珍しく仕事が1日の中で終わり切って、逆に不安を覚える病気の中元です。
はい。今は入塾のホットシーズンであるのだが、これは裏を返せば、退塾のホットシーズンという話でもある。
実際今も、問い合わせ数ももちろん増えているが、同時に退塾の話も出ており、今のところ差し引きはプラスだが、さて今後どうなるかというところである。
さて。僕は個人的に、【退塾】は無条件に恐れるべきことでは”ない”と考えており、気にするべきそれと、仕方ないと割り切っていいそれの2種類があると捉えている。
とはいえ、最近ちょっと衝撃だった退塾があったのもあり、自分が浮足立っているのを感じているため、改めてその定義を言語化しようかなと思う。
要するに同業者向けの、自己正当化のための独り言なので、人によっては何にも思わない可能性大。そんな記事、以下続き。
反省すべき退塾と、そうではない退塾を分かつモノ。
反省すべき退塾とは、当然こちらの不手際で抜けてしまったそれだ。例えば成績不振であったり、講師との相性が悪かったり、サービスに不備があったり、など。
こういうところは、可能であれば出口調査を行い、得た弱点を社内で共有し、撲滅せねばダメだと思う。やはり、失敗はサイエンスなのだ。
・・・ところで、こちらの不手際以外での退塾って、そもそもあるのだろうか。もちろん転勤などの不可避なものはあるが、そういう次元じゃなくても、僕はあると思う。
例えば集団授業のクラスの男女比率が崩れた場合。あるいは、その生徒と仲がめちゃくちゃ悪い生徒が入塾した場合。こういうのもある。
しかし一番盲点で、かつ仕方ないと定義して良いように僕が思うのは、その塾のカラーといつの間にか乖離してしまったケースである。
塾のカラーとして、低学力~中学力を拾い、伸ばすのがコアターゲットだとして、結果そのまま順調に伸びて、上位層に入ってしまったらどうなるか。
その生徒からすれば、当然物足りなさという名の不満が生まれてくる。しかしその少数派の声を重視して、クラス全体のレベルを上げれば、コア層が離れていく。
こういうのを天秤にかけると、僕はその生徒を【卒塾】と考えて、送り出す方が正義のように考えるようにしている。
もちろんこちらから積極的に転塾を促すとかまではしないけれど、そういう相談があったとき、僕は無暗に否定するなんてことはしないと思う。
要求に振り回されると、いずれ大崩壊すると思ってます。
仮に、退塾を止めることだけを前提にして、要求全てに応えたらどうなるか。僕は、いずれ大崩壊が待っていると考えている。
「超上位層のクラスがほしい?では作りましょう。人?休日って空いてるよね?そこでよろしく!」という風に、どこかに必ず無理が生じるからだ。
そして無理を継ぎ足していけば、いずれ結果、生徒も社員も全員が離れていくのは自明である。無理の功罪はかくなりや。
また、そうやって何にも特化せず色々なことをすると、結局他のどことも同じことをやっている塾になるので、わざわざそこを選ぶ理由が無くなる。
ところで、ネット業界で失敗するサービスに一番多い特徴は、「総合ポータルサイト」のようなものだという話を何度も読んだことがある。
そこにくれば、70点のコンテンツがいっぱい並んでいるということであり、確かにそこで全てが解決するという見方はできる。
しかしそれは魅力ゼロと同じだ。もっとニッチに対し特化したコンテンツに、僕らはタップひとつで飛んで行ける技術を使いこなせる時代にいるためだ。
そして教育も塾も、多分に漏れず、オープンソース化が甚だしい。だからこそ、何でもやる塾は、どうでもいい塾なのである。(厳しい話だけどね)
何を売るか、から、誰が売るか、への過渡期。思想や理念をきちんと作ることは、合わない人をはじき出す結果になる。
だがそれが無ければ生き残ることもできないのであれば、擦過傷まみれになりつつ、血を流すことがマストなのかもしれない。
終わりに。:その分集めてくればいいんすよ、結局ね。
ということで色々書いてきたが、結局のところ、超シンプルに言えば、退塾よりも入塾の方が多ければ絶対に潰れないのである。
だから僕がすべきことは、生徒がやめることの検証をちょっと、募集活動をもっと、という比率で頭を使い、身体を動かすことである。
この3月も休めそうにないなぁ。でも、募集・継続が連発するこの時期が暇なのは、絶対に寒い話である。
そう自分を正当化して、するべきことに取り組みたいと思う。
ってことで今日はこの辺で。