月に一度の偏頭痛モード発動中で、もう帰りたい中元です。
はい。今日は国公立大学の前期合格発表日だった。今年は二人ほど共通テスト・二次試験の対策を受け持っており、その戦績はというと・・。
二人とも見事に合格であった。もう、めちゃくちゃに喜んだ。速攻電話して、声を聞いてやりましたよ、ええ。
さて。実は、難しいのはここからだ。ビジネスとしての塾の在り方と、個人の哲学が衝突する場面が、この後に控えているためだ。
それは、生徒の実績をどう広報するか、である。
信念をもって「しない」のか、それとも実利を考えて「する」のか。
今日はこれをテーマに色々と書いてみます。
実績を喧伝すると、落ちた塾生を否定することになりはしないか?
一番のジレンマであり、かつ僕の上司の考え方がそうなのだが、合格実績を出すと、落ちてしまった生徒を完全に拒絶することになるメッセージが込められがちだ。
受かった人を評価します。でも落ちたのなら、ドンマイ!
もちろんこんなクソみたいな思考はしていないのだが、自分がもし落ちた側になったとして、受かった人の名前がズラズラと並んでいたら、さてどう思うか。
自分はそのコミュニティに居る資格を失ったなと感じるだろう。そう思った。
こういうメタを発することを避けるには、そもそも実績を貼りださない、喧伝しない、広報しないということがその行動となる。
だが、果たしてそれが正解なのだろうか?
落ちてしまった生徒の自尊心を守ることは、受かった生徒の自己重要感を毀損する。最近、そのことに気づいて、自分の中で葛藤が生まれ始めている。
今度はそのことについて書いてみよう。
実績を褒められないと、自己重要感が満たされることもないよね、と。
今度は、自分の思い出から考えてみる。未だに検索したらヒットするので恥ずかしいのだが、通っていた塾に頼まれて、合格体験記を書いたことがある。
合格証明書を持った自分の写真が添えられた、いっちょ前の長文。それがHPに載っていて、しかも校舎にも掲示されているという事実。
これが、かなり嬉しかったのを覚えている。「俺は他者より上なのだ!」というダークトライアドな理由ではなく、純粋に、努力が報われた味を楽しめたという感じに近い。
そう、僕の自己重要感が、フルマックスに満たされた瞬間だったのだ。強い感動、そして感動の分身。そのすべてを捨てるのもまた、極めて惜しい話である。
あっちを立てれば、こっちが立たず。まさにその通りの状態なので、一体どうするのが正解なのか、答えなんてあんのだろうか。
結論:どちらにせよ誰かにダメージがあるのなら・・
だが、僕の中では結論が出た。校舎などの生徒が目にするところでの発表を控えて、主に保護者が目にするところで、彼らの努力・成果を称賛するのだ。
例えば、合格体験記を書いてもらったら、校舎に掲示するのではなく、塾のブログに載せればいい。そこまでチェックする生徒は、かなりレアだからだ。
あるいは、名前は隠して、【〇〇高校、何名合格!】という風にぼかしてもいい。いずれにしても、僕はこういう成果は、今年強く発表したいと考えている。
理由はやはり・・・成果のひとつも掲示しない塾ってどうなんだろうと、改めて思ったためだ。もちろん実績はあるのだが、言わなければ無に等しい。
どちらにせよ誰かにダメージがあるのなら、なるだけゼロになる配慮はしつつ、自分が使いたい方、利益が大きい方を採用する。
考えてみれば、至極単純な話であった。今から掲示物、作ろうかな。
ってことで今日はこの辺で。