分の個性の話に従うという話なので、僕としては至極冷静ではある。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

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