確定申告が出来ずにローソンでイライラしていたら、16日開始でした。●ね、俺。中元です。
はい。今日のテーマだが、ふとした日常のやり取りで気付いたことについて書いてみようかなと。
今は中学受験こそ終了したが、まだ大学二次・高校受験が控えており、しかも学年末テストシーズンという、勉強以外何すんねんという時期である。
つまりこちらの消化器系殺しであり、結果講師もまた、生徒と同じくらい血反吐を吐いてナンボということになる。
そんな折、一体何をするのが、まさに当事者たる生徒たちにとって良いことなのか?実は毎度毎度、こっそり頭を抱えていた。
授業をたくさんやることなのか?それとも、面談を大量にぶち込めばいいのか?それこそ悩みは、まるで尽きない。
しかし昨日、そんな悩みにあるヒントが得られるやり取りがあった。普段休校の日があるのだが、ぶっちゃけクソ暇なので、自習用に開校しようかとボヤいたところ・・
受験生の全員が賛同したのだ。(おやつ置いとくと言ったら、さらに数名増えた)
ここから何がわかるのか?それについての私見を、項を変えて書いていこう。
勉強する場所と仲間を提供できているか?
彼ら彼女らが求めていることは、わかりやすい授業は前提として、実は学習に適した環境なのではなかろうか。これについては、僕自身も似た体験がある。
僕は一般受験で大学に受かった人間なのだが、それは僕がいた高校では、数%の人間が選ぶ進路選択であった。
ガチで勉強をするクラスタが圧倒的少数派である以上、その環境に浸っていると、赤本を開くことさえバカバカしくなってくる。
そういう懸念もあったおり、僕は勉強をガチで頑張る人たちが集まる塾の紹介を受けた。結果そこに在籍できて、人生レベルで好転したのを覚えている。
さて。その校舎が凄かったのは、徹底して学習環境を設計し、その運営に余念がなかったことだ。
時折行われるミーティングでも、事務連絡のみならず、モチベーショントークから勉強法まで、ただ聞くだけで偏差値が上がりそうな内容であった。
また、結果周り全員が必死で勉強と向き合うため、自分もそうせざるを得ない、良い圧力が常に掛かっている状態だった。だから成績もぶち伸びたのである。
こういう実体験を考えても、保護者はどうかわからないが、生徒本人は、ガチで勉強できる場所を求めている可能性はかなり高いと僕は思うようになった。
そんなのは周知のことだとは思うのだが、ではそれに応えるように、様々なシステムや制度を設けているだろうか?改善を続けているだろうか?
自習室に裏紙は置かれているか?参考書はずらっと並んでいるか?求められればすぐに教材を提供できるか?休憩スペースは別に設けられているか?
考えれば考えるほど、〇も×もバシバシと付いてしまう。しかも難しいことに、徹底したスパルタに割り振っても、人は定着せずに出て行ってしまう。
メリとハリの設計も欠かせない要素だ。ここについては、僕もまだ何にも始めていない。まあでも、バレンタイン近いし、来た人にはチョコでもあげようかな。
はい。
ハッキリ言うが、僕は授業さえ完璧ならばいいという講師には危機感を抱いており、授業が完璧なのは当然で、他のところからが勝負となる、と考えている。
東進、代々木、学びエイド、スタサポといったツールを使えば、そもそも超優秀な講師も要らなくなる。そうなればその価値観の校舎は泥船だろう。
しかし、だからこそ、他の要素で戦う準備をしてきたところが勝つんじゃなかろうか、と。僕はそう思いながら、授業も設備も頭を抱えている次第である。
いずれ地方だろうが、教育が完全にオープンソース化する波はやってくる。というか、既に来ている。
講師の仕事は、スポーツトレーナーのそれに近付いてくるだろう。であれば塾の在り方も、ジムのそれに似てくるんじゃなかろうか。
自分も現役選手として鍛えつつ、人の弱点や課題を見抜き、改善策を考えて提案する。その場所として、ジムの雰囲気は徹底して設計する。
よし、決めた。
自分にとってだいぶハードルが高いと思われる試験に、僕も挑もう。もう一度ヒリヒリしながら、勉強をする側に立とう。英語の学習は一旦、いいや。
そうやって得た違和感や要望を活かせば、多分生徒の深層心理にあるニーズに近付ける。書いている内にそう思うようになったからだ。
ということで話が思い切り反れたので、無理やり修正する。
生徒が求めるものは、わかりやすい授業は前提で、多分勉強ができる環境や仲間もかなり大きいですよ。
そんな気づきをもって、今日はこの辺で。