最近、晩酌どきがマンネリ化してきていると感じている中元です。酒の止めどき?
はい。読んでいると、どんどん遠い世界に行くような感覚のあるスケールの大著、【BIG BANG】、早くも二週目である。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
まだまだ科学が全然発達してない段階までしか読めておらず、つまりガリレオも未登場である。楽しみは残っている。
もはや英文法のアレとかほぼ気にしなくてもよくなったのも嬉しい。ってことで、うだうだ言わず、早速本編に入りませう。
- 1月31日(月) 知識の再発見
- 2月1日(火) 価値観
- 2月2日(水) 踏み躙られた発見
- 2月3日(木) 勝者は・・
- 2月4日(金) 天空の城
- 2月5日(土) 観測と常識のぶつかり合い
- 2月6日(日) 観測と英知の混ざり合い
1月31日(月) 知識の再発見
https://www.nippon.com/ja/people/e00169/
周転円という超複雑な説明は、実際に起きている事象をつつがなく説明できていたので、そのまま広く受け入れられることになった。
なんと、(実質)全世界で、西暦1500年くらいまでにわたって、そうなったのだ。知識がヨーロッパにもたらされた後も、だ。
「なんか知らんけど、古代の賢人が見つけたものは全部正しいんだろ!!」という風潮だったのが、その最たる理由らしい。
だから、女性の方が歯の数がどうのこうのという謎理論も、「そうなんだ!!」という感じで受け入れられちゃったそうだ。
確かに、常識に疑問を差しはさむことは、特にこの時代においては非常にエグい難度の話なんだろうなと思う。
誰が最初にそうする勇気をもったのだろうか?いやぁ、楽しみである。
2月1日(火) 価値観
宇宙を創ったのは神であり、そして今の宇宙の中心は地球である。だから地球が動くなんていうトンチキな理論を言ったら〇す。
ーというのが、当時のヨーロッパの権力の中心、教会の考え方らしい。実際、堂々と地動説を唱えた人が、処刑されるという事例もあったようだ。
生半可な状態で主張をすれば、こういった勢力に消される。そう思ったせいかは知らないが、ある人物は、地球が太陽を回るという理論の肉付けに、30年を要したのだ。
その人の名は【コペルニクス】。古代ギリシャが絶対に正しいという常識に異を唱えた、稀有過ぎるヨーロッパの人である。
そして彼の登場以降、いよいよこの辺の価値観が、大きく変わっていくことになるのであった。
2月2日(水) 踏み躙られた発見
入念な数学と、献身的なアシスタントの力を借りて、コペルニクスはついに地動説の研究成果をまとめることに成功する。
そしていよいよ、研究の集大成を出版することを決意した。それはある種、教会にケンカを売ることに他ならない。
ーのだが。その彼が出版した本には、不可解な点があったのだ。まず、献身的なアシスタントの名前が載っていなかったこと。(諸説あるが、宗派が違うせいかも?)
そしてもう一つは、「まぁ要するに、ここに書いてあるのはフィクションっす」といった意味の但し書きが、導入部に思い切り書かれていることなのだ。
この一言により、彼の研究成果は、完全に骨抜きにされてしまう。結果以後何十年も、彼の成果はほとんど顧みられることが無くなってしまったのだ。
ちなみに、コペルニクスは死の床で、この出版された本をみたという。但し書きを見たショックで息を引き取ったのか、それは誰にももう、わからない。
2月3日(木) 勝者は・・
バッハ、コペルニクスから青銅器時代の少女まで。肖像画や遺骨から復元された10人の顔 : カラパイア
だが、コペルニクスの業績が無視された理由は、他にもあるという。まず、出版されたその本が、400ページほどもある、超難解な大著であるという点。
そして、そもそもコペルニクスが学者間の間で完全に無名だった点である。いきなり出てきた人間が、常識に反する考えを説いた難解な本を出しても、という感じ。
しかも致命的なことに、天動説だと説明ができる計算(主に星の動きの予測)が、地動説だと出せなかった部分もあったようだ。
こういうのが相まって、結果勝者は天動説に落ち着いたらしい。誰かが再定義し、洗練し、再び唱えるまで、このモデルは沈黙することとなる。
では、誰が次にこれを表舞台に登場させるのか?それは次回のお楽しみに続く。
2月4日(金) 天空の城
続いて登場したのは、知名度がそこまで高いとは申し訳ないが思わない、ティコ・ブラーエという人であった。(僕もこの本で初めて知ったし)
今のところ、天文学については、当時の大権力者をパトロンに得て、観測に超特化した城を得たという話が登場している。
(ちなみにその城で、毎晩どんちゃん騒ぎをするため、そういう意味でもヨーロッパ中で有名だったらしい)
そして彼は、不慮の事故で鼻を失っていたらしい。その代わり、そこには義鼻とでもいうべき何かを装着していたとのことだ。
これは結構な強みであり、例えば観測をする際、それを取れば顔面をぺったりと器具につけられるので、精度が高くなるという話もあった。
何事も適材適所なんだなぁと、ヘンに感心したパートであった。
2月5日(土) 観測と常識のぶつかり合い
https://www.prints-online.com/tycho-brahe-7211653.html
ティコ・ブラーエは、観測を繰り返すうちに、プトレマイオスの天動説に違和感を抱くようになったという。
しかし、天動説を採用しないと、物体がなぜ地球の中心に落ちていくのかが説明できない。この二つのモデルを考えた結果、ティコが出した結論は何か?
それは、「地球の周りを太陽が回り、その太陽の周りを惑星が回っている!!」というハイブリッドモデルである↓。
https://www.physics.unlv.edu/~jeffery/astro/tycho/tychonic_system.html
周転円モデルほどじゃないが、これでもまだ頭が痛い。だが、実際のそれにだいぶ近づいた印象はある。
ちなみにその後、彼のパトロンが没し、新しく王座に就いた人間がティコに好意的ではなかった関係で、彼は国を捨てて逃亡することになる。
そして別のところで新たにパトロンを得て活動することになるのだが、そこである運命的な出会いにも遭遇するのであった。
2月6日(日) 観測と英知の混ざり合い
移住した後も、ティコは膨大な観測データを集め続け、自分の研究に没頭した。しかしある日、彼は宴会後に腎臓の病気と思われる劇症で、なんと急逝してしまう。
ただある種、これが幸運に作用した人がいた。そう、それがアシスタントであったヨハネス・ケプラーである。
ティコは莫大な研究データをもとに、いずれ自分のそれを集大成として発表するつもりだったのか、それを厳重に保管し誰にも見せない状態だったという。
しかしその主が無き後、ケプラーは自由にデータを閲覧することができた。そして、類稀なる数学の才能を存分に使い、宇宙の真の姿を浮かび上がらせたのだ。
その真の姿は、コペルニクスを支持しつつも、なぜ彼が致命的なエラーを犯したのかも浮き彫りにした。
”完全な円運動などしていない”
という主張が、ケプラーの計算が出した答えであった。
ってことで今日はこの辺で。