どら焼き2個分くらいのカロリーで2日間生きてます。半死半生の中元です。
はい。昨日記事でアップされていると思うのだが、コロナとは違うウィルスによって、軽く地獄に落ちることがあった。割とすぐに回復した自分の肉体に感謝。
しかし、体力と気力をごっそりと持っていかれ、普段と同じ量でアウトプットなり仕事なりができないことに、ストレスを感じないといえばうそになる。
とはいえ、今は安静と静養に専念すべきときであり、たとえジレンマを抱こうが、ご厚意に甘えてゆっくりしとくのが正解となる。それも、頭ではわかっている。
・・しかし僕は、持って生まれた「落ち着きのない子」なのだ。じっとしていることが、辛くてもどかしくて仕方がない。
この辺の落としどころって難しいよなと感じていたが、その解決策を、さっき秒で閃いた。参考になればということで、ここに書いておこうと思う。
しないのではなく、する。
その結論とは、「治すことに全力を尽くす」というものだ。アホ丸出しだが、筋道立てて説明しやす。
まず、なぜ安静にしなければならないのかというと、それによって免疫系がきちんと仕事をできるよう、サポートをするのが狙いである。
要するに身体を治すためなのだが、もしそうなら、ぢっとしておくことだけがその目的を達成する方法じゃないよなとも行きつくわけで。
治すために何もしないのではなく、治すために色々する。実際は休んでるようにみえるかもしれないが、実際には何かをしているのだと、そう考え直すことに決めた。
そう思うと、じっとしているという事実や、我慢させられているという感覚も弱まってくる。主体性がそこに生まれるのだ。
薬を飲んで、横になる。結果そうなるためには、では何をしたらよいか?
鍋焼きうどんをコンビニで買って帰って、胃薬を飲んだら、「こころ」を100ページ読もう。それで達成できる。
不可抗力で無理やりその状況にさせられているという感覚をとにかく弱めること。それが僕にとっては、結局安静にするために一番必要な考え方だったっぽい。
ここでも【自分実験】の考え方。
結果やっぱり、僕は「何事もデータを得るための実験」と考えるのが好きなんだと思う。
食中毒になっちゃった、それは不幸なんて考えるのはヤメだ。一番早く体調がよくなる、自分なりの方法を探す好機と考える。
どの胃薬が効き、何時間寝るのが良くて、どういう類のご飯を摂るのが楽で、風呂に入るのは是なのか否なのかも検証する。
自分の身体データをたくさん持つことは強い。そのためには、一つでも多くの対照実験が必要である。そう考えたら、貴重な貴重なチャンスではないか。
ちなみに僕にとっての治療ルーティンは、【アイスを食べる】【風呂に入る】【ポカリを飲む】なのだが、それを残したまま、何かを今日は増やす所存である。
鍋焼きうどん、食べてみよう。
ってことで短編ではあったけれど、今日はこの辺で。