新しい何かが始まると心が躍りますね。中元です。
はい。今現在、新しいコンテンツの導入が決まり、全社員が一丸となって、同じ方向を向いて、それによる広報と集客に頭を使い続けている。
最初は僕もその空気にほだされて、同じことをガンガン考えて、アイデアをひねり出すことにどっぷりとつかっていた。
しかしふと、全員が全員、同じコンテンツを盛り上げようとする必要は果たしてあるのか、という疑問が湧いてきて、少し熱が冷めたところである。
そしてそれを受けて、僕はあえてその熱から離れなければならないと、段々独り言ちているのが今である。
今日はちょっと自己正当のため的な記事だけど、僕なりのいっちょ前な覚悟について、書いておこうと思う。
未来ばかり見ていたら上手くいくのだろうか。
今会社として力を入れているのは、低学年向けコンテンツのさらなる充実である。
低い年齢から囲い込み、そのまま高校生まで継続を狙うという超長期モデルの構築をゴールとして、その第一歩みたいな位置づけだ。
これは実例が多く、パイが縮小しっぱなしの地方の塾となると、これに手を出していない塾がそもそも存在しないのでは、と思えるほど必須の手だと言える。
だから全社員が全資本をそこに投下し、一気に取り込む。それはそれで素晴らしい。だが、僕はそれのダークサイドに、ふと目が行ってしまった。
その一点集中により、既存のコンテンツのケアが確実に手薄となっている。つまり、その先の集団なり個別なりがおざなりになっているということだ。
皆は囲い込むことに集中しているが、結果その受け皿が脆くなり、引き上げにしくじるようであれば、全く意味が無いだろう。
そして怖いことに、その予兆は確実に来ている。詳しくは言えないが、確実に、だ。
発破をかけて全員が未来に目を向けた結果、今の現実に目を向けている人間が社内に減ってきている。そのことに、本当にふと気が付いたのだ。
齋藤一人氏も著書で何度も語っていたが、「未来の客を大事にする前に、既存のお客様を大事にしないと、絶対にダメになる」という教えが、現実味を帯びてきた。
今のところ、多分この目線を持っているのは、僕と他数名である。だからこそ、この危機感に目をつぶることは、絶対にしないと心に決めている。
受け皿が崩壊したら、僕は転職する。
尚、仮に中学生・高校生向けの集団・個別が食えなくなったら、完全に幼児向けにシフトすればいいと考える人もいそうではある。
だがこれも断言しておくが、僕は低学年向けコンテンツ全振りになったら、辞めて転職する。
単に嫌というのも実はあるが、何より僕の強みが全く生かせないためである。よく忘れられるけど、英検1級持ってるんで、はい。
今社内というより地方の教育界において、低学年向けの熱が高いのだが、だからこそそれさえ上手くいけば、他がダメでもいいという風潮さえ感じる。
それは逃げではないだろうか?どうしてもその疑念が募る。とりあえず僕の直属の上司は、最近低学年向けコンテンツのことしか口にしなくなっており、ヒヤヒヤする。
僕はやはり、中学生以上への学年に向けた指導が好きだし、どうせ伝えるなら、歯ごたえのある単元の講義がしたい。
また、大学生講師と一緒に面白いことを企みたいし、彼らの力を借りて、もっといろいろな生徒の学力向上に僕の力を使うのが理想だと考えている。
もしそれが必要ないと面と向かって言われたら、僕はこの組織にもう力添えできることは無いと判断し、マジで辞める覚悟は決めている。
まさかそんな腹を決める事態になるとは思わなかったが、このフィーバーの裏で、僕はそんなことを考えている。
現場に立つ人を応援するために裏に引っ込むことは悪なのか?
つまり何がしたいのかというと、大多数がそのコンテンツを盛り上げようとしている今、手薄になっている部分の管理・広報・集客を強めたいというのが本音である。
これは僕なりの応援やサポートであり、別に反発ではないだろう。これを反発と解釈されたら、冷静な人はだれ一人としていないのだと、寂しくなると思う。
自分が好きな仕事がなくなることを是とする考えは、絶対に容認できない。それによっていくら後ろ指刺されようとも、最後まで冷静でありたいと思う。
どうせ盛り上げるなら、ひとつよりふたつの方が面白いじゃないすか。儲かる・儲からないという判断軸だけで考えるようになったら、塾はつまらないとさえ思う。
もちろん社運を賭けたプロジェクトであれば、全社員の足並みを揃える必要はあるが、そこまでのバクチでないのなら、分業した方がいいっしょ。
だから僕は、明日以降ちょっと熱を冷まして、他コンテンツにしれっと注力する所存である。怒られても、しらね。
ってことで今日はこの辺で。