パネルでポン的なアプリにハマり過ぎて人生がヤバい中元です。
はい。寝起きに洋書を10分程度読むという変態な趣味が出来て、結構な年月が流れた。別に喋る練習とかはしてないので話せはしないが、リスニングは調子がいい。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
というかテーマが面白いし、また洋書を通じて知識を得るという経験そのものが稀有で厨二くさくて、好きな時間になりつつある。
話もどんどん近代に近付いてきたし、手触り感も出てきて面白くなってきた。ってことで感想文をまた書いていこう。
- 2月14日(月) 次なる問い
- 2月15日(火) 無限か、有限か?
- 2月16日(水) 光は有限説。
- 2月17日(木) 謎の媒体【エーテル】
- 2月18日(金) 「無くなってェーテル」
- 2月19日(土) 天才は世界をこう見ている
- 2月20日(日) 思考実験
2月14日(月) 次なる問い
次の問いは、「宇宙は不変なのか、始まりがあるのか」である。この問いに答えることは極めて難しいどころか、無理だとしか思えない。
様々な論理や仮説で説明付けを試みる人はいたっちゃいたが、そのいずれもが不完全であり、ウルヴァリがなんかしたとかとレベルは同じなのだ。
必要なのは、理論ではなく観測によるエビデンスの発見。そしてこの考え方こそが、天体望遠鏡から宇宙衛星までも巻き込んだ技術と、新たな天才たちを巻き込んだ・・
超巨大な論争を引き起こすのである。
2月15日(火) 無限か、有限か?
次の論争は、【光】に関してだ。古来より、雷が見えてから音が鳴る現象から、音の速度は恐らく有限だろうというのはわかっていたという。
では、【光】はどうなのか?実は観測可能な速度があるのか、それとも無限の速さをもつのか?
実験も行われたが、どこまで条件を変えても、光が無限に速いのか、単に超高速なのかはわからずじまいというのが中世の結論であった。
それに一つのきっかけを投じたのは、木星の衛星・イオの観測である。これによって、光の速さについて、別角度からの論争が始まることになるのであった。
2月16日(水) 光は有限説。
木星の衛星の1つ、イオの”食”を計算する際、光が有限ということにすればつじつまが合うことに気付いた人がいた。
ただ、その理屈や計算は鬼のようにむずいので、参考サイトを紹介するに留めておく。(僕は物理を全くやっていないのだ!)
この論は当時として突拍子がないものであり、やはり結果反発を生み、アンチも誕生したのだが、最終的には追試の結果、光は有限という結論に至るのであった。
ちゃんちゃん。
2月17日(木) 謎の媒体【エーテル】
イオの観測を通じて光の速度の問題提起がされた数十年後、全く別のところで、全然違う方向から、光の不可思議な性質が注目された。
透明な瓶の中に音を鳴らす器具を入れて、空気を抜いていくと、段々音がしなくなる実験をみたことはないだろうか。つまり、音は空気が無いと伝わらないのだ。
しかし、空気がない状態でも、なぜ光は見えるのか?真空なのに、光は何を媒体として、僕らの目に届くのだろう?次の問題はこれであった。
そこで出された結論は、非常に微小で、色々不可思議な謎の物質【エーテル】というものの存在だ。それがあるから伝わるけど、僕らに感知はできないよ、よ。
RPG用語みたいな何かが出てきたが、以後当時の科学者は、これがあるのかないのかを探求することに、執心することになるのであった。
2月18日(金) 「無くなってェーテル」
エーテルが本当にあるのなら、地球が宇宙空間を高速で移動している以上、光の速度は方角によって変わるハズ。そんなことを考えた人がいた。
・・・意味不明なので、雰囲気がわかる画像を置いておく。(実際は全然違うことを説明している)
で、結果、どうだったか。実験器具を何度も調整し、何年も実験を行い、分厚い本を書いて発表された中身は・・・
エーテルはない
というものであった。つまり、光の速度は完全に一定で、いかなるズレも見つからなかったそうなのだ。
ちなみに研究を行った人は、存在を確認するために行った実験で、それを否定せざるを得なくなったこれが一番有名な検証になったそうで、なんともまぁ皮肉である。
しかし・・。
遠く離れた場所で、大体同じ時期に、思考実験で「エーテルは無い」と結論付けた人が現れていたのだった。
その人の名は【アルバート・アインシュタイン】。後に正規の発見を果たす人物である。
2月19日(土) 天才は世界をこう見ている
アインシュタインは、「壁さえも本で埋め尽くされた図書館のよう」と、自然界を形容していたという。
未知のことがこんなにもあるという事実に興奮し、誰よりも好奇心をむき出しに、没頭してそれらを読み漁り、"知る"ということを繰り返す。
確かに、学業において優秀な人は、軒並み好奇心が秀でているという話は聞いたことが何度もある。納得だ。
ーところで、自然界を図書館(あるいは一冊の本)と形容した人は、実は偉人でもう一人いる。それが、ガリレオ・ガリレイなのだ。
ただし彼は、「数学で暗号化されたもの」と考えており、「それを解読しながら"知る”」という風に捉えていたという。
そう思えば、膨大な観測データを集めることと、それだけを信じたこともまた、一本筋としてつじつまが合うなぁ、と。
ものの見方一つとっても、「らしさ」が出てくるのは本当に面白いなと思った。
2月20日(日) 思考実験
ガリレオは相対性について、同じ速度で移動し続ける空間にいる限り、感知することはできないというのを、例え話を用いて説いていた。
よくわからないのだが、要するに電車に乗っているとき、耳栓をして目を閉じれば、止まっているときの感覚も動いているときの感覚もほぼ同じ、ということである。
地球の上にいながら爆風を感じられないのは、地面から空気までもが一緒に、同じ速度で移動しているからなのである。
・・・というのを真実として考えてみると、ある矛盾が生まれることに気付いたのがアインシュタインだ。しかもやったことは、思考実験である。
簡単に言えば頭の中で器具も何も使わず、論理立てをメインで行う実験なのだが、彼はそこで、自分が手鏡を持ち、光速で動いていることを想像してみたらしい。
そうすれば、光は永遠に鏡に到達しないから、自分の顔は映らない。しかし顔が映らなければ、自分が光速で動いていることが、それで知覚できてしまう。
間違っているのは、ガリレオか、それとも自分なのか?アインシュタインは、自分の方に何かエラーがあると考えて、それこそがエーテルの存在仮説だと結論付けたそうだ。
天才のエピソードはやはりぶっ飛んでいる。だからこその天才なのだろうけれど。
ってことで今週はこの辺で。