精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【脳内整理記事】僕はイヤなヤツを”演じ”ねば、きっと先は無い。

美味い酒と旨い寿司は幸福を生む。たとえその後、ちょっと体調が悪くなっても。中元です。

 

はい。最近人生でも数少ない、「ずっと知りたかった疑問の輪郭を掴んで、同時に何をすべきかがはっきり見えた」という経験をした。

 

それは僕が【独立】を決意したことにも紐づいているのだが、【リーダーになる人】と【リーダーに求められる人】の間の、あまりにも激しいギャップの謎である。

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今日は完全なる脳内整理のための記事なので、塾の運営にはあんまりどころか全然関係ないのだが・・・。

 

まぁ、同じ夢を見ている方に向けて、「早めに目を覚ました方がいいよ」ということを、啓発のために書いておく。

 

 

本当にリーダーとして求められるタイプの人は、リーダーになることはできない。

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例えば、ビジョナリー・カンパニーを読んでも、最強の働き方を読んでも、【謙虚】で【利他】であることなどが、リーダーの条件として挙げられている。

 

手柄を認め、責任は負い、まさに聖人君主を絵に描いたような人こそが人の上に立つべきなのだと。それはまさに、その通りだと思われるのではなかろうか。

 

しかし、ぐるりと辺りを見渡せば、程度はさておき【傲慢】や【利己】を体現したような人の方が、リーダーに多いと思わないだろうか。

 

すごくデカい目標をブチ上げたり、社内広報のあちこちに顔写真が登場したり、そんな感じ。それ自身は全然悪いことではないのだが・・。

 

大抵はそこに、ナルシスト性や、サイコパス性がくっついているので、下についた人間は被害者になってしまうことが多い。手柄の否定と、義務の増加てな具合に。

 

「任せてください!できますから!」と取ってきた仕事を部下に丸投げして、何度も確認することで支配し、成果が上がれば自分が顧客に報告するとかが、そうだ。

 

結果、部下としては「頑張ったのに報われない」という感情が溜まることになり、より一層リーダーとはなんぞやという問いが重ねられることになる。

 

その反動で、先ほどの聖人君主のような人がもてはやされるが、現実はむしろ、反対の人ばかりをリーダーに選んでいる印象である。

 

求められるリーダー像に、大なり小なり合致する人が日の目を浴びず、声がデカいだけの人がどこまでものし上がる。一体真理はどこにある?

 

そんな僕に【明確な答え】と、【言い逃れできない現実】を教えてくれたのは、この2冊の本であった。

 

これらによって、最近起きたとある出来事の謎が、スッキリと解決された。同時に僕は、自分が報われない理由も悟った。次は、その真理を書いてみる。

 

今年起きた不可思議な現象の謎が解けた。

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2022年の人事には、正直期待していた。僕は僕の預かる部署で数値を出せて、逆にとある方は、1年近く手を抜いていたことがバレて、色々ピンチになっていたためだ。

 

入れ替わりの形で、僕の昇進が見える。そう思っていたが・・・。

 

全体研修の場で、そのピンチの人は、今までの反省を入れた後、これから何をするか、壮大な数値目標をぶち上げたのだ。

 

その一環として、複数の部署の管轄に力を入れると宣言。気付けば、僕の預かる部署も、逐一業務を報告するように命じ、それを社長にも承認を取り付けていた。

 

・・これに関して、不可解な点が2つある。この施策に対し、反対意見の一切が出なかったことだ。(僕は正直、思い切り不快なリアクションをしちゃったけど)

 

そしてもう1つは、結果として僕の過去の成果がうやむやになったことである。ハッキリ言ってどこまでも落胆したが、その謎は全く解けなかった。

 

ただそれは、さっきの本を読むまでは、だ。

 

謙虚な人の実績は、声高の人が語る未来に劣る。実はそういうケースこそが普遍であることは、先の本に、膨大な例とデータ付きで語られていた話だったのだ。

 

そして僕は、打つ手を間違えた。例えば日を改めて、上役に今回のケースを認めていいのかと進言するべきだったのに、それを怠ってしまったのだ。

 

黙っていたら、認められない。結果、僕の裁量は減り、その方の裁量が大幅に増すこととなった。社内政治に、完全に敗北した瞬間であった。

 

ーとても悔しかった。でも僕は若造過ぎた。だからそうするか。唯々諾々と従うか?それはもっと嫌だ。なら、勉強するしかない。成長するしかない。

 

しかし、今の組織内でのし上がろうという気も失せた。自分のしたいことをするのに、引き上げてもらうのを待ってる暇はもう、無い。

 

今年、僕が僕自身でケツを拭ける数字や目標が事実上消えた以上、悔しがる暇すら惜しい。もう、脱皮レベルで自分を変えるしかない。

 

またゼロから、やり直します。甘い自分を、少しばかり恨みながら。

 

"対策を講じながら"言いなりになりつつ、着々と備える。

自分を支える新たな教えが知りたくて、ビッグになった人が無名だった頃、誰かの部下だった頃の話を、貪るように読んだ。

 

すると共通点として、色々なものが浮かび上がってきた。例えば誰かの下であろうと圧倒的な成果を出し、そしてそれを必ず告知していたこと、などなど。

 

また、【謙虚さ】が人格にかなり寄与するのは当然とされていたが、改めて読み取ると、そのタイミングが思っていた点とは異なっていた

 

まずは何より、デカい目標をブチ上げる。とにかく大きな風呂敷を広げる。そしてそれを、誰が見てもわかる形で周知させ、退路を断つ。

 

その後部下を鼓舞したり、あるいは自分が必死に働いたりして、必ず成功にもっていく。まさに無謀を演出し、鮮烈に変えるということだ。

 

でだ。最終的に努力が結実し、一つの結果が出た段階で初めて、部下や協力者に華を持たせるのが、【謙虚】の本当の意味合いだったのだ。

 

万一しくじれば、「全て自分のせいです」と背負う。泥にまみれる。かっこいい。だがこのカッコよさを生むには、こういった下ごしらえがマストなのだ。

 

無計画な【謙虚さ】とは、単なる便利屋でしかない。手柄を取られたらちゃんと正しく反撃すべきだし、成果は成果でちゃんと喧伝するべきなのだ。

 

結実さえさせてしまえば、誰がどうみても「いや、この人が頑張ったからじゃん」と思われる。外野が釘を刺せば刺すほど、実は華々しさは増していく。

 

僕はもう少しくらい図太く、ずうずうしく、厚かましくならねばならない。それは僕の思う理想像とは遠いのだが、必ず通らねばならない中継地点である。

 

対策を講じながら下っ端でありつつ、しかし周りにその成果を見せつける。血が出るほど歯を食いしばってでも、やり遂げる覚悟を、今決めた。

 

終わりに。:この一年で、どこまで浮けるか?

 

僕の理想が色々と叶わない原因は、【社会の常識】という名の集団心理に対し、僕があまりにも疎く、また無条件に夢を抱き過ぎていたから

 

至極シンプルな因果関係が出てきて、変に感心するところが大きい。確かに、どんどんと上る人は、謙虚と自己顕示と自己嫌悪を、絶えずスイングしている気がする。

 

不言実行はリスクが無いが、無いからこそ何にも映えない。あとから手柄を吹聴したところで、「なんか言ってらぁ」の世界なのだ。

 

よぉく、わかった。僕に無いのは、そう、【伝説】だ。某堂島組若頭補佐のセリフを借りるなら、「カンバン」ってヤツである。

 

もうお人好しとして、無条件に成果も時間も手柄も捧げるつもりはない。僕自身のカンバンのため、きっちり「貸し」は返してもらおうと思う。

 

そしてその部分を無下にされたら、きっちりやり返させてもらう。そうやって強かにならないと、食い潰されて終わりだ。

 

僕は自分が思うイヤなヤツにならないと、未来が無いのだ。30歳になってから、自分を殺す時が来るとは、思わなかった。

 

もちろん露骨に、単なるイヤなヤツになる気は毛頭無いのだが、僕は振り切って初めて、加減がわかる人間である。

 

一発ケンカくらいしなきゃ、ダメかもな。血の涙を流してでも、だ。

 

ってことで、今日はこの辺で。

 

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