酒を飲む理由は惰性というカス。中元です。
はい。いよいよ宇宙論が深まってきて、読んでて楽しくなってきた。(当時の知識人の頭のカタさにイラつくときもあるが、僕は元気です)
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コペルニクス、ティコと来て、次はケプラーが登場だ。さて、その後はどうなる?ってことで以下、続きでござる。
- 2月7日(月) 楕円
- 2月8日(火) 見えるものを信じるべし
- 2月9日(水) 大事なのはエビデンス
- 2月10日(木) 中世のカロリーゼロ理論
- 2月11日(金) 「それでも回るのだ!」
- 2月12日(土) 価値観転換の必須条件
- 2月13日(日) 新たな問い
2月7日(月) 楕円
ティコの遺した観測データを詳らかに検証したケプラーが辿り着いた結論は、「地球は中心じゃないし、完全な円運動もしていない」というものだった。
惑星が加速したり減速したりする理由は、その軌道が【楕円】であることが理由であると、そう結論付けたのだ。
ちなみに【楕円】はこんな図形である。↓
要は潰れた円なのだが、この潰れている程度は本当にほんの少しであり、ぶっちゃけ【円】と言っていい程度にしか潰れていないのだ。
しかしこの小さな誤差も、天体というスケールになると大きなズレを生む。そうした研究を、彼は一冊にまとめて発行したのだった。
ーが、やはり「いやいや、地球が中心だからこそ、物は地面に落ちるんじゃんwww」という具合に、その弱点をネックとして普及することは無かったのだった。
しょんぼりするケプラーだったが、元来の好奇心の強さから、他にも多量の発見や予想を行うことになる。(その中には、フェルマーの最終定理並みの難問もあった)
そして、データの裏付けと数学的計算が集まり切ったこのタイミングで、技術の進化が誕生していたのだった。
それを用いて天を直接覗き見た人間がいる。そしていよいよ、次のステージに宇宙論も移行するのであった。
2月8日(火) 見えるものを信じるべし
遂に登場したその人こそ、ガリレオ・ガリレイである。彼は、新たな実験器具を作ることも、問いを発することも、観測することも検証することもプロだったという。
元々は医者になるために勉強していたそうだが、持ち前の激しい好奇心には勝てず、親を説き伏せて科学の道へ進むこととなる。
そして別に開発されていた望遠鏡を改良し、より遠くが見えるそれを作り上げたガリレオは、どうしてそう思ったかは不明だが、それを点に向けたという。
ーそれこそが、宇宙論を次のステップに進める、決定打の第一歩となったのであった。
2月9日(水) 大事なのはエビデンス
ガリレオが天に望遠鏡を向けてみた世界は、衝撃の一言であった。月は完全な真球等ではなく、大量の凹凸がそこに存在している。
太陽も、よく観察すれば、黒点がある。神が創ったがため完璧なはずの宇宙に、こういう取りこぼしは許されないハズではないか?
そしてガリレオはさらに、木星の周りを回る衛星を発見したのだが、これは全ては地球を中心に回るという天動説に真っ向から対立する事実であった。
観測によって、真の天の姿が明らかになっていく。そしてガリレオは、金星の食を予測し、的中させることで、地球が回っている側だということさえ提唱するようになった。
その後、当時の権威の中枢がどう反応するのか?正直読める話だが、心をフラットにして、次回を待ちたいと思う。
2月10日(木) 中世のカロリーゼロ理論
ガリレオの見方に、もちろん保守勢力は反対した。特に教会を始めとしたクラスタがそうだ。だが、その理由はもう・・・呆れてしまう程に陳腐だった。
「確かに木星の周りにはなんかあるっぽいけど、肉眼じゃ見えないから影響ゼロ!!」
「お前のモデルは計算には便利だけど、ただそれだけなので、地球が中心!!」
てな感じだ。ワロス。
ちなみに後者の例え話としては、「富士山麓にオウム鳴く」というフレーズがある。
【√5】の前半の数字の語呂合わせになっていて便利だが、そのことと富士山でオウムが鳴いている情景は全く関係ないのと同じだと、教会は言いたいというワケ。
勿論、地動説にも弱点があり、例えばなぜ地面にモノが落ちるのか説明できないとか、地球が回っているならなぜ爆風を感知できないのかとか、そういうのもある。
しかし、パラダイムシフトは間もなくという感じになってきた。
余談だが、今のコロナ騒動にも近いものを僕は感じており、歴史って不変なのかなと、ちょっとそんなことを考えてしまった。
2月11日(金) 「それでも回るのだ!」
Galileo Galilei | ディスコグラフィー | Discogs
ガリレオは最終的に、天動説・地動説の良し悪しを比較するため、それぞれを支持するキャラクターに討論させるという画期的なアイデアを採用し、本にまとめた。
その背景にあったのは、時の教皇の知見をたまたま得ていたからであり、彼なら怒らない、大丈夫だろうという考えがあったためだ。
しかし最初に知り合ったときから時が流れ、政治的立場などから、教皇の思想も変わっていた。結果、様々な権力争いにも巻き込まれる形で、彼は裁判にかけられてしまう。
同情的な陪審員がいたことから死刑こそ免れたが、本は禁書になり、信念を捨てよと迫られ、論理が信仰に敗れた最悪の結論になってしまう。
ー法廷から立ち去る際、彼が呟いたとされるのが、「それでも地球は回る」という有名なセリフである。
現実は絶対に捻じ曲げられない。深い言葉だ。
2月12日(土) 価値観転換の必須条件
価値観が変わり、新しい文化に移行するために必要なものは何か。本書では、ちょっとゾッとすることが書かれていた。
それは、古い文化の信奉者の死だ。今回で言えば、天動説支持者が天国に行ってしまうことが、新しい価値観が広まるために必要なことだとあった。
人間は、自分の人生の序盤からあったものを当然と考えるのは普通だが、途中から登場したものには嫌悪感を抱く。これはお金2.0でも指摘されていた。
僕らはインターネットが人生の序盤から登場したので、それがあるのが自然と考えるのはなんてことない。
だがビットコインをはじめとする、トークンといった技術は違う。だから、こちらには嫌悪感を抱きやすいという話だ。
となれば、本格的にトークンなりなんなりが自然に社会へ馴染むためには、僕らは天に召されなければならない側なのかもしれない。
そりゃ嫌だな。新しい文化を拒絶するのではなく、学んで触って、親しむことを心がけるとしよう。
2月13日(日) 新たな問い
地球が回っているか、太陽が回っているか。この論争にある種の決着がついたのち、次に考えられはじめたのは、人智を超えた部分の話であった。
それは宇宙の始まりだ。これを考えることは、もはや神話に頼ることなのかもしれない。実際この研究の走りは、聖書から期限を逆算するというものだった。
それによれば、世界が始まったのは紀元前4000年前と算出されるらしい。しかし、地質学や選択的進化論などが台頭するにつれ、それにも疑問符がつくことになる。
宇宙はいつ始まったのか?そして地球はどうなのか?
いよいよ規模がデカくなってきた。楽しみは尽きない。
ってことで今週はこの辺で。