副反応が出るまであと7時間くらいか・・・。恐怖しかない中元です。
はい。いよいよ高校入試も終わり、後は合格発表を待つだけとなった。もう解答用紙が手を離れた今、できることは神に祈りを捧げることだけ。つまりどうしようもない。
結果を変えることはできないのだから、未来のことに目を向けるべきタイミングであるともいえる。実際どの塾も、こぞって今年の問題の分析を始めているようだ。
実際僕も思ったのだが、今年は傾向が結構変わっており、中には形式そのものも変わっている科目もあった。そのため予想は、概ね全体的に【難化】である。
さて。この言葉を、僕は受験を終えて不安に感じている生徒にかけるのは、別にありだと考えている。「皆できてないから、大丈夫よ!」みたいに。
しかし、「難化したから、傾向が変わったから、仕方ないよね・・」的なことを自分に言うようになると、講師として落ち目だとさえ考えている。
ってことで今日は、自戒の狙いも込めて、記事を書きたいと思う。
傾向が変わっても、解けるようにするのが仕事。
「点数が下がったのは、傾向が変わったから。」というのはすごく当たり前の論理に聞こえるが、僕らの仕事は、よく考えると傾向が変わっても点を取らせることである。
仮に過去問を10年分解かせても、それで本番の点が取れなければ、僕らは責務を果たしたなんて、口が裂けても言えない。
もちろん過去問を解くことが、基本ハズシのない受験対策なのは認めるし、それで点が取れれば多少傾向が変わっても本番で解けることはほぼ確実なのだが・・
時にはスパイスとして、他県の問題や予想問題などを用意して、違うタイプの刺激を与える必要もあるんじゃないかな、と。
それに、過去問をずっと使うということは、ちゃんとその板書や教え方をストックしておけば、2年目以降ガンガン仕事が楽になるということだ。
しかしこれに甘えていると、過去問の"研究"や、新年度の問題に対する情報収集がおろそかになり、マジでラジカセな授業をすることに繋がってしまう。
そうなれば後は食いっぱぐれまっしぐらなので、僕は「傾向が変わったなら仕方ないか」と甘えそうになるたび、「なわけあるか!」と思い直すことを意識している。
それに、傾向は頑張れば読める。
それに、思い切ったことを言えば、今後の傾向がどうなっていくかは、トレンドを押さえておくとある程度読めるのだ。
僕の住むエリアの話にはなるが、高校受験も中学受験も、結構大学入試共通テストにヒントが隠されている気がしてならないと、常々考えてきた。
文章量が増えたと話題になれば、その年と翌年の英語の長文問題の語数がちゃんと増えたし、思考力が話題になれば、記述問題の比率がきちんと増えていた。
もっと長い時間軸で見れば、過去は問われていたけど、ここ数年さっぱり尋ねられない問題で、かつ時流に合っていなければ、思い切って切り捨てることも可能になる。
例えば英語だと、公立高校受験では、和訳問題もゼロになったし、資料読解の中にも日本語が消えた。
つまり、英語を英語のまま理解する・表現する力が必要になっていることが見て取れた。そして今年はさらに英作文の比重が増したので、トレンドは明確だ。
こういう風に、めちゃくちゃ入念な研究と、ある程度センスやカンも求められる部分ではあるのだが、頑張れば長期の【傾向】を読むことも可能となる。
どうせ外しても誰も覚えていないので、やはり予想はバンバン打つのに越したことはないのかもしれない。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
終わりに。:言い逃れなんてできない仕事です。
ということで、結論を言えば、結果がすべてなので言い逃れなんてできない仕事なのだと、腹を括るしかないということですな。
もう少しすれば、両極端な報告が相次ぐことになる。奇跡が起きることもあるし、逆に”まさか”という話が起こる可能性もある。
ぶっちゃけて言えば、あいつは受かったか、落ちたかというのを、自己採点の数値を聞いたり、過去の点数推移を穴が空くほどみたりしても、ムダな時間である。
それによって授業準備の時間が奪われれば、未来の生徒を落とすことになる。だからここ最近は、気持ちの切り替えも、自分の中で大事なテーマとなっている。
どうせ審判のときはもうすぐだ。俎板に、ゆたりと鯉の昼寝かな。”俺は”しっかりと正面から受け止めたいと思います。
ってことで今日はこの辺で。