精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

合格発表前夜の講師の胸の内を、徹底して書き出すエントリ。

今日は4人分の仕事を肩代わりしました。賛辞も労いも要らねえ。代休を貰う。中元です。

 

さて。実はいよいよ明日が、公立高校入試の合格発表である。下手すれば自分事以上に、心の中がずっとずっと不安にかき乱されている。

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授業の演習中に少しでも手が止まれば、希望的観測と悲観的未来を行ったり来たりする感覚。この状況が続けば、恐らく1週間と掛からず、僕はノイローゼになる。

 

一体どれだけ膨大な不安が、恐怖が、希望が、心配が、この胸の内に渦巻いているのだろうか。言葉にできていないから、こんなに苦しいのだろうか。

 

ということで今日は、将来の自分なり別の誰かなりの参考材料になればいいかもという願いを込めて、今の胸の内を全て言葉にしておこうと思う。

 

推敲もしない。勢いのままに書く。だから非常に散文的だろうけど、そこはご容赦いただきたし。

 

では以下、本編である。

 

 

今日という日が始まってから、ずっと肯定と否定を繰り返している。まず頭に浮かぶのは、何よりボーダーきっかりの生徒のことである。

 

「あのときの実力テストでA判定を超えたからいけるだろう・・」「でも直近のそれは、少し不調だったな・・」

 

その生徒を信じるために必要な客観的なデータを探っては、それを否定する実例が脳の別の個所からポンと飛び出してくる。

 

過去の生徒たちが残した、膨大なテストデータを漁る。その生徒の点数においては、受かったヤツも落ちたヤツも、両方存在する。

 

しかし、所詮そんなデータを見たからなんなんだ、何の安心が担保されたんだと、やっぱり自分で自分の確信をへし折る結果になってしまう。

 

「仮に落ちたら、あの子はどれだけ心に傷を負うだろうか・・」「でも意外と、けろっとしてそうな性格だけれども・・」

 

等という、講師失格なことも考えた。もちろんこちらへの方向の思考は、自覚した刹那に意識して止めた。

 

つまり、最後に行きつく先はいつも同じだ。「わかるわけがねぇ」

 

本番とは魔物だ。絶対合格など、どうにも担保されない。ただ確率が高いだけ、そして逆もまたそうというだけだ。

 

過去に良い点を取った生徒は受かっているから、今回も同様に100%合格が保証されるとでも?そんな、バカな。

 

逆に、10年前はこの点数で受かっている生徒など一人もいないのだから、この子は絶対落ちるとでも?寝言は寝て言え。

 

状況は思ったより複雑で、合否を決める要因は、あまりにも多く、そしてアトランダムである。不確実性、はなはだしい。

 

そこまで気にするなら、そもそも内申点はどうだという話になる。直近の過去問の正答率はどうだったという確認が必要になる。考えれば考えるほど、全てが崩れていく。

 

僕らが胸を張って生徒に伝えてきた「大丈夫」なんてのは、所詮砂上の楼閣だったのだ。僕はそれを、自覚せずに伝えていたことになる。なんと恐ろしいことだ。

 

そのときの受験生については、全てが終わった後になって、初めて検証が可能になる。平均点がどうだったか、そしてそれを踏まえてボーダーはどうだったか、とか。

 

それを合格発表の前日にやろうとしている僕は、本当に愚かというか、時間の無駄にすぎないことをやっているだけである。

 

しかし、そんなことははっきりと自覚している。ただ、黙って祈ることが、できないだけだ。少しでも、自分を、そして生徒を信じたいから、こうやって足掻いている。

 

足掻けば足掻くほど、根拠としていたものが崩れていく。だからもっと別のデータを探す。でもそれも結局、崩れてしまう。

 

自分の経験という最後の頼みも、自分のメタが片っ端から論破していってしまう。時計の針はどんどん進むのに、僕はどこからも進めていない気がする。

 

結局僕は、発表されるその刹那まで、苦しむしかないのだと思う。苦しんだうえに、どんな結果も、真正面から受け止めなければならないのだと思う。

 

今はもう、「落とした生徒へのフォロー電話は憂鬱だな・・」なんて、非常に呑気な他人事さえ考える余裕が無い。心の隙間は、きれいさっぱり消えている。

 

そうやってあまりにも不安で不安で仕方なくなったとき、ふとなぜか、あることに気づいて心が軽くなった。

 

「今十全で大丈夫だとは思えなくても、あのときの僕は心底大丈夫だと考えていた。そして本人にもそう伝えて、きちんと送り出した。だからまぁ、いいか。」

 

・・彼ら、彼女らは、今の情けない僕を知らない。そして僕は、絶対にこの胸の内を語りはしない。ならばそれで、いいじゃないか。そう思えた。

 

つまるところ実際は【嘘】の定義となっていようが、 僕が墓場にまでもっていけば、誰も傷つかない美談だし、そして真実になる。

 

繰り返すが、今でも苦しい。胸郭を切り裂いて、そこに溜まって膿んでいるヘドロのような闇を、一滴残さず体外へ掻きだしたいほどだ。

 

だけどもう、これもまた【正しい】と思うしかないのだろう。ここまで生徒のことを思えなくなったら、それこそ僕は、即刻辞表を出さねばならなくなる。

 

もう、肚を決めよう。始まれば、終わる。どう頑張っても、時間は止まらない。明日、放っておいても、審判は下る。

 

そうだ。帰ったら酒を飲もう。それにすべて呑み込んでもらおう。最高に美味い酒になるのか、それとも最悪の味の酒になるのか。

 

天のみぞ知る話である。

 

あぁ、すっきりした。ぶっちゃけ何を言いたいのかなんて、何にも考えていない。心の中に浮かんでくる全てを、尽きるまで書き続けただけだ。

 

だがこれくらい、僕はもう不安で不安で仕方ない。生徒を信じてるから、前日は鷹揚に構えられるという人がたまにいるが、ありゃぶっちゃけ嘘だと思う。

 

そうとでも言っておけば、後々で勝手に伝説として流布するからではなかろうか。それか、結構なサイコパス性があるからじゃないかな、と。

 

どこまで行っても、僕の心は弱い。我ながら呆れる。でも、付き合っていくしかないんだから、仕方がない。

 

明日見るのは、笑顔か、泣き顔か。でももう、受け止めるしかない。逃げることも、戻ることも、もうできない。

 

大袈裟だなとは思うけれど、そういうもんなんですよ。合格発表の四文字が、ここまで殺傷力の高い言葉になるなんて、想像だにできない世界だった。

 

自分の合格より、他人の合格の方が重い。だから、こんなにも苦しい。もう、描写する言葉も尽きてきた。

 

そして2500字も書いてきて、ようやく落ち着いてきた。もうここで、筆を置こう。明日の僕は、どんな記事を書いてるかな。

 

ってことで、読み辛くて申し訳ない。でもこれが、感じている全てだし、リアルである。そういうことが書けていれば面白い、かも。

 

では今日はこの辺で。