精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【講師のネタ帳】「原価が0円ならお金を払わなくていい!」という論理は、第三次産業を全否定する。

たまには夜に散歩してみようと思ったのですが、外が豪雨で激萎えでした。中元です。

 

はい。今日は自分の中で引っ掛かった言葉を考えてみるシリーズである。(そんなんあったのかという話だが。)

 

ある絵師さんが呟いていたのだが、DMで直接絵のリクエストをしてきた人がいたそうだ。一方的な時点で既に失礼千万なのだが、その方は丁寧にも、

 

「有償であればやりますよ」

 

と返したそうだ。それに対するリプが、タイトルのそれ。正確には覚えていないのだが、雰囲気は以下の通り。

 

「デジタルで絵を描いたら原価0円なので、おカネ払わなくていいですよね!!だから無料でやってよ!!」

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・・・。

 

なんというか、頭を抱えてしまう返しである。しかし不思議なことに、直観的に「おかしい」とは思ったのだが、「なぜ?」が即座に閃かなかったのだ。

 

これはちょっと放置できないよねということで、しっかりと考えてみようと思う。そうすれば、また新しい学びを得られるかもしれない。

 

今日はそういう記事でごぜぇます。

 

 

コンビニバイトはタダでいいのか?

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厳密性は欠くが、先の発言を言い換えると、「原価が発生していれば、代金を払う」という話になりそうだ。

 

ぶっちゃけこの時点で、例えば「ペンタブ買ってるんで代金頂戴」といえば話は終わるのだが、多分「僕が頼む前に買ってたから、原価ゼロ!」と言い張るだろうなと。

 

ということでまずは、【原価】の正確な意味を調べておこう。だから辞書で引いてみた。

 

 利益を含めていない仕入れ値段。もとの値段。もとね。「—を割って売る」


 (原価)商品の製造・販売などに要した財貨・用役の消費を、単位当たりに計算した価。コスト。「—を抑える」

kotobank.jp

 

というわけで、一般社会の文脈か、経済学のそれかでちょっぴりだけ変わるのだが、おおむね、「何かを創造するのに掛かったコスト」と考えてよさそうである。

 

そしてなるほど、僕らが普段お金を出して買っているモノには、もれなく原価が必ず発生しているように思える。

 

魚を獲るには、船の維持費がいる。絵を描くには、絵の具の代金が要る。服を作るには、布を買う費用が発生する。こんな風に。

 

だから、依頼の結果相手にお金を払わせるようなことをしていない限り、タダでやってもらうのが正当なのだ!という理屈なのだろう。

 

・・・これってめっちゃ危険な考え方というか、仮にもしこれが認められるなら、第三次産業は成り立たなくなると思うのだがどうだろう。

 

例えば、コンビニバイトも、キャバ嬢も、整体師も、仕事をするのに一見原価が発生していないので、お金を貰ってはいけないことになる。

 

逆に、これらの仕事がお金を貰えて当然なら、有償でイラストを描くことも、全然問題の無い正当な主張だと考えられるワケで。

 

この辺のギャップは何から生じるのだろう。次項ではそれについて書いてみる。

 

僕らはなににお金を払っているのか?

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実は先の【原価】の定義の中に、ヒントが隠されている。その部分を引っ張ってこよう。

商品の製造・販売などに要した財貨・用役の消費を、単位当たりに計算した価

 

という感じ。そう、キーワードは【用役】だ。これも辞書で引くと、ご覧の通りである。

 

社会に役立つ働き。特に、運輸・通信、また、医療・教育などの、直接財貨を生産しない業務をいう。

 

dictionary.goo.ne.jp

 

そう。定義上、例えばモノを作ったり運んだりするのにかかる手間、労力、時間は、【用役】として【原価】扱いになるのである。(経済学とかの概念だけど)

 

どんなモノも、それを創るためには時間と労力を消費する。例えお金が発生していなくても、そういうコストが確実に発生しているのは自明だろう。

 

何より、僕らはあらゆる生産者に対し、【原価】分だけお金を払っているわけではない。そんなもんはおつかいである。おつかいでは、経済は回らない。

 

正直言って【原価】はむしろどうでもいい話である。いくら掛かってようが、掛かってなかろうが、最終的に価値ある何かを提供することが大事なのだと思えてならない。

 

かわいい容姿の女性が、学校の制服を着て踊ればそれでバズる世の中である。そこまでカネは掛かってないのに、経済効果はものすごい。

 

逆に、いくら内装に金をつぎ込もうが、閑古鳥が鳴いて爆死する居酒屋だってある。やっぱり、この辺に関係はマジで無いと言えそうだ。

 

・・ちなみに、GDPという指標も、「付加価値」をそれに計上するようになっている。興味がある方は、以下の記事がわかり易いので読んでみてほしい。

nextfunds.jp

 

まとめ。

 

はい。ってことで話を戻すと、「原価が0円ならお金を払わなくていい!」の違和感の正体は、以下の通りになる。

 

お前の時間や労力にお金を払う必要は無いから、デジタルで絵を描く限り無料で良いよね?」という、第三次産業を否定する前提がそこにあるから。

 

ー一応念を押すと、これが正しいなら、教師もホストも講演家もスポーツトレーナーもプロ野球選手も、全員無給が当然論がまかり通ってしまう。そりゃぁ、ねぇ・・。

 

余計なおせっかいだが、ちゃんと公民(特に経済分野)の勉強をしたのかなと、ちょっと不安になってしまうお話であった。

 

尚、「個人に頼むんだからいいじゃん!」とか、そういう謎理屈を思ってしまった方は、例えば以下のサイトを除いてみて、現代の社会がどうなっているか知っておこう。

crowdworks.jp

 

ということで、違和感の裏には、僕が少し忘れかけていた経済学の知識の盲点があった。やぁ、良い学び直しの機会だった。自分の直感は、意外とやはり侮れないなぁ。

 

あ、そうそう。今回の一件で少し思ったのだが、ぶっちゃけ自分の作品にどんだけ値段を付けるかは作者の自由であり、買うかどうかは客の自由である。

 

例えば僕は僕の授業に10万円の月謝を設定してもいいのだが、まず売れないので、必然的に値段を下げることになる。そして、丁度良いところに価格が落ち着く。

 

だから、高いと思うなら買わないという意思表示で十分だし、安いと思うなら売らないという行動で十分。需要と供給の関係で、勝手に適性価格は決まるのだ。

 

ここがぐちゃぐちゃになって、「好きなことをしてんだから安月給でもいいだろ!」という声が何故か通り、ブラック化した産業だってある。

 

日本でエンタメが発達しない裏事情って、思ったよりダークだなと、その辺もちょっと確認できた、結構有意義な時間であった。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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