精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】現状にイライラするより、抜け道探しに頭を使った方が、多分イイ。

問い合わせ数が増えるのと同時に忙しさが増していき、働いている実感を強く抱いている中元です。

 

はい。僕自身さっき自覚して慄然としたのだが、現状の対策で雁字搦めになっている息苦しさに、かなり苛立ちが募っているようだ。(昨日の記事を見てもわかる)

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一応僕の住むエリアは、20日にまん防が解除されることになっているが、まぁ延長されるだろうねと諦めている。理由は、以下のサイトをみたら明白

www.nhk.or.jp

 

「水際対策は続けるべき!」「まん防は延長すべきだし、なんなら緊急事態宣言を出すべきだ!」という声の多さにちょっとびっくりする。世論とは何なのだろう。

 

さて。冷静になってすぐ悟ったのだが、イライラすることが現状を良い方に変えることなど、絶対にありえない。論理とも合理とも、苛立ちは相容れないからだ。

 

この状況は変わらないとあきらめたとき、何かの思考のスイッチが入ったのを感じた。この感覚を忘れないよう、記事にサッとまとめておこうと思う。

 

 

制限だらけでも遊びはできたあの頃。

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真っ先に思い出したのは、高校のときの自分の原体験だ。あの頃は、目的を考えたあと、手段に頭を使うことが、とても楽しかったのを覚えている。

 

そのエピソードの具体例として一番しっくりくるのは、高2の夏、「海に行きたい!」と強く思ったあの日である

 

当時僕らは、金はもちろん、自由などあって無いような高校生という身分だ。車も使えないし、親も送迎はそうそうしてくれやしない。

 

ではどうするか?諦めるか?僕らはそんなに往生際がいい生物ではなかった。当時まだ発展途上だったYahoo!の路線図などを調べに調べて、電車でいける海を探したのだ。

 

すると、駅沿いにある立派な海水浴場を発見した。そこをゴールとして、誰はどこから乗る、そしてどこで合流する、そのすべてをカチャカチャと組んでいった。

 

当日、トラブルはほぼ何一つなく、僕らは無事に海水浴場へ到着し、青春の一ページを謳歌することができたのであった。

 

やはり、この頃の記憶を思い返しても、強く思う。

 

それは、制限があることは楽しい活動を生まないという論理は、ただの思考停止だということに。

 

制限とはルールである。ルールの中で最大限の楽しさを追求するのが、僕が思う【遊び】の定義である。

 

だから現状も実は、広い意味で言えばこの思い出のやり取りと何一つ変わらないと考えることができている。

 

では、そうやってルールの中で最大限の楽しさを追求するには、何をすればいいのか?それには、誤解を招きそうだが、「抜け道探し」がカギとなる。

 

次項ではそれについて書いてみよう。

 

まずはルールを徹底して知ること。

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まず始めたいのは、ルールを熟知することだ。これをせずに好き放題やっても、簡単にしょっ引かれて退場させられることになる。

 

今回のコロナ禍で言えば、何をすると法に触れるのかを考えるということである。あるいは、何をしたらクラスター認定されてしまうのか、を知ることもそうだ。

www.mhlw.go.jp

 

極端な話、集まって飯を食いたい、でもオフラインだとノーマスクのルールが適用されて、最悪濃厚接触者になるリスクがあるのなら、オン飲みをすればいい、となる。

 

しかし、どうしてもオフラインでの集いにこだわりたいのなら、僕はソロキャンプ形式で、どっかの山奥に現地集合し、肉を焼いて、喋って、帰ると思う。

 

それでも、「感染拡大したら・・!」「そして重症化したら・・!」という声が来たらどうするか?

 

こうなると、「じゃ、来なくていいっすよ」と言えるハートの強さが、最後は決め手になると感じている。(正直、今後全ての学校行事は、やりたい人だけがやる挙手制になるだろうなぁ)

 

いつぞやも書いたが、スルースキルは鍛えておかないと、僕らは分断されて、最終的には閉じ込められてしまうのだろうなと、そう危惧せざるを得ない。

 

忘れ去られた前提。

chimney.town

 

そうそう。僕が今回の騒動で強く感じたメディアの功罪は、ゼロリスクがあたかも達成可能であるかのように喧伝し、現状を「情けない」とこき下ろしたことにあると思う。

 

例えば、オミクロンは止めることが絶対可能で、止められないのは遊びまわるヤツがいるからだ、飲食店があるからだ、云々。

 

・・・断言するが、ゼロリスクは達成不可能である。あくまでも、確率を極限までゼロに近づけることが精一杯なのだ。

 

だから、100%安全なら遊ぶというスタンスでいるつもりなら、もう一生無理だと諦めた方がいい。

 

例えばコロナに感染したら危ないから、家から出さないという環境下の子供は、階段からの転落や、火事などにより身体へダメージを負う可能性が高まるように。

 

車に乗れば交通事故のリスクがある。飛行機に乗れば墜落のリスクがある。家に引きこもれば、地震で倒壊し圧死するリスクがある。

 

擦り傷をつくれば破傷風に罹るかもしれないし、スケートに行けば靱帯を切断する可能性もある。海水浴に行けば、サメに喰われるかもしれない。

 

だがその確率は、果たしてどうだろう?0%ではもちろんないが、気に病んで行動を制限するほどのことだろうか?

 

トラブルやリスクをゼロにすることは、今までも不可能だったし、これからも不可能だった。だから、何か起きた後のシステムや体制の設計が、大事になるのだ。

 

最悪のケースを考えて、手を用意しておくことは否定しない。しかし、最悪のケースを0%にしようと本気で思うことは不毛である。

 

ここの線引きも、強く心がけたいよなと、どうしても思う。

 

終わりに。

 

ヤバい経済学にも書いてあったが、本当にクレバーなヤツは、ルールを完璧に理解したら、抜け道を探し、インチキをする人たちのことを指すのだという。

 

ここで言うインチキとは、インセンティブを満たすこと全てであり、例えばズルをすれば大多数からお金を盗れるよねとか、そういう話である。

 

相手よりも圧倒的に情報を得ておいて、その一部を隠し、別の面を出せば、相手にトクしたと思わせつつ、実は自分の方が圧倒的にトクができる。まさにプロの業だ。

 

(詳しくは「保険」「不動産」「投資」らへんをきっちり検索するとわかったりする)

 

そんなわけで、ルールを理解するだけで、僕らはクレバー側にいけるっぽいのだ。世の中もう、制限・制限・制限。だからこそ、抜け道を探して、合法的に遊ぶ。

 

繰り返すが、世論はもう、「外国人を締め出して、緊急事態宣言まで出すべき!ワクチンもどんどんうとう!!」という意見が多数派なのだ。

 

この母集団がころっと意見を変えることは無いと諦めよう。そのうえでどう手を打つか?沈黙し続ければ、私企業は全て潰れるのみである。僕は潰れたくない。

 

明日から、この辺の法律をきちんと勉強しようかな。ってことで今日はこの辺で。

 

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