目覚めがよければ、その日全てが良い日に思えてくる中元です。
はい。今日は、【自分の中で引っ掛かった言葉を考えてみるシリーズ】である。まぁやっぱり、そんなシリーズ、あったんかいという話なんですけど。
結構昔の話だが、確か「結婚したくない」とぼそっとTwitterで漏らした女性に、「強がり乙」といった器のミクロなコメントが殺到していたのを見たことがある。
それに対し一度、その主が怒ったところ、ある胃袋が酸っぱくなるレスが飛んできたのだ。それこそ、タイトルにある、
「否定するってことは、そこにやましさがあるってことですよね?」
というものだ。多分理屈として、
本当に結婚したくないとかそういうのがどうでもいいのであったら、僕らのこの発言に取り合う必要がありませんよね?反応するということは、実はしたいんでしょ?素直に認めちゃいなよww強がり乙ww
てな感じなんじゃないかなと思う。なんだろう。間違っているに違いないけど、即座に反駁するのがなんか難しいこの論理。
今日は、これをちょっと考えてみたいと思う。
これで何かの言質を取れると思う人は・・・・・・
考えたらすぐ気づくのだが、実はこの問答、前提からしてイカれている。これが成り立つとしたら、以下の命題が真にならないといけないからだ。
Aに反論するならば、Aが本心であるか、経験済である。
・・・・早速雲行きが怪しいが、抽象的すぎるので、具体的にちょっと考えてみよう。
ってことで、これを踏まえて、めちゃんこ適当な質問をしてみる。例えば、あなたは口裂け女に会いたいだろうか?
・・・たぶん、できれば会いたくないのではなかろうか。だからあなたは、「ねーよ」と答えたとしよう。しかし、もし上の命題が真なら、僕はこう言えることになる。
「ない」って反論したねwwじゃあ、ほんとは会いたいか、実は会ったことあるんでしょww
口裂け女って都市伝説だよww乙ww
・・・どうだろうか。僕のことを、哀れなまでに幼稚だと思われたのではなかろうか。
そう。これは、答えに窮するキラーワードではなく、答える価値のない質問ってだけなのだ。なぜなら、本当にどうとでも解釈できるからだ。
実際、小学生がよくやる、究極の選択という名のただのキタナイ話でも同じだ。
「カレー味のう〇こ食いたい?」→「食いたいわけねーだろヴァカ」→「反論するってことは、本当は食いたいんだろwww」
という風に。結局、どう答えても、その質問をした人が得たい答えに解釈されるので、ならばそんなもん何も言っていないのに等しいということである。
さてさて。これを踏まえると、タイトルにある発言は、このレベルの低い論理を丁寧語で言ったに過ぎないのだと、よ~くわかる。
実はこの発言をTwitter上でやっていた人は、本人のモノかは知らないが、アイコンが顔写真であった。なんかこう、頭が痛い。
もし実際の世界でこんなのに絡まれたら、できるだけ速やかに距離を置くようにしたいと思った。許容できても4歳児までであるなぁ、と。
こういう完全に崩壊した物言いを平気でできる人は、それを誰にも矯正してもらえぬままにそこまで生きてきたのだと思うと、熱いものがこみ上げてくる。
ただの反面教師だが、もっときちんと国語を勉強しよう、生徒にちゃんと伝えようと、心の底から思った話であった。
ということで今日はこの辺で。